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一ノ関駅に停車中の列車の中から嬰児の死体(昭和31年1月22日) i一関・西磐井郡

一ノ関駅に停車中の列車の中から嬰児の死体(昭和31年1月22日)

昭和31年1月25日のデーリー東北より。 1月22日、23時55分ごろ、東北本線の一ノ関駅に停車中の上り146列車の車掌室の椅子の下から、男の赤ちゃんの死体が発見されたのである。 恐ろしい話ではあるが、なぜ一関の話が八戸のデーリー東北で報じられたのか? それは、生の証言より、古間木〜三戸の間で持ち込…
「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(昭和31年1月14日) m県外・参考

「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(昭和31年1月14日)

昭和31年1月14日の岩手日報より。 岩手県には関係ないニュースではあるが、岩手日報で報じられていたので。 「ハハのんきだね~」で知られる石田一松は、この年の1月11日に胃ガンで逝去している。 戦後すぐは代議士に当選して活躍していたが、長年のヒロポン中毒で体はボロボロであったという。 ガンが発見され…
樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日) l全県

樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日)

昭和31年1月7日の岩手日報より。 終戦して10年以上が経過した。 しかし樺太への預金が残っているなど、いろいろな問題が残っていたようである。 それで、北海道拓殖銀行では「樺太に預金があった人は拓銀の各支店に申し出てください」と広告を出している。 確かに、盛岡市内だと青山町には樺太からの引き上げ者が…
いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) l全県

いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日)

昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?…
河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) l全県

河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日)

昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・    …
岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察

昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 …
岩手の水産物が東京のデパートで好評(昭和30年11月29日) m県外・参考

岩手の水産物が東京のデパートで好評(昭和30年11月29日)

昭和30年11月29日の岩手日報より。 東京は上野松坂屋で、北海道・東北の海産物を集めた「北日本水産物大会」を行っていた。 岩手県からは以下のものを出品していた。 だし昆布(田老町) とろろ昆布(田老町) おたふくするめ(山田町) のしいか(宮古市) ホヤの塩辛(越喜来村) 焼ウニ(重茂村) 一塩ア…
大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日)

昭和30年11月29日の岩手日報より。 昭和9年は伝説的な凶作であった。 秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。 それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。 そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が…
社会党でも国会議員なら移動は特急つばめの展望車 m県外・参考

社会党でも国会議員なら移動は特急つばめの展望車

昭和30年11月5日の岩手日報より。 この年の10月まで、社会党は右派社会党と左派社会党に分かれていたものが統一したのである。 それで、統一した社会党としての遊説を行うべく鈴木茂三郎委員長や浅沼稲次郎書記長らは特急「つばめ」で大阪を目指したのである。 社会党とはいえ国会議員なら「つばめ」の1等展望車…
仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日) m県外・参考

仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日)

昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 同じ紙面では「仙台に負けまい」と盛岡で七夕が開幕したというニュースが報じられているが・・・   いくら盛岡で「仙台に負けない七夕を」と報じたとは言っても、しょせん河北新報は仙台の新聞である。 広告は仙台のものだし、七夕なら仙台の七夕なのである。 &…
岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」

昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手…
【参考】宇高連絡船紫雲丸沈没事故 事故

【参考】宇高連絡船紫雲丸沈没事故

岩手県のニュースではないが、この沈没事故の3日後に、岩手県で北上バス転落事故が発生する。 とかく修学旅行生に難が発生し、全国的に議論になっている時期であった。 そのような事代相の参考として掲載する。 https://youtu.be/A-3Zc-rfvo4…
仙台市内の裁縫学校入学案内(昭和30年1月29日) m県外・参考

仙台市内の裁縫学校入学案内(昭和30年1月29日)

昭和30年1月29日の河北新報岩手版より。 仙台市内の学校入学案内があるが、ほとんどが裁縫学校。 平成以降であれば、裁縫学校とはファッションを仕事にする人のためのための学校となっているが、この時代であれば服地を何ヤール買ってミシンで作っていたであろうから、かなりの女性に需要があったのだろう。 &nb…
岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日) g北上・和賀郡

岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日)

近江絹糸争議は、日本の労働運動史上でも有名な事件として今でも語り継がれている。 「近江」というくらいなので、中心は滋賀県であり、全国の事業所でも争議は発生していたが、岩手県に近江絹糸の事業所はなかった。 しかし、岩手県出身者も働いており、全く無関係と言うわけではなかった。 県人負傷 昭和29年7月1…
山形県から山伏姿の観光キャラバン a盛岡・岩手郡・紫波郡

山形県から山伏姿の観光キャラバン

山形県の庄内から、山伏姿の観光キャラバンの一行41名がバス3台に分乗して盛岡までやってきた。 庄内観光協会の一行は盛岡の松屋デパート前や教育会館前で出羽三山の山伏勧進や湯田川温泉の神楽、庄内美人のおばこ舞を披露した。 盛岡市観光協会では歓迎の花束を贈ったという。 昭和29年4月17日読売新聞岩手版よ…
まだ引揚げせず中国に残っている岩手県出身者は75名(昭和29年3月3日) m県外・参考

まだ引揚げせず中国に残っている岩手県出身者は75名(昭和29年3月3日)

昭和29年3月3日の岩手日報より。 この前年の昭和28年、中国(記事内の表現では「中共」)からの引揚げが第7次にわたって行われた。 これで帰国した岩手県関係の引揚者は193世帯、339名であったが、まで引き上げていない60世帯、75名がいることが分かった。 中国側では「もう引揚げ希望は無いもの」とし…
外国航路の船員に所得税滞納の差押が来てビックリ(昭和28年11月29日) h水沢・江刺・胆沢郡

外国航路の船員に所得税滞納の差押が来てビックリ(昭和28年11月29日)

昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 外国航路の船員が、所得税を差し押さえられると言う珍事が発生した。 これは、日本郵船の船員で、胆沢郡佐倉河村出身の23歳の男性。 これは、本籍地の佐倉河村で、昭和26年度以降の所得税9000円余りが滞納になっていたと言うもので、オーストラリアのブリスベーンに…