l全県 1 12月 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 11月 1967 県内12市の1人当たりの売上高(昭和42年11月14日) 昭和42年11月14日の岩手東海新聞より。 県内12市の1人当たりの売上高について記載があり、釜石市は盛岡・花巻・一関・北上に次いで5番目。 また、二戸市はこの時点ではまだ市制していない。… 続きを読む
l全県 8 5月 1967 農繁期になると子供の線路遊びが増える 昭和42年5月8日の岩手日報より。 5月に入り、農繁期に入ると、子供の面倒を見る暇がなくなり、子供が危険な遊びに走るようになるという。 その一つが線路遊び。 線路に侵入して置き石をしたり、列車に石を投げたり。 盛岡鉄道管理局では、この5月を「列車妨害防止月間」として、沿線各市町村に協力を要請したのだ… 続きを読む
l全県 1 7月 1966 興産相互銀行が「北日本相互銀行」に改称(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行は、この7月1日より、「北日本相互銀行」と解消することになった。 現在の北日本銀行である。… 続きを読む
l全県 2 3月 1966 新しい興産相互銀行のマークです(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 興産相互銀行の新しいマークをお披露目。 北日本相互銀行になってからも使用してたはず。 … 続きを読む
l全県 1 1月 1966 1月1日からの消費者米価と配給品目(昭和41年1月1日) 昭和41年1月4日の岩手日報の広告欄より。 この時点の食糧管理制度上はまだ米は「配給」されるものだった。 … 続きを読む
l全県 22 10月 1965 農閑期を利用して神奈川県に出稼ぎしましょう!(昭和40年10月22日) 昭和40年10月22日の岩手日報より。 岩手県内の複数の職業安定所で、神奈川県内の複数の事業所による求人広告を出していた。… 続きを読む
l全県 21 10月 1965 1平米で設置できるコンパクトな風呂「ほくさんバスオール」(昭和40年10月21日) 昭和40年10月21日の岩手日報より。 1平方メートルつまり半畳で設置できるという風呂「ほくさんバスオール」の広告。 当時であれば、集合住宅などに当然のように風呂があったわけではなく、「もらい湯」という習慣も残っていただろうからそれなりに重宝したのだろうか。 … 続きを読む
l全県 18 10月 1965 リッカーの家電事業進出による大量募集!(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 リッカーミシンが家電事業に進出することにより、社員をしんきぼしゅうすることになった。… 続きを読む
l全県 11 10月 1965 新型踏切で事故を防げ!(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 車の増加により、踏切事故も増大していた。 そのことに国鉄は悩まされていた。 そこで、赤外線による障害物検知装置や重力式遮断機を開発し、各路線に付けることになった。 赤外線による障害物検知装置は、踏切の両側から赤外線を出してそれが阻害されたら警報を出して列車に異… 続きを読む
l全県 11 10月 1965 本屋のハタキとミニスカート(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 この当時連載されていた4コマ漫画「ケロちゃん」では、本屋がテーマとなっている。 本を買いもせず立ち読みしていると、店主が叩きを持って追い払いに来ると言うのはよくある風景であった。 本を買いもせず立ち読みしていると、店主がハタキを持って追い払いに来ると言うのはよ… 続きを読む
l全県 9 10月 1965 岩手でも蔓延る「睡眠薬遊び」(昭和40年10月9日) 昭和40年10月9日の岩手日報より。 この時期、若者の睡眠薬遊びやシンナー遊びが社会問題になっていたようだが、岩手でもそれは例外ではなかったようだ。 この記事では、その被害を説いている。 … 続きを読む
l全県 6 4月 1965 あなたのお宅も… 日立パネコン冷蔵庫!(昭和40年4月6日) 昭和40年4月6日の岩手日報より。 日立ではパネコン冷蔵庫の広告を出している。 月賦でも販売するらしい。 考えてみれば、冷蔵庫が一般的ではなかった時代はどんな食生活を送っていたんだろう? … 続きを読む
l全県 2 4月 1965 全逓が超勤拒否で郵便物に影響か(S40.4.2岩手日報) この頃の全逓は「戦う労組」だった。 この時も超勤拒否闘争で給与体系の不均衡を改正させようとしていた。 … 続きを読む
l全県 24 11月 1964 茶の間さん「オリンピックでアテが外れた分を取り戻せ」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月24日の岩手日報より。 連載されていた4コマ漫画では、東京オリンピックをテーマにしている。 この年の東京オリンピックは10月24日に閉幕している。 それは国内のどの商売をする店にとっても一大商機であったはずだが、この漫画の店ではアテが外れたようだ。 それで「取り返してこい!」と旦那に… 続きを読む
l全県 1 8月 1964 東京オリンピックは人工頭脳テレビで!(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 東京オリンピックを10月に控え、カラーテレビ商戦が白熱していた。 … 続きを読む
l全県 29 5月 1963 便所はいかなる悪臭も完全に除く「エアーベンダー」で! 昭和38年5月29日の岩手日報の広告欄より。 当時の便所なので当然洋式でも水洗でもなくボットン便所である。 「いかなる悪臭も完全に除く」「便器底は水平なエアーカーテンにより悪臭は絶対上がりません」という相当な自信のほどである。 メーカーは「日本エアーベンダー」という会社で、東北では仙台市畳屋町に支店… 続きを読む
l全県 3 4月 1963 岩手県知事選は全国に先駆けて記号式投票で(昭和38年4月3日) 昭和38年4月3日の岩手日報より。 4月17日に予定されていた岩手県知事選挙は立候補の届け出が4月2日の午後5時で締め切られることとなり、候補者は2人となった。 この選挙は、希望色の投票で行われることになり、全国の知事選挙でははじめてのケースとなった。 これが成功すれば、将来的には国会議員選挙でも希… 続きを読む
l全県 30 3月 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
l全県 8 1月 1962 台所文化の女王!水道式自動洗米器(昭和37年1月8日) 昭和37年1月8日の岩手日報の広告欄より。 水道式自動洗米器の広告が出ている。 やはり米を研ぐというのはそれなりに手間を感じることだったようだ。 それで「自動洗米器」が出て「冬季でも冷寒を覚えず愉快に洗米できます」「指先の美は少しも傷つけずに洗米できます」というコピーが出てくる。 なるほど、生活も近… 続きを読む
l全県 8 1月 1962 4月から複式学級の教員の手当増額します(昭和37年1月8日) 昭和37年1月8日の岩手日報より。 へき地の学校は人数が少なすぎて。2学年以上の児童・生徒を1人の教員が教える「複式学級」がかなり存在した。 岩手県の場合はこの時点で以下の通りだった。 小学校(599学級) 2学年受け持ち・・・396 3学年以上受け持ち・・・177 全学年受け持ち・・・26 中学校… 続きを読む
l全県 5 1月 1962 中学浪人の絶滅目指して岩教祖が高校全入運動(昭和37年1月5日) 昭和37年1月5日の岩手日報より。 この当時…というか平成になっても続いていたのだが、高校入試で「中学浪人」が問題になっていた。 それで、高校全入運動を岩教祖が展開することになった。 ちなみに、岩手中央ゼミナールから「高校受験科」が廃止されるのは、平成20年(2008年)のことであった。  … 続きを読む
l全県 4 1月 1962 農村を明るくしたテレビ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報より。 昭和33年に岩手県内でもテレビは本放送を開始して、農村にもテレビが普及するようになっていた。 その結果、生活が明るくなり、陰口なども減ったのだと言う。 … 続きを読む
l全県 4 1月 1962 昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報の全面広告より。 岩手県内の自動車販売各社の自動車・オートバイのラインナップ。 コニーは日産系列の愛知機械工業が製造販売していた商用車ブランド。 マツダや東急くろがね工業も商用車(ライトバン)を中心としたラインナップを掲載しており、企業経営者や商店主を見込んだ広告にしてい… 続きを読む
l全県 1 1月 1962 新産業都市の指定に向けてスタートの1年(昭和37年1月1日) 昭和37年1月1日の岩手日報より。 この年は、「新産業都市」えの指定に向けて、動き出そうとしていた。 … 続きを読む