i一関・西磐井郡

一関〜花泉の市外電話も「出んわ」解消へ(昭和29年1月5日) i一関・西磐井郡

一関〜花泉の市外電話も「出んわ」解消へ(昭和29年1月5日)

昭和29年1月5日の岩手日日より。 一関周辺の市外電話は非常に回線不足に悩んでいたと言う。 一関から千厩の電話回線はこれまで3回線であったところ新たに3回線を増設しているところであると言う。 また、千厩から摺沢の電話回線も倍にする計画であると言う。 また、西磐井郡の北上川流域の地方の各村では、一関か…
発情期のネズミは毒団子を食べません(昭和29年1月5日) i一関・西磐井郡

発情期のネズミは毒団子を食べません(昭和29年1月5日)

昭和29年1月5日の岩手日日より。 一関市内のある民区のこと。 旧臘12月15〜25日までの間をネズミ退治期間中としており、約3000個の毒団子を作っていたのだと言う。 ところが、そのうち食べられたのは30個であり、死骸はたった20匹位であったと言う。 この時、ネズミを発情期にあたり、ものを食べなく…
一関・新星劇場で「犯罪都市」を公開(S29.1.3岩手日日) i一関・西磐井郡

一関・新星劇場で「犯罪都市」を公開(S29.1.3岩手日日)

昭和29年1月3日の「岩手日日」をめくっていると、一関の街に流れていた当時の熱気がそのまま立ち上がってくるような、一枚の映画案内に出会いました。一関・新星劇場。この場所はかつて、地元の世嬉の一酒造の倉庫を改修して作られた映画館で、あの中学生時代の井上ひさし氏が切符切りのアルバイトをしていた場所として…
一関市内の呉服店も初売り(S29.1.1岩手日日) i一関・西磐井郡

一関市内の呉服店も初売り(S29.1.1岩手日日)

昭和29年元旦の岩手日日に掲載された相川屋の広告には、戦後の混乱から立ち上がり、新しい時代へと向かう当時の暮らしぶりが凝縮されています。まず目を引くのは、商品の分量を表す単位の混在です。和服一着分を基準とする伝統的な反という単位と、ヤード・ポンド法に基づいた碼(ヤール)という単位が同じ紙面に並んでい…
漫画「ウマ年の初荷」(S29.1.1岩手日日) i一関・西磐井郡

漫画「ウマ年の初荷」(S29.1.1岩手日日)

昭和29年元旦の岩手日日新聞に掲載されたこの漫画は、トラクターや軽トラックが普及する前の岩手において、馬がどれほど身近で大切な存在だったかを今に伝えています。 物語は午年を迎えた一頭の馬が、今年は自分の年だと意気込むところから始まります。最初は正月らしくのんびり遊ぼうと考えていた馬くんですが、近所の…
一ノ関機関区の機関庫が解体(昭和28年11月1日) i一関・西磐井郡

一ノ関機関区の機関庫が解体(昭和28年11月1日)

昭和28年11月1日の岩手日日より。 一ノ関機関区の機関庫の解体は始まったのだが、この11月中に終えようと急ピッチで工事が進められていた。 明治44年に建てられたばかりの頃は、東北一の機関区であったと言うが、時代の変遷とともに解体の運命となり、40年余りのお役目が終わりを告げるのであった。 &nbs…
カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日) i一関・西磐井郡

カバヤのカバさんが一関に来ます!(昭和28年9月23日)

昭和28年9月22日の岩手日日より。 お菓子メーカーのカバヤには本当にカバがいたようで、そのカバが一関~両磐~気仙沼を巡業するという。   Wikipediaによれば、そもそもの社名の由来は「戦後間もない頃に創業されたことから平和を愛し、おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採っ…
「アナタハンの女王」比嘉和子が一関に来ます!(昭和28年9月22日) i一関・西磐井郡

「アナタハンの女王」比嘉和子が一関に来ます!(昭和28年9月22日)

昭和28年9月22日の岩手日日より。 一関の新星劇場では、「アナタハン島の真相はこれだ」を上映するという。 「アナタハン島の真相はこれだ」は昭和28年4月10日公開の新大都映画。 新大都映画とはあまり聞かない名前だが、zames_makiさんという方のブログによれば、「1953年頃に際物作品をわずか…
一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日) i一関・西磐井郡

一ノ関周辺の担ぎ屋事情(S28.9.16岩手日日)

昭和28年当時、日本ではまだ戦後の食糧事情が完全には安定しておらず、米に関しても統制が続いていた。食糧管理制度のもとで米は政府が一括して買い上げ・配給を行っており、いわゆる「ヤミ米」の取り引きも根強く存在していた。担ぎ屋の中には、農村部で自家消費用や過剰に収穫した米を密かに持ち出し、都市部で高値で売…
冷害で不作の年、西磐井で最も深刻だったのは厳美村(S28.9.14岩手日日) i一関・西磐井郡

冷害で不作の年、西磐井で最も深刻だったのは厳美村(S28.9.14岩手日日)

昭和28年(1953年)の東北地方における米作は、記録的な冷害により深刻な被害を受けました。6月から7月にかけての低温、長雨、日照不足が稲の生育を大きく阻害し、特に出穂期から登熟期にかけての気温の低さが致命的でした。 この年の全国的な作況指数は83で不作とされましたが、東北地方ではさらに悪く、各県で…