備考※3a-1

盛岡市内のダンスホールは盛況(昭和23年7月14日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内のダンスホールは盛況(昭和23年7月14日)

昭和23年7月14日の岩手新報より。 「この暑いのにダンスホールは満員・・・」と冒頭から記事は呆れてみせている。 この当時、エアコンなど無かったので屋内はさぞ暑かっただろうと思われる。 「上衣を脱いだダンデーと白野ワンピース、ツーピースの御婦人方」が集まって踊っていた。 これが昭和23年の若者たちの…
岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手医大予科で補欠募集(昭和23年5月18日)

昭和23年5月18日の岩手新報の広告欄より。 岩手医大では予科の補欠募集をしている。 昭和23年に学制改革する前の昭和22年に岩手医専は「岩手医科大学」としてギリギリ旧制医科大学となっている。 旧制の医大なので、中等学校を卒業したらまず「予科」に入ることになる。 たとえば旧制高校の無かった北海道では…
アメリカの産児調節相談所(昭和22年12月3日) m県外・参考

アメリカの産児調節相談所(昭和22年12月3日)

昭和22年12月3日の新岩手日報より。 広告欄には「アメリカの産児調節相談所」の広告。 別に盛岡など岩手県内に来る訳ではなく、東京の代理店的な所が新岩手日報に広告を出していたというもの。 内容はペッサリーの使い方なので、女性側の避妊方法ということのようであった。    …
県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県食糧営団に200俵詰める大型トレーラー(昭和22年12月2日)

昭和22年12月2日の新岩手日報より。 県食糧営団では、輸送力の不足による配給の遅配をなくすべく、これまでのトラックの3倍積めるというトレーラーを導入することにした。 これまでの普通トラックでは60俵積みであったところ、3倍以上積めるので期待を寄せられていた。      …
引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日)

昭和22年12月1日の新岩手日報より。 戦争が終わり、満州や朝鮮にいた人は引き揚げてきたわけだが、その経済的な貧窮は社会問題となっていた。 このために「角田屋事件」という誘拐事件まで起きたほどである。 これを憂慮してから、引揚者援護のために歌謡舞踊コンクールや大ダンスパーティーを開催すると言う事だっ…
岩手県公会堂で大防犯展覧会(昭和22年10月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県公会堂で大防犯展覧会(昭和22年10月6日)

昭和22年10月4日の新岩手日報より。 岩手県公会堂で大防犯展覧会を行うという。 内容は、事件現場の現場写真なのだそうで、小平事件・浅草青酸カリ事件・阿部定事件の現場写真や、角田屋事件などの証拠品であるという。 よくもまあこのようなものが一般の目に触れることができていたものである。   &…
岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手医専にも女子が入学し「女の角帽」がお目見え(昭和22年9月5日)

昭和22年9月5日の新岩手日報より。 岩手で唯一の医学教育機関である岩手医専にも女子が入学した。 男子学生に伍して死体解剖に取り組んでいるという。 そして女子学生も角帽をかぶることになった。 それで、医専校舎の屋上で岩手山をバックに写真を撮る。    …
岩手県食酢統制組合・岩手県農機統制組合の解散公告(昭和22年4月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県食酢統制組合・岩手県農機統制組合の解散公告(昭和22年4月5日)

昭和22年4月5日の岩手日報より。 戦時中の物価統制組合であった「岩手県食酢統制組合」と「岩手県農機統制組合」が解散公告を出している。 戦後2年が経過しようとしており、戦争遂行のために物価統制する必要が無くなり、活動実態がなくなっていた所、法人を解散していなかったので登記上も正式に解散しよう・・・と…
日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

日詰の秋祭りが10年ぶりに復活(昭和21年9月8日)

昭和21年9月8日の新岩手日報より。 日詰の秋祭りは10年ぶりに復活したのだと言う。 そして、さんさ踊り獅子舞や手踊りなどをにぎやかに繰り出したが、中でも人気があったのは鍛冶町各組から出た5つの樽神輿であったと言う。 紺の匂いも昔懐かしく、お揃いのハッピとねじりハチマキとわらじ姿でわっしょいわっしょ…
角田屋事件(盛岡の中学生誘拐事件)(昭和21年8月24日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

角田屋事件(盛岡の中学生誘拐事件)(昭和21年8月24日)

終戦から丸1年過ぎた昭和21年8月24日のこと。 盛岡市内では比較的大規模な商店である大通の角田屋で、盛岡中学(現:盛岡一高)1年生の息子がなぜか帰ってこない。 どういうことかと思ったら、翌25日に知らない誰かから角田屋に手紙が届いた。 御子息は鄭重にお預りした。御安心あれ。この事件をさわいで友人知…