l全県 5月 29日 1963 便所はいかなる悪臭も完全に除く「エアーベンダー」で! 昭和38年5月29日の岩手日報の広告欄より。 当時の便所なので当然洋式でも水洗でもなくボットン便所である。 「いかなる悪臭も完全に除く」「便器底は水平なエアーカーテンにより悪臭は絶対上がりません」という相当な自信のほどである。 メーカーは「日本エアーベンダー」という会社で、東北では仙台市畳屋町に支店… 続きを読む
l全県 4月 3日 1963 岩手県知事選は全国に先駆けて記号式投票で(昭和38年4月3日) 昭和38年4月3日の岩手日報より。 4月17日に予定されていた岩手県知事選挙は立候補の届け出が4月2日の午後5時で締め切られることとなり、候補者は2人となった。 この選挙は、希望色の投票で行われることになり、全国の知事選挙でははじめてのケースとなった。 これが成功すれば、将来的には国会議員選挙でも希… 続きを読む
l全県 3月 30日 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
l全県 1月 8日 1962 台所文化の女王!水道式自動洗米器(昭和37年1月8日) 昭和37年1月8日の岩手日報の広告欄より。 水道式自動洗米器の広告が出ている。 やはり米を研ぐというのはそれなりに手間を感じることだったようだ。 それで「自動洗米器」が出て「冬季でも冷寒を覚えず愉快に洗米できます」「指先の美は少しも傷つけずに洗米できます」というコピーが出てくる。 なるほど、生活も近… 続きを読む
l全県 1月 8日 1962 4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日) 昭和37年1月8日の岩手日報より。 へき地の学校は人数が少なすぎて。2学年以上の児童・生徒を1人の教員が教える「複式学級」がかなり存在した。 岩手県の場合はこの時点で以下の通りだった。 小学校(599学級) 2学年受け持ち・・・396 3学年以上受け持ち・・・177 全学年受け持ち・・・26 中学校… 続きを読む
l全県 1月 5日 1962 中学浪人の絶滅目指して岩教祖が高校全入運動(昭和37年1月5日) 昭和37年1月5日の岩手日報より。 この当時…というか平成になっても続いていたのだが、高校入試で「中学浪人」が問題になっていた。 それで、高校全入運動を岩教祖が展開することになった。 ちなみに、岩手中央ゼミナールから「高校受験科」が廃止されるのは、平成20年(2008年)のことであった。  … 続きを読む
l全県 1月 4日 1962 農村を明るくしたテレビ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報より。 昭和33年に岩手県内でもテレビは本放送を開始して、農村にもテレビが普及するようになっていた。 その結果、生活が明るくなり、陰口なども減ったのだと言う。 … 続きを読む
l全県 1月 4日 1962 昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報の全面広告より。 岩手県内の自動車販売各社の自動車・オートバイのラインナップ。 コニーは日産系列の愛知機械工業が製造販売していた商用車ブランド。 マツダや東急くろがね工業も商用車(ライトバン)を中心としたラインナップを掲載しており、企業経営者や商店主を見込んだ広告にしてい… 続きを読む
l全県 1月 1日 1962 新産業都市の指定に向けてスタートの1年(昭和37年1月1日) 昭和37年1月1日の岩手日報より。 この年は、「新産業都市」えの指定に向けて、動き出そうとしていた。 … 続きを読む
l全県 3月 2日 1960 学校用務員に身分保証がなかった(昭和35年3月2日) 昭和35年3月2日の岩手日報より。 投書欄では、この当時の学校用務員の身分保証のなさを嘆いている。 当時は学校長の裁量で採用していたようだ。… 続きを読む
l全県 1月 17日 1960 高校入試の競争倍率は盛工機械科がトップ(昭和35年1月17日) 昭和35年1月17日の岩手日報より。 昭和35年度の公立高校一般入学試験者の願書受付は、1月25日から2月1日までに行われる予定であった。 これに先立って、志願予定数が16日に各学校長から県教育委員会に報告された。 例年によって、都市部の実業科が高騰しており、特に工業や商業が高倍率であった。 特に、… 続きを読む
l全県 1月 11日 1960 日本海に低気圧が発生し県内で大雪(昭和35年1月11日) 昭和35年1月11日の岩手日報より。 日本海に低気圧が発生し、東北地方に前線が横切り、その前線の北側では雪、南側では雨となった。 盛鉄局施設部保線課によれば、各駅の降雪量は以下の通り。(カッコ内は積雪量) 東北本線 一戸 10(10) 奥中山 10(55) 盛岡 15(20) 北上 5(5) 水沢 … 続きを読む
l全県 1月 6日 1960 杉浦幸雄「チャキチャキ娘」(昭和35年1月6日) 昭和35年1月6日の岩手日報より。 この当時連載されていた4コマ漫画は杉浦幸雄「チャキチャキ娘」。 杉浦は明治生まれであるが女性描写には定評があり、「ヒゲとボイン」の小島功にも影響を与えたという。 確かにシンプルな描線で描かれた女性は「令和の漫画」として掲載してもさほど違和感無く受け入れられるのでは… 続きを読む
l全県 1月 3日 1960 ラジオ・テレビ番組表(昭和35年1月3日) 昭和35年1月3日の岩手日報より。 この当時のラジオ・テレビ番組表。 岩手放送はテレビの方は「IBCテレビ」になっているが、ラジオは「ラジオ岩手」のまま。 … 続きを読む
l全県 12月 18日 1959 4コマ漫画に見る「学生運動が市民にどう思われていたか」(昭和34年12月18日) 昭和34年12月18日の岩手日報より。 この時に連載されていた「スカタン君」という4コマ漫画に、当時の学生運動がどのようにみられていたかを垣間見ることができる。 サラリーマン2名が赤ちょうちんで一杯やろうとしている。 そこへ酔っ払った学生がジグザグに歩いてくる。 まるで当時の安保反対のジグザグデモの… 続きを読む
l全県 9月 29日 1959 カミナリ親父とカミナリ族 昭和34年9月29日の岩手日報に掲載された漫画より。 カミナリ親父も寄る年波で引退だという。 しかし今度は息子の方がカミナリ族になっているというオチ。 当時、オートバイでスピードを出しまくる「カミナリ族」が各地で問題になっていた。… 続きを読む
l全県 9月 28日 1959 伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響 昭和34年9月、伊勢湾台風は名古屋を中心に甚大な影響を及ぼした。 https://www.youtube.com/watch?v=rcrtlhSHY7I 実は岩手県にもかなりの影響を及ぼしている。 その影響のほどを、昭和34年9月28日の岩手日報から抜き出してみたい。 気象記録としては、釜石で総降水… 続きを読む
l全県 9月 21日 1959 岩手日産「車は生きている・・・」 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 日産自動車の販売の広告ではなく、県内各整備工場の広告。 「あなたが選ぶ車のお医者様岩手日産は、すぐれた技術と純正部品であらゆる車の故障をケロリと直します」 というキャッチコピーも千両である。 … 続きを読む
l全県 9月 15日 1959 北朝鮮「帰還」のお知らせ(昭和34年9月15日) 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 (たまたま手元にあるのがこの日付の新聞であるというだけで、広告の掲載自体は9月15日の時点でしていた可能性はある) いわゆる「朝鮮人の帰国事業」についての広告。 日本と北朝鮮には国交がなく、両国の赤十字社を通じての帰国事業になったことは有名な話。 &nb… 続きを読む
l全県 3月 4日 1959 警察が自らグロ書籍!?『岩手の重要犯罪』に批判(昭和34年3月4日) 昭和34年2月25日、岩手県警察本部から『岩手の重要犯罪』という書籍が出版された。 https://twitter.com/bunko_kai/status/1296353280625217543 見ての通りの本である。 表紙を開いて早々、目に入るのはこの写真。 当然のように批判が集まることになった… 続きを読む
l全県 12月 13日 1958 昭和33年の岩手県10大ニュース 昭和33年12月13日の岩手日報によれば、「読者が選んだ県内十大ニュース」は以下の通りであったという。 国鉄職員ら6人が八幡平で遭難(560票) 盛岡で一家3人殺し(511票) 台風21・22号大荒れ(474票) 農民の父、国分謙吉翁死去(431票) 岩教祖の勤務評定反対闘争(424票) 四十五年来… 続きを読む
l全県 5月 20日 1958 にたもの親子「メクラでツンボ」(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報より。 連載されている漫画「にたもの親子」では選挙について扱っている。 5月22日には第28回衆議院議員総選挙が予定されていた時期であった。 乞食のようなボロボロの男も投票所へ行く。 そして問わず語りにいわく「あたしが投票した人は正直でウソを言わぬ人」。 ・・・と思った… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 ラジオ岩手の番組表(昭和33年4月19日) 昭和33年4月19日のラジオ岩手の番組表は以下の通りであった。 ちなみに昭和47年に単位がKCからkHzになり、昭和53年に10kHz刻みから9kHz刻みに変わる前のことである。 JODF(盛岡)580KC JODL(前沢)、JODM(釜石)1060KC 7:20 希望のアルバム 7:30 朝の童謡… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 亀を売りましょう! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 仙台市内の卸売業者であるが「亀を売りましょう!子供さんが喜びますよ!」と。 令和の今だと、このような売り方をしていると「命を『面白く売れる』とは何ごとですか!」などと、動物愛護的な所からクレームが来かねない調子のような気がする。 でもこの時代は昭和33年… 続きを読む
l全県 4月 18日 1958 中央の押し付けではなく、岩手県の実情に合った道徳教育をしよう(昭和33年4月18日) 昭和33年4月19日の岩手日報と、昭和33年4月20日の読売新聞岩手版より。 岩手県教育委員会は4月18日、指導主事室・県教育研究所・現場教員の三者で、「道徳教育研究機関」を設けることにした。 このことにより、県の実態に即した道徳教育を目指すというもの。 文部省の通達では「毎週1時間道徳教育の時間を… 続きを読む
l全県 8月 1日 1957 【赤線地帯を往く】(8)むすび(昭和32年4月1日) 昭和32年4月1日の岩手日報より。 売春防止法が公布され、施行まで1年を控え、岩手県内の赤線地帯も動揺が走っていた。 それで、県内に600にいたという売春婦の相談体制を拡充に努めていた。 … 続きを読む