g北上・和賀郡 5 12月 1967 和賀地方のイイズシ中毒調査(S42.12.5岩手日報) 岩手県内陸部では、発酵したイイズシ(飯寿司)でボツリヌス菌中毒になることが多かったようで、県が調査に乗り出すと。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 12月 1967 サケ川開きは大槌川で大漁、織笠川で不漁(S42.12.4岩手日報) サケの川開きが各地で行われたが、大槌川が大漁であるのに対し、織笠川は不漁であったという。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 12月 1967 玉山村の幼児餓死事件で久慈の専門学校生が地蔵建立のために寄付(昭和42年12月3日) 昭和42年12月4日のデーリー東北より。 この前の月、玉山村で幼い姉妹が父親に置き去りにされて餓死したと言う痛ましい事件が発生した。 この事件は、全国的な反響を呼んだが、久慈市の久慈文化服装学園の生徒会では、玉山村の村長に当てて「死んだ2人の子供のお地蔵さんを立ててやってください」と4300円を送っ… 続きを読む
l全県 3 12月 1967 読者が決める昭和42年の岩手の10大ニュースは?(S42.12.3岩手日報) 昭和42年も12月に入り、10大ニュースを募る時期となっていた。 それで、11月までの主だったニュースを列挙している。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 2 12月 1967 福岡町(二戸)から北海道の虻田に出稼ぎに行っていた女性が帰郷(S42.12.2デーリー東北) 昭和42年12月2日の『デーリー東北』より、印象的な出稼ぎ女性たちの帰郷を報じた記事をご紹介します。 かつての出稼ぎというと、首都圏の建設現場や工場へ向かう男性労働者の姿がまず思い浮かびます。しかし昭和40年代の東北では、それだけにとどまらない、もう一つの出稼ぎのかたちがありました。 それが、東北の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1967 「お遊び上手は出世の早道」(S42.12.1岩手日報) 広告欄より。 かつての繁華街・八幡町に近い松尾町のクラブの広告。 「お遊び上手は出世の早道」という惹句でサラリーマンを志向している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1967 盛岡でスモッグ!?(S42.12.1岩手日報) 11月30日の昼過ぎ、盛岡の空は暗くなり、アーケード街には街灯がつく始末。 もしかして東京や大阪で話題になってるスモッグ!? 盛岡地方気象台によれば、厚い雲がかかって日光が遮られたためと解説していた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1967 お歳暮は川徳デパートで!(S42.12.1岩手日報) 歳末となり、お歳暮のシーズンとなったのでデパートもお歳暮商戦である。 それで、盛岡の川徳デパートも広告を打っていた。 … 続きを読む
l全県 1 12月 1967 転機に立つ岩手の開拓農業(S42.12.1岩手日報) 戦後、岩手県内では各地に開拓農業の入植がなされたが、この時期になると跡継ぎがいないなど岐路に立たされていた。 それもそのはずで、それまで耕地に適していなかったところまで入植して、生活は貧困であり、若い人も都会に出るばかりだったわけである。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 30 11月 1967 二枚橋駅の狭隘化(S42.11.30岩手日報) 35年前(昭和7年?)の基準だったからであると。 ちなみに、花巻農業高校が移転を控えていた時期らしい。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 29 11月 1967 Xマスケーキは一関・ライオンベーカリーで!(S42.11.29岩手報知) 1967年(昭和42年)11月29日の『岩手報知』に、一関にある「ライオンベーカリー」のクリスマスケーキ広告が掲載されていました。 「Xマスケーキはぜひ専門店ライオンベーカリーへ!」と大きく書かれ、価格は400円〜2000円。当時としては高級な部類に入るケーキだったと思われます。 イラストは、ユーモ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 28 11月 1967 羽田〜花巻便を冬季休航!?(S42.11.28岩手日報) 羽田〜花巻便が開通して3年が経過していた。 そこへ、日本国内航空が「機材が不足しているので2月〜3月を休航させてほしい」ときた。 これに対し、県は「地方便の軽視だ」と反対の構えであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 11月 1967 釜石・国際劇場で「なつかしき笛や太鼓」を公開!(S42.11.28岩手東海新聞) 昭和42年11月28日の岩手東海新聞より。 釜石・大町の国際劇場では、東宝創立35周年記念映画「なつかしき笛や太鼓」が上映された。 本作は1967年(昭和42年)9月30日に公開された東宝作品で、監督は木下恵介。彼ならではの抒情と人間味あふれる演出で、少年の成長とそれを見守る青年教師の姿を描く感動作… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 11月 1967 釜石・新浜町にも白ポスト(昭和42年11月28日) 昭和42年11月28日の岩手東海新聞より。 釜石市内の篤志家が新浜町に白ポストを寄付という美談。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 27 11月 1967 県内各地で火災予防運動(S42.11.27岩手日報) 冬に向けて、県内各地で火災予防運動が展開され、消防車によるパレードが展開された。 写真は宮古と久慈。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 27 11月 1967 釜石電報電話局の自動化工事は順調(昭和42年11月27日) 昭和42年11月27日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局では自動化工事が進んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 11月 1967 釜石ホンダ販売で全製品展示会(S42.11.24岩手東海新聞) 昭和42年11月24日の岩手東海新聞には、釜石ホンダ販売が主催する全製品展示会の広告が掲載されている。展示会は11月25日が及新マート中妻店隣、翌26日は及新マート只越店隣の会場で開催された。当時の及新(おいしん)は、釜石市内で百貨店として広く知られていたが、同時にスーパーマーケット事業にも進出して… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 11月 1967 釜石大映で「華岡青洲の妻」公開(S42.11.22岩手東海新聞) 昭和42年11月20日の岩手東海新聞に掲載された映画広告によると、釜石の「釜石大映」劇場では、文部省選定・芸術祭参加作品『華岡青洲の妻』が上映されていた。 本作は、1967年(昭和42年)10月20日に大映から公開された映画で、原作は有吉佐和子、脚本は新藤兼人、監督は増村保造という錚々たる布陣。主演… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 11月 1967 釜石・小佐野駅の白ポストに入ったのは3冊だけ(昭和42年11月17日) 昭和42年11月17日の岩手東海新聞より。 釜石の小佐野駅に白ポストを設置したはいいが3冊しか入っていないと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 21 11月 1967 釜石の魚河岸では5隻で340トン(昭和42年11月21日) 昭和42年11月21日の岩手東海新聞より。 釜石ではサバ漁の最盛期で、魚河岸では5隻で340トンの水揚げがあったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 11月 1967 釜石市内に残る3つの難所(昭和42年11月20日) 昭和42年11月20日の岩手東海新聞より。 国道45号線は改良工事が進んでいたが、交通量はそれ以上に増大していた。 釜石市の繁華街での国道では、難所は3カ所もあって、市民の不安は広がっていたと言う。 陸橋でバイパスを作って市街地を一跨ぎさせてはと言う計画も、10億円とも20億円とも言われる膨大な事業… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 11月 1967 きれいになった釜鉄桟橋(昭和42年11月18日) 昭和42年11月18日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、荷役作業の能率向上と環境整備による災害防止の効果を狙い、桟橋改善工事を行っていた。 工事は、桟橋クレーンの延長と軌道改良に伴い舗装化に重点が置かれ、これまで一部ゴタゴタしていた荷役作業現場もスッキリして、気持ちよく働けると作業員から喜ばれた… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 11月 1967 釜石・浜千鳥の酒かすでうまい料理を!レシピあり(S42.11.16岩手東海新聞) 昭和42年11月16日の岩手東海新聞より。釜石の蔵元・浜千鳥酒造では、ふみ粕(酒粕)を使った家庭料理のレシピを紹介していた。内容はどれも手軽にできるものばかりで、保存食としての知恵も含まれている。 かす汁は、好みの魚や野菜を大きめに切って煮て、酒粕と塩・味噌で味を調えるというもの。味噌を控えめにする… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 11月 1967 国道45号線古廟トンネルが年内に完成(S42.11.14岩手東海新聞) 国道45号線の釜石と大槌を結ぶ古廟坂トンネルが昭和42年内に完成するという。 それまでは、釜石と大槌の間は室浜を経由する曲がりくねった道だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 11月 1967 県内12市の1人当たりの売上高(昭和42年11月14日) 昭和42年11月14日の岩手東海新聞より。 県内12市の1人当たりの売上高について記載があり、釜石市は盛岡・花巻・一関・北上に次いで5番目。 また、二戸市はこの時点ではまだ市制していない。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 11月 1967 釜石の中妻でキ○ガイが放火して13世帯が焼け出される(S42.11.13岩手東海新聞) 釜石市中妻町で、精神異常者の工員(36)が布団に放火して13世帯が焼け出される。 名前は明らかにされていない。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 11月 1967 一日一食みなとパンを!(S42.11.13岩手東海新聞) 昭和42年11月13日の岩手東海新聞に掲載された、釜石市の「みなと食品工業株式会社」の広告は、時代を象徴するようなインパクトある紙面である。 キャッチコピーはこうだ—— 「秋がおなかにやってきた 一日一食みなとパンをお奨めします!!」 この一文だけでも、食糧事情と栄養改善の両立を目指す戦後日本の空気… 続きを読む