i一関・西磐井郡

わが町 わが村「平泉町」 i一関・西磐井郡

わが町 わが村「平泉町」

昭和27年9月5日の岩手日報より。 「わが町 わが村 戦後版」というシリーズ物の記事で、この日は平泉町。 昔も今も、もちろん令和でも岩手県で観光地といえば平泉・中尊寺となる。 しかし、戦中の修学旅行が禁じられていた時期は、ペンペン草が生え金色堂から雨漏りがする有様であったという。 それが戦後の復興と…
秘湯・須川温泉に自動車道路が開通!(ただし秋田県側から…)(昭和27年9月2日) i一関・西磐井郡

秘湯・須川温泉に自動車道路が開通!(ただし秋田県側から…)(昭和27年9月2日)

新聞記事の表現を借りると「海抜五千尺」の秘境・須川温泉に自動車道路が開通し、昭和27年9月2日に初のトラックが須川温泉に到着した。 須川温泉は一応、岩手県西磐井郡厳美村(現:一関市)にあるのだが、今回開通した道路は秋田県の十文字からつながるもので、岩手県側からは相変わらず5里(20km)の山道を汗だ…
大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日)

昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校)    …
盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・一関・釜石で進学適性検査が行われる(昭和25年1月31日)

昭和25年2月1日の新岩手日報より。 当時の大学入学の共通テストである「進学適性検査」が、盛岡・一関・釜石の3会場で行われた。 当時は、大学入試センター試験も共通一次試験もないが、アメリカの意向によりそのようなテストが導入されたようだ。 ちなみに、昭和30年頃なくなったようであるが、以下の論文に詳し…
県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日)

昭和25年2月1日の岩手日報より。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した…
東北本線山目駅で貨車が脱線しダイヤ混乱(昭和24年1月17日) i一関・西磐井郡

東北本線山目駅で貨車が脱線しダイヤ混乱(昭和24年1月17日)

昭和24年1月18日の岩手日報より。 1月17日の昼下がり12時半ごろ、東北本線の山目駅で下り貨物列車の27両目が脱線して、それに続く4両も脱線してしまった。 それで東北本線は上下線とも支障をきたし、上り1202列車は2時間遅れ、盛岡19:19発上り急行列車は1時間遅れ、16:31発一関行き普通列車…
大船渡線を仙台管理部から盛岡管理部に移管なんて反対だ! i一関・西磐井郡

大船渡線を仙台管理部から盛岡管理部に移管なんて反対だ!

昭和23年9月14日の岩手新報より。 盛岡鉄道管理局が発足する昭和25年より以前は、東北の鉄道は仙台鉄道局の管轄であった。 その中でも「仙台管理部」「盛岡管理部」とあったのだが、大船渡線はこの時点では仙台管理部の管轄であった。 これを、盛岡管理部に移管しようという話になったのだが、沿線の市町村会がこ…
第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり c久慈・九戸郡

第1回統一地方選挙:27歳の村長が誕生したり、短刀で立候補を辞退させたり

自治体の首長を初めて選挙で選ぶことになった第1回統一地方選挙では。岩手県知事に「農民知事」国分謙吉氏が選出されたことで知られているが、町村長の選挙の方はなかなかカオスである。 昭和22年4月9日の岩手日報の記事を見てみると・・・ 下閉伊郡崎山村 下閉伊郡崎山村(現在の宮古市崎山)では、27歳の町長が…
第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日)

5月27日の海軍記念日は、日露の戦役で日本海海戦に勝利したことを記念して制定された。 第32回の記念日となる昭和12年のこの日は、岩手県内で以下のことが行われた。 盛岡市内各小学校でZ旗の掲揚。 Z旗は前日に盛岡海軍部・岩手艦橋会から寄贈されたもの。 岩手県公会堂では講演会と映画会。 講演講師は盛岡…
炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) i一関・西磐井郡

炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日)

昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭…