l全県 1月 23日 1956 東北六県の貯金額は過去にない増加(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 仙台からのニュースで、東北郵政局管内の貯金額はどこでも過去にない増加であることが報じられている。 … 続きを読む
l全県 1月 23日 1956 国土開発調整費の対象は北上地域が有力(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 当時の経済企画庁の国土開発調整費の予算案が示され、その対象として北上川流域地域が有力ではないかというニュース。 このほかに、1万円札がお目見え、軽米の葉タバコのニュースなども。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 22日 1956 一ノ関駅に停車中の列車の中から嬰児の死体(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日のデーリー東北より。 1月22日、23時55分ごろ、東北本線の一ノ関駅に停車中の上り146列車の車掌室の椅子の下から、男の赤ちゃんの死体が発見されたのである。 恐ろしい話ではあるが、なぜ一関の話が八戸のデーリー東北で報じられたのか? それは、生の証言より、古間木〜三戸の間で持ち込… 続きを読む
m県外・参考 1月 22日 1956 アメリカ中古服大特売会。ただし仙台で(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 仙台の東殖百貨店で質流れ洋服とアメリカ中古服の大特売会を行うという。 やはり河北新報だけに仙台の広告がよく流れて来る。 アメリカ中古服の流通ルートはやはり苦竹の米軍キャンプだったのだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 1月 14日 1956 「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 岩手県には関係ないニュースではあるが、岩手日報で報じられていたので。 「ハハのんきだね~」で知られる石田一松は、この年の1月11日に胃ガンで逝去している。 戦後すぐは代議士に当選して活躍していたが、長年のヒロポン中毒で体はボロボロであったという。 ガンが発見され… 続きを読む
l全県 1月 7日 1956 樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 終戦して10年以上が経過した。 しかし樺太への預金が残っているなど、いろいろな問題が残っていたようである。 それで、北海道拓殖銀行では「樺太に預金があった人は拓銀の各支店に申し出てください」と広告を出している。 確かに、盛岡市内だと青山町には樺太からの引き上げ者が… 続きを読む
l全県 1月 4日 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
l全県 1月 1日 1956 河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 29日 1955 岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 … 続きを読む
m県外・参考 11月 29日 1955 岩手の水産物が東京のデパートで好評(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 東京は上野松坂屋で、北海道・東北の海産物を集めた「北日本水産物大会」を行っていた。 岩手県からは以下のものを出品していた。 だし昆布(田老町) とろろ昆布(田老町) おたふくするめ(山田町) のしいか(宮古市) ホヤの塩辛(越喜来村) 焼ウニ(重茂村) 一塩ア… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 29日 1955 大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 昭和9年は伝説的な凶作であった。 秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。 それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。 そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 27日 1955 東北地方主要都市の人口(昭和30年11月27日) 昭和30年11月27日の岩手日報より。 国勢調査の結果が出て、東北地方各都市の人口がまとまった。 当時の盛岡は14万人。しかし岩手県の人口は140万人と現在よりむしろ多く、いかに農村部に人口が分散していたかということがわかる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 23日 1955 勤労感謝の日を記念して東京の時計店が時計を特売!(昭和30年11月23日) 昭和30年11月23日の岩手日報より。 東京の時計店が大々的に時計の大売出しをしている模様。 全国の地方新聞にこのように広告を出したのだろうか。… 続きを読む
m県外・参考 11月 5日 1955 社会党でも国会議員なら移動は特急つばめの展望車 昭和30年11月5日の岩手日報より。 この年の10月まで、社会党は右派社会党と左派社会党に分かれていたものが統一したのである。 それで、統一した社会党としての遊説を行うべく鈴木茂三郎委員長や浅沼稲次郎書記長らは特急「つばめ」で大阪を目指したのである。 社会党とはいえ国会議員なら「つばめ」の1等展望車… 続きを読む
m県外・参考 8月 19日 1955 仙台・藤崎デパートでは決算後大処分市(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 岩手版とはいっても河北新報なので、広告欄は仙台中心になっている。 仙台の藤崎デパートの決算後大処分市の広告で、当時の衣料品の価格が解ろうというもの。… 続きを読む
g北上・和賀郡 8月 12日 1955 気仙沼花火大会と北上灯ろう流しに臨時列車(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 盛鉄局旅客課では、8月14日の気仙沼花火大会と、8月16日の北上灯ろう流しで以下の通り臨時列車を運行するという。 8月14日 574レ 気仙沼22:24~陸中松川23:56 8月16日 4711レ 北上22:02~陸中川尻23:13 467レ 北上21:0… 続きを読む
m県外・参考 8月 7日 1955 仙台ゆべしの広告も七夕ムード(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 同じ紙面では「仙台に負けまい」と盛岡で七夕が開幕したというニュースが報じられているが・・・ いくら盛岡で「仙台に負けない七夕を」と報じたとは言っても、しょせん河北新報は仙台の新聞である。 広告は仙台のものだし、七夕なら仙台の七夕なのである。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 18日 1955 岩手からブラジルに移民「ドシドシ移民お待ちしてま~す」 昭和30年5月18日の岩手日報より。 盛岡からブラジルに移民した養蚕農家の話を伝えている。 昭和29年7月に戦後初の養蚕移民としてサンパウロ州バストスに移民したのだという。 そして9月11日にバストスに到着し、元気に働き始めたのだという。 このバストス、「日本人は9割、外人は1割」なのだそうで、岩手… 続きを読む
事故 5月 11日 1955 【参考】宇高連絡船紫雲丸沈没事故 岩手県のニュースではないが、この沈没事故の3日後に、岩手県で北上バス転落事故が発生する。 とかく修学旅行生に難が発生し、全国的に議論になっている時期であった。 そのような事代相の参考として掲載する。 https://youtu.be/A-3Zc-rfvo4… 続きを読む
m県外・参考 1月 29日 1955 仙台市内の裁縫学校入学案内(昭和30年1月29日) 昭和30年1月29日の河北新報岩手版より。 仙台市内の学校入学案内があるが、ほとんどが裁縫学校。 平成以降であれば、裁縫学校とはファッションを仕事にする人のためのための学校となっているが、この時代であれば服地を何ヤール買ってミシンで作っていたであろうから、かなりの女性に需要があったのだろう。 &nb… 続きを読む
備考※1 12月 2日 1954 【参考】引揚船興安丸帰る 昭和29年12月2日の中日ニュースより。 シベリアからの引揚船・興安丸が舞鶴に入港。 「岸壁の母」でも知られる。 https://youtu.be/qACd4_aNuAM… 続きを読む
事故 9月 26日 1954 【参考】洞爺丸台風 昭和29年9月26日、台風第15号で洞爺丸が遭難。 https://www.youtube.com/watch?v=Y70oUstzqCI… 続きを読む
g北上・和賀郡 7月 14日 1954 岩手県出身者も無傷ではなかった近江絹糸争議(昭和29年7月14日) 近江絹糸争議は、日本の労働運動史上でも有名な事件として今でも語り継がれている。 「近江」というくらいなので、中心は滋賀県であり、全国の事業所でも争議は発生していたが、岩手県に近江絹糸の事業所はなかった。 しかし、岩手県出身者も働いており、全く無関係と言うわけではなかった。 県人負傷 昭和29年7月1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 16日 1954 山形県から山伏姿の観光キャラバン 山形県の庄内から、山伏姿の観光キャラバンの一行41名がバス3台に分乗して盛岡までやってきた。 庄内観光協会の一行は盛岡の松屋デパート前や教育会館前で出羽三山の山伏勧進や湯田川温泉の神楽、庄内美人のおばこ舞を披露した。 盛岡市観光協会では歓迎の花束を贈ったという。 昭和29年4月17日読売新聞岩手版よ… 続きを読む
m県外・参考 3月 3日 1954 まだ引揚げせず中国に残っている岩手県出身者は75名(昭和29年3月3日) 昭和29年3月3日の岩手日報より。 この前年の昭和28年、中国(記事内の表現では「中共」)からの引揚げが第7次にわたって行われた。 これで帰国した岩手県関係の引揚者は193世帯、339名であったが、まで引き上げていない60世帯、75名がいることが分かった。 中国側では「もう引揚げ希望は無いもの」とし… 続きを読む
備考※1 3月 1日 1954 【参考】第五福龍丸がビキニ環礁で「死の灰」被爆 静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福龍丸」がビキニ環礁で被爆。 岩手とは直接関係のないニュースではあるが時代相を示す参考として。 https://youtu.be/UxKkhzZmw9g … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 29日 1953 外国航路の船員に所得税滞納の差押が来てビックリ(昭和28年11月29日) 昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 外国航路の船員が、所得税を差し押さえられると言う珍事が発生した。 これは、日本郵船の船員で、胆沢郡佐倉河村出身の23歳の男性。 これは、本籍地の佐倉河村で、昭和26年度以降の所得税9000円余りが滞納になっていたと言うもので、オーストラリアのブリスベーンに… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 野間宏の考える「仮名遣いと当用漢字」(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 なぜか、作家の野間宏の記事が載っている。 仮名遣いと当用漢字に関してである。 ちなみに、野間宏自身は兵庫県出身で、関西生寺版として活躍していた小説家であり、岩手とは関係ない。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1953 海外への客船の便はこれだけあった(昭和28年3月4日) 昭和28年3月4日の読売新聞岩手版の広告欄より。 岩手県内のニュースとは関係なく、横浜や神戸などからの船便の出発情報であるが、かなりの便数が出ていたことがわかる。 まだブラジルへの移民も多い時期で、北米航路のみならずムンバイや南米などといった航路もある。 … 続きを読む