m県外・参考 1 1月 1958 漢詩で新年を寿ぐやたら教養の深い八戸のキャバレー(昭和33年1月1日) 昭和33年1月1日のデーリー東北より。 七言絶句となっているが韻をふんでいるかは不明。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 27 10月 1957 宮古二中の生徒が文通で八戸を紹介(昭和32年10月27日) 昭和32年10月27日のデーリー東北より。 宮古二中の生徒が、全国と文通をしていたが、その中で、八戸市教育委員会にも手紙を送ってきたようで、八戸を水産都市として紹介してどうたらこうたらと言う記事。 … 続きを読む
m県外・参考 8 10月 1957 八戸・丸美屋の布団綿入れ実演会!(昭和32年10月8日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋デパートでは布団の綿入れ実演会を行うという。 この時期の1000円というのがどのくらいかは分からないが… … 続きを読む
m県外・参考 3 10月 1957 南部せんべいは八戸の名物・・・なのか?(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 南極越冬隊の食料として、青森県からは南部せんべい・イカの塩辛・津軽味噌を送ることとなった。 それで、八戸のデパートである丸美屋では商工会議所の協力を得て発送作業を行うこととなった。 南部せんべいは石油缶10本、塩辛は2貫樽5個に詰められて運び出されるという。… 続きを読む
m県外・参考 3 10月 1957 東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 広告欄の一番下には三八五運送の広告。 この時期から既に東京までトラックで運んでいたのだろうか? 国道4号線すら「酷道」と呼ばれ、舗装すらされていなかった時期である。 ちなみに岩手県内で出てくる地名は一ノ関、水沢、盛岡、軽米、大野、久慈、種市。… 続きを読む
m県外・参考 1 10月 1957 八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日) 昭和32年10月1日のデーリー東北より。 八戸のキャバレーは「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」と。 この時期は、話し言葉もこんな「てよだわ調」だったのだろうか。 デーリー東北なら岩手県でも久慈や二戸ぐらいなら購読者がいる。 何かの用事で八戸に行ったついでに寄った人もいたかもしれない。 … 続きを読む
m県外・参考 20 4月 1957 タカラビール出荷します 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 宝酒造は京都に本社があり、工場が岩手県内にある訳でもないので直接岩手に関係があるわけではないが、迫力のあるコマーシャルなので載せることに。 また、現在の自動車のナンバーが何故トラックが「1」で、バスが「2」なのか分かったような気がしたのだ。 自動車という… 続きを読む
m県外・参考 1 4月 1957 花輪線の小豆沢駅は「八幡平駅」になります 昭和32年4月1日の岩手日報より。 秋田県鹿角郡は秋田県ではあるものの「陸中国」となる。 そのせいでか、岩手銀行や東北銀行の支店があったり、鹿角郡のニュースがこのように掲載されたりする。 その秋田県鹿角郡の宮川村と曙村は前年の昭和31年6月15日に合併し「八幡平村」となっていた。 そこで、花輪線の小… 続きを読む
m県外・参考 6 2月 1957 丸善仙台支店「英国製自動謄写輪転機は21万5千円!」(昭和32年2月6日) 昭和32年2月6日の河北新報岩手版より。 岩手版とは言っても河北新報なので仙台の広告が出てくる。 ちなみに英ゲステットナー社は史上初めて謄写版を発明した会社のようだが、平成7年にリコーの子会社となり、平成19年には「Ricoh Europe」となっている。 … 続きを読む
m県外・参考 21 1月 1957 東京都内私立大学入学案内(昭和32年1月21日) 昭和32年1月21日の河北新報岩手版より。 広告欄には東京都内の私立大学の案内が。 どのくらいの家庭の子が入学できて、どんな就職先に就職できて、どう扱われたのかは不明。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1957 東北各県の県都の正月風景(昭和32年1月5日) 昭和32年1月5日の河北新報岩手版より。 さすがは河北新報だけに、東北各地を俯瞰している。 左上;山形市内の目抜き通り 左下:福島市内の児童公園の冬籠もり 中央:青森市役所新庁舎から見た市内。 右上:盛岡市中ノ橋通り 右下:秋田市中央通りと 久保田町 … 続きを読む
m県外・参考 28 4月 1956 北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日) 昭和31年4月29日の岩手日報より。 日ソ漁業交渉が難航する中、北洋サケ・マス船団はベーリング海に向けて函館を出港して行った。 この中には岩手県の漁船も多く含まれている。 ちなみに、日ソ漁業条約はこの5月に成立することとなった。 … 続きを読む
m県外・参考 23 4月 1956 北朝鮮からの帰国船「こじま」舞鶴港に到着(S31.4.23岩手日報) 戦争が終わって11年、大陸からの帰国者はまだ全て帰還できたわけではなかった。 北朝鮮からの帰国船「こじま」が舞鶴に到着し、それぞれの故郷に旅立っていったというニュース。 ここには、岩手県関係者がいるかどうかは書いていない。 … 続きを読む
m県外・参考 22 3月 1956 NHK仙台放送局でテレビ放送開始!テレビを買いましょう(昭和31年3月22日) 昭和31年3月22日の河北新報岩手版より。 NHK仙台放送局でテレビ放送を開始したことにより、テレビの商戦が激しくなってきたようだ。 ただし、岩手県内でどれだけ視聴できたかは不明。… 続きを読む
m県外・参考 9 2月 1956 仙台・丸光で旧正月の大売出し(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 いかに大都会仙台でも旧正月の方がお祝いだったようである。 当時の物価にも注目。 … 続きを読む
m県外・参考 9 2月 1956 仙台・長崎屋のカステラ(昭和31年2月9日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 岩手版ではあるのだが広告欄は仙台ばかり。 これは仙台市東三番丁の長崎屋のカステラ。 個人的に汽車絵が可愛いので、Twitterアイコンにすることにした。 … 続きを読む
m県外・参考 7 2月 1956 仙台三越では旧正月の大売り出し(昭和31年2月7日) 昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 岩手版とは言っても、河北新報なので広告欄は仙台のものとなっている。 仙台三越では、旧正月の大売り出しをやると言う。 旧正月が生活に根付いてるあたり、東北地方は同郷国であると言う印象が深い。 … 続きを読む
l全県 1 2月 1956 木炭は減産で高値続く(S31.2.1デーリー東北) 木炭は収穫の減少もあり減産で、高値が続いていたようだ。 デーリー東北であるが盛岡市場の市況も書いているので。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 27 1月 1956 久慈映画案内(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 久慈市内には映画館が2館あったようで、その案内が掲載されている。 ちなみに、これが八戸だと、このくらい大きく扱ってくれる。… 続きを読む
l全県 23 1月 1956 東北六県の貯金額は過去にない増加(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 仙台からのニュースで、東北郵政局管内の貯金額はどこでも過去にない増加であることが報じられている。 … 続きを読む
l全県 23 1月 1956 国土開発調整費の対象は北上地域が有力(昭和31年1月23日) 昭和31年1月23日のデーリー東北より。 当時の経済企画庁の国土開発調整費の予算案が示され、その対象として北上川流域地域が有力ではないかというニュース。 このほかに、1万円札がお目見え、軽米の葉タバコのニュースなども。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 22 1月 1956 一ノ関駅に停車中の列車の中から嬰児の死体(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日のデーリー東北より。 1月22日、23時55分ごろ、東北本線の一ノ関駅に停車中の上り146列車の車掌室の椅子の下から、男の赤ちゃんの死体が発見されたのである。 恐ろしい話ではあるが、なぜ一関の話が八戸のデーリー東北で報じられたのか? それは、生の証言より、古間木〜三戸の間で持ち込… 続きを読む
m県外・参考 22 1月 1956 アメリカ中古服大特売会。ただし仙台で(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 仙台の東殖百貨店で質流れ洋服とアメリカ中古服の大特売会を行うという。 やはり河北新報だけに仙台の広告がよく流れて来る。 アメリカ中古服の流通ルートはやはり苦竹の米軍キャンプだったのだろうか。 … 続きを読む
m県外・参考 14 1月 1956 「ハハのんきだね」石田一松のガン闘病に同僚芸人が助け合い運動(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 岩手県には関係ないニュースではあるが、岩手日報で報じられていたので。 「ハハのんきだね~」で知られる石田一松は、この年の1月11日に胃ガンで逝去している。 戦後すぐは代議士に当選して活躍していたが、長年のヒロポン中毒で体はボロボロであったという。 ガンが発見され… 続きを読む
l全県 7 1月 1956 樺太の拓銀に預金のあった人はお申し出ください!(昭和31年1月7日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 終戦して10年以上が経過した。 しかし樺太への預金が残っているなど、いろいろな問題が残っていたようである。 それで、北海道拓殖銀行では「樺太に預金があった人は拓銀の各支店に申し出てください」と広告を出している。 確かに、盛岡市内だと青山町には樺太からの引き上げ者が… 続きを読む
l全県 4 1月 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 11月 1955 岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 … 続きを読む
m県外・参考 29 11月 1955 岩手の水産物が東京のデパートで好評(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 東京は上野松坂屋で、北海道・東北の海産物を集めた「北日本水産物大会」を行っていた。 岩手県からは以下のものを出品していた。 だし昆布(田老町) とろろ昆布(田老町) おたふくするめ(山田町) のしいか(宮古市) ホヤの塩辛(越喜来村) 焼ウニ(重茂村) 一塩ア… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 11月 1955 大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 昭和9年は伝説的な凶作であった。 秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。 それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。 そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が… 続きを読む