a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 1934年式ハーレー・ダビットソン750CC自動三輪車発売中(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 盛岡の藤健自転車店ではハーレー・ダビットソンの750CC自動三輪車を発売するという。 価格までは不明。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 松屋デパートで第1回秋の品出し大売出し!(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 松屋デパートでは秋の品出し大売出しを行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 盛岡秋競馬が開幕(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 この年は史上まれなる凶作の年であった。 そのような中でも、最後の一縷の望みを競馬に賭ける人たちもいた。 その盛岡秋競馬が9月1日〜3日に開催されるというニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1934 夏休みが終わり帰省中の生徒が次々と次々と盛岡に戻ってくる(昭和9年9月1日) 昭和9年9月1日の岩手日報より。 学校では夏休みが終わり、帰省していた生徒が次々と盛岡駅に戻ってきた。 この当時、夏休みは関東以南同様、8月31日まであったらしい。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1934 三陸大津波に対する東京での動向 昭和8年3月3日に三陸大津波が発生、東北地方で甚大な被害が発生する。 翌3月4日の読売新聞では、むしろ宮城県での被害を大きく報じている。 見出しは以下のようになっている。 惨!生地獄の三陸 震水害地の実地踏査記 宮城県 セメントの空樽に納棺 涙で形ばかりの手向 右往左往哀れ罹災者群 から桑村地方の惨… 続きを読む
m県外・参考 11月 2日 1933 関東庁では巡査を募集します!(昭和8年11月2日) 昭和8年11月2日の岩手日報より。 関東庁では巡査を募集しているという。 ただし、試験場は東北では仙台と福島だけ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 2日 1933 肴町の永卯でスペシアルセール(昭和8年11月2日) 昭和8年11月2日の岩手日報より。 盛岡の中心街・肴町の永卯ではスペシャルセールをするという。 この永卯、この記事を書いている令和4年現在でも肴町でアクセサリーショップとして生業中であるが、この当時はファッションデパートとしての役割であったようだ。 &nbs… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1933 県公会堂を借り切って松屋デー(昭和8年11月1日) 昭和8年11月1日の岩手日報より。 松屋デパートでは、岩手県公会堂で「松屋デー」を開催するという。 それを岩手日報の一面広告に掲載しているというのが凄い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 4日 1933 川徳では春の呉服・雑貨大売出し! 昭和8年3月4日の岩手日報より。 前日に発生した三陸大津波に際し、「畏き辺り」つまり天皇陛下(というか宮内省なんだろうけど)は被害を「痛く御軫念あらせられ」、昭和2年の北丹後地震の時と同様、侍従を被災地にお差遣することとした、というニュース。 そのわきでは盛岡の川徳が「春の呉服・雑貨大売出し」の広告… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3月 3日 1933 三陸大津波 昭和8年3月3日午前2時30分、釜石市東方200kmの海上でマグニチュード8.1の地震が発生。 正直、これ以上のことは写真も含めてWikipediaを見ればすべて分かるので、そちらをご覧ありたい。 ここでは、この地震と大津波が岩手県内でどのように報じられたかということについてのみ触れておくことにする… 続きを読む
l全県 3月 2日 1933 ブラジル移民大募集 昭和8年3月2日の岩手日報より。 岩手県庁がブラジルへの移民を募集している。 「3人以上の家族に限る」としているのは、労働力を求めていたサンパウロ州政府側がそのように求めていたため。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 28日 1933 今度は川徳が呉服雑貨大売出しを1面広告(昭和8年2月28日) 昭和8年2月28日の岩手日報より。 この時期にたまにあった1面トップの広告。 今度は川徳の呉服雑貨大売出し。 … 続きを読む
l全県 2月 24日 1933 映画広告より多かったレコード広告(昭和8年2月24日) 昭和8年2月24日の岩手日報より。 戦前の新聞広告は、映画広告よりレコード広告の方が圧倒的に多い印象がある、 これはコロムビアレコードの広告。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 1日 1933 松屋の決算大売出し!(昭和8年2月1日) 昭和8年2月1日の岩手日報より。 松屋で決算大売出しをやるという広告を1面トップで扱っている。 昭和初期の岩手日報はたまにこんなのがあった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 31日 1932 愛国婦人会長「岩手支部の成績は大変よろしいです」(昭和7年10月31日) 昭和7年10月31日の岩手日報より。 愛国婦人会長の本野久子は、事務総長等を引き連れて石黒知事夫人の出迎えを受けて、10月31日12時18分着の列車で盛岡に来た。 14時からの岩手支部協議会に臨んだ本野会長は「石黒知事がよくやってくださるので、岩手支部の成績は誠によろしゅうございます。本部員一同感謝… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 26日 1932 江刺市内の食料品店でビスケット祭り(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 江刺市内の食料品店でビスケット祭りがあるという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 19日 1932 お洗濯はライオン石鹸を!(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 ライオン石鹸の総代理店であるという江刺市内の店舗が広告を出している。 北上や八戸にも支店があるらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 盛岡・内丸座で「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」公開(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「野に叫ぶもの 闘争編」「キーンの決死隊」を公開する。 「野に叫ぶもの 闘争編」は昭和6年7月23日公開の松竹作品で無声映画。出演は鈴木伝明・高田稔・沢蘭子・及川道子など。 「キーンの決死隊」(原題:The Rough Riders)は昭和2年のア… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 10日 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにしたのである。 知事は、二戸警察署長の案内で、馬橇に乗って小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かった。 谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけたが返事がない。 それでもに二戸署長の案内で奥に入ると、中… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 上等うさぎ肉400瓦13銭!(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡市内の肉屋では上等うさぎ肉が400<ruby><rb>瓦</rb><rp>(</rp><rt>グラム</rt><rp>)</rp></ruby&g… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 10日 1932 盛岡〜日詰の乗合自動車の冬ダイヤ(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 盛岡〜日詰のバスは「佐藤自動車部」という事業者が運営していたようだ。 戦時合併で「岩手中央バス」が発足するのは昭和18年のこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、スケートやホッケーといえば高松の池であったが、暖冬で氷が張らずインカレもできない状態だった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 盛岡・村定蓄音機部「世界一のビクター蓄音機を65円で!」(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 広告欄には、村定蓄音機部がビクター蓄音機の広告を出している。 「輸入当時なら150〜160円のビクター蓄音機も時代の進歩でわずか65円に!」 ちなみに、この記事を書いている令和4年現在、村定楽器店は盛岡市材木町で盛業中である。  … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 5日 1932 断然斯界の権威!飯塚洋服店(昭和7年1月5日) 昭和7年1月5日の岩手日報より。 広告欄には盛岡市内丸の飯塚洋服店の広告がある。 「断然斯界の権威!優れた技術!優良なる生地!」 こんな大時代的な惹句こそが昭和初期である。 ところで、飯塚洋服店とは後年のイイヅカでショッピング〜のイイヅカ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 4日 1932 松屋デパートで初売御礼大売り出し(昭和7年1月4日) 昭和7年1月4日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートでは、初売り御礼大売り出しを行うという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 1月 4日 1932 宮古町で下閉伊郷軍仮装動員(昭和7年1月4日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 1月4日に、宮古町で下閉伊郷軍仮装動員がおこなわれた。 職員召集令状によって集められたようで、集まってからは林大佐からの訓示があったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1932 新年度募集入選作「皆で笑って」(昭和7年1月1日) 昭和7年1月1日の岩手日報より。 岩手日報では写真コンクールを行なっていたようで、「皆で笑って」という作品が入選したようである。 … 続きを読む