a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1949 国鉄労組盛岡支部「断固職場を死守せよ!」(昭和24年7月2日) 吉田首相の行政整理の方針に基づき、盛岡管内でも2052人の首切りが発表されることになった。 それで、国鉄労組盛岡支部の本部には「断固職場を死守せよ」と、2日の朝から組合旗が掲げられることになった。 闘争本部では、整理発表の当日の20時30分に本部指令を出し、傘下35分会に闘争指令を発した。 これに対… 続きを読む
m県外・参考 7月 1日 1949 国鉄の行政整理基準が決まる(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 政府は、国鉄の人員整理を決めていたが、その基準を下山国鉄総裁と、組合側の代表との会見で話した。 国鉄の業務に対しどの程度協力したかを最大の基準として、各所属長の責任で認定させる 優劣をつけがたいものは、勤続年数によって算出された一定の順位によって優劣を分ける。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1949 国鉄盛岡管理部管内では2052名の人員整理予定(昭和24年7月1日) 昭和24年7月1日、14時から吉田首相は官邸で会見を行った。 「行政整理はあくまで断行する」 つまり、国鉄の人員整理はあくまでも予定通り行うということを断言した。 当時、岩手県内の国鉄路線は仙台鉄道局盛岡管理部によって管轄されていた。 盛鉄管内の定員は業務員7,019名、養成中の者316名、無給職員… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 30日 1949 県営第2回盛岡競馬 県営第2回盛岡競馬は、昭和24年6月30日午前11日から黄金競馬場で開催された。 総売り上げは79万円であったという。 第1競馬 速歩(丁3級)2400m 単46、複21・25 ポーラン(6′25″2) ビイガ ホシヒメ 第2競馬 かけ歩(丁級)800m 単33、複24・42 サワダ(1′5″1) … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 30日 1949 「聖なる右腕」盛岡入り(昭和24年6月30日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 フランシスコ・ザビエルの「聖なる右腕」が盛岡入りしたというニュース。 種子島にも上陸しキリスト教と鉄砲を伝えたというザビエルは、死んだ時に右腕が切れており、それは全く腐らず「医学界の奇跡」とされていたのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 29日 1949 盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 盛岡市穀町(現在の南大通)に、子供たちにお金をまくアメリカ人少女が現れたという。 その少女は名前も名乗らずにどこかへ消えたのだという。 これに対しGHQの岩手軍政部では「アメリカではいつものこと」とコメントした。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 8日 1949 盛岡中劇で「地下街の弾痕」公開(S24.5.8新岩手日報) 盛岡中劇で「地下街の弾痕」を翌日(S24.5.9)に公開するという。 「地下街の弾痕」は、昭和24年5月2日に初公開の大映作品で、「大映京都が国家警察大阪管区本部の指導を受けて制作する密輸団検挙に活躍する警官隊の労苦をえがいた映画」なのだそうだ。 出演は二本柳寛・京マチ子・志村喬など。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 5月 7日 1949 西磐井郡金沢小・中学校は全焼し「青空教室」(S24.5.7新岩手日報) 西磐井郡金沢村の金沢小・中学校は全焼してしまったので「青空教室」に。 ところで、昭和の大合併まで岩手県には「金沢村」が2つあり、この西磐井郡金沢(かざわ)村(のちに花泉町となり現在は一関市)と、上閉伊郡金沢(かねざわ)村(現在は大槌町)があった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1949 桜山の更生市場に女子中学生のスリ(S24.5.6新岩手日報) 盛岡市の桜山神社の前の更生市場(現在の東大通りのあたり)で、女子中学生のスリが捕まったのだという。… 続きを読む
l全県 5月 6日 1949 石鹸は登録しないと買えなかった(S24.5.6新岩手日報) この当時は石鹸も配給制で、買う店を登録しないと買えなかったようだ。 それで、買い店は農協の購買部にしてくださいという広告。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 6日 1949 お花見と湯治は花巻温泉郷で!(S24.5.6新岩手日報) 岩手の花見シーズンは5月だったようだ。 花巻温泉郷の花巻温泉・鉛温泉・台温泉も広告に余念がない。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 6日 1949 釜石の艦砲射撃被害の大重油タンクが復活(昭和24年5月6日) 昭和24年5月6日の新岩手日報より。 釜石の大石油タンクは、艦砲射撃で損傷したままとなっていたが、このほど復活したのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 6日 1949 春の消防演習や盛岡市制60周年体育大会(S24.5.6新岩手日報) 春の行楽シーズンにあって、盛岡では消防演習や市制60周年記念体育大会が開催された。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 5月 5日 1949 久慈でヤギの四つ子、川井で月の輪のないクマ(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 こどもの日を記念して、動物ネタを2つ。 1つは、久慈にヤギの四つ子が生まれたと言うこと。 もう一つは、川井村門馬まで月の輪のないツキノワグマがいたと言うこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 子供の日に「一日盛岡駅長」や「一日岩手県知事」(S24.5.5新岩手日報) こどもの日は、いろいろな行事が開催され、県内の各官公庁でも、1日駅長や1日知事等の催しが開催された。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 5日 1949 県南各地で豪華東西浪曲大会(S24.5.5新岩手日報) 広告欄より。 県南の各地で「豪華東西浪曲大会」が開催されるという。 ちなみに黒沢尻(北上)や石鳥谷まで「県南」に入れるかどうかは議論が分かれるが、岩手県南バスの路線がなかったのは、この中では石鳥谷町のみ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 盛岡・松屋デパートの屋上に児童遊園ができました!(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡の2大デパートの一角を占めていた肴町の松屋デパートが、屋上に児童遊園を開設したという🏬 子供の日を期して、気合が入っていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 5日 1949 新制・岩手大学が学生募集(昭和24年5月5日) 昭和24年5月5日の新岩手日報より。 盛岡にあった官立の専門学校であった盛岡高等農林学校、盛岡高等工業学校、岩手師範学校は、学制改革により9月から新たに「岩手大学」として発足する予定であった。 その学生を募集するという広告である。 事務局は、専門学校としては最も歴史のある盛岡高農に置かれていた。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 4日 1949 盛岡劇場で豪華浪曲大会をやります!(昭和24年5月4日) 昭和24年5月4日の新岩手日報より。 盛岡劇場では、東西の有名どころを集めて、浪曲大会を行うと言う。 「東西の日本一」ということであるが、挙がっている名前が現在Wikipediaの単独項目になっているのは以下の通り。 広沢虎造(2代目) 玉川勝太郎 吉田奈良丸 酒井雲 天中軒雲月 立石弘志 → 天中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1949 男女同権で女だけのお花見(昭和24年5月3日) 昭和24年5月4日の新岩手日報より。 憲法が改正されて2年目の憲法記念日を記念する記事。 新憲法で男女同権となり、「女だけの花見」が開かれたのだとう。 それほどまでに、「女は家にいろ」という肝炎が強かったと言うことだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1949 憲法改正2周年を祝す(昭和24年5月3日) 昭和24年5月3日の新岩手日報より。 憲法改正2周年を祝して、県や県議会から広告が出されている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1949 岩手山遭難の盛高生の遺体発見(昭和24年5月3日) 昭和24年5月3日の新岩手日報より。 岩手山に登り遭難死した盛岡高校生の死体が収容された。 当時は、死体画像でも平気で掲載していたようである。 また、盛岡高校は旧制盛岡中学・盛岡高女・盛岡商業の3校が統合して発足したが、程なくして盛岡一高・盛岡二高・盛岡商業に分離している。  … 続きを読む
b二戸・二戸郡 5月 3日 1949 金田一京助「ナニャドヤラはヘブライ語ではなく方言」(昭和24年5月3日) 昭和24年5月3日の新岩手日報より。 青森県の新郷村から岩手県の二戸郡にかけて、盆踊りで「ナニャドヤラ」(新聞の文中では「ニヤニヤトヤラー」)が歌われるが、これはヘブライ語由来ではなく、方言が添加したものであると言う金田一京助の学説を紹介した。 … 続きを読む