e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1964 釜石・第一劇場で「花の講道館」「新・忍びの者」を上映(S39.1.1岩手東海新聞) 釜石・第一劇場で「花の講道館」「新・忍びの者」を上映する。 「花の講道館」は昭和38年11月11日初公開の大映作品で、出演は本郷功次郎・高田美和・高千穂ひづる等。 「新・忍びの者」は昭和38年12月28日初公開の大映作品で、出演は市川雷蔵・若尾文子など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1964 釜石にも近代校舎を!(S39.1.1岩手東海新聞) 昭和39年を迎え、釜石の教育界も夢を語っている。 特に、老朽化した校舎の新築が急がれていた。 … 続きを読む
hスポーツ 12月 9日 1963 一関市民の反対の中、青葉町に市民プール着工を強行(S38.12.9岩手報知) 磐井川に面した一関市青葉町に市民プールを着工すると言うので、市民も市議会の文教委員会も大反対。 しかし着工してしまったという。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 12月 2日 1963 一関は短大にも逃げられそうなのに国立高専なんて(S38.12.2岩手報知) この時期、一関は国立高専誘致問題で揺れていた。 と言うのは、一関にある修紅短大が水沢に移転しようとしていたのだ。それも、一関市は何ら補助をしないということで。 コラムにも「一関一高や二高だけでなく、私立の一関商工(現:一関学院)や修紅も高校なんだ」と書かれている始末。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 15日 1963 一関商工会議所の議員選挙は6名辞退して無競争に(昭和38年11月15日) 昭和38年11月15日の岩手報知より。 一関商工会議所の議員選挙は、6名が辞退して無競争となった。 この6名の辞退まで、どんなことがあったか容易に想像できるあたりが、いかにも日本の田舎の社会である。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 15日 1963 一関気象通報所が週間予報を発表(昭和38年11月15日) 昭和38年11月15日の岩手報知より。 気象庁の一関気象通報所が週間予報を発表した。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 15日 1963 選挙に出ると自己負担が大変(昭和38年11月15日) 昭和38年11月15日の岩手報知より。 一関市議会議員の選挙を変えようとしていても、気になる公的な補助は大した額ではなく、多くの候補が500,000円から700,000円の持ち出しが噂されていた。 貧乏では、選挙にも出られないわけである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 15日 1963 選挙続きで一関の料飲店は閑古鳥(昭和38年11月15日) 昭和38年11月15日の岩手報知より。 一関市内では、選挙が続いており、忘年会シーズンであるにもかかわらず、予約はほとんど皆無に等しいと言う状況であった。 多くの選挙違反は、飲食店の中で行われると言うことで、痛くもない腹を探られるたいと言うことだったのだろう。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 7日 1963 日通観光釜石支店の各種ツアー(S38.11.7岩手東海新聞) 日通観光釜石支店は、岩手東部バスと岩手東海新聞と共同でツアーを開催していた。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢を本社とする岩手県南バスの傘下に入り、車体色も県南バスと共通になっていたが、経営統合するのは昭和41年のこと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 5日 1963 東北電力釜石営業所で家電製品の無料修理(昭和38年11月5日) 昭和38年11月6日の岩手東海新聞より。 東北電力釜石営業所では「サービス高揚月間」と位置づけ、各地で家電製品の無料修理を行っていた。 この日は釜石市大只越地区。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 釜石・五ノ橋際のサロン「かっぱの皿」(S38.11.4岩手東海新聞) 釜石駅から中妻に行く方の五ノ橋際に「かっぱの皿」というサロンがオープンするといい、バーテンや社交嬢を募集するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 大槌小学校開校90年式典(S38.11.4岩手東海新聞) 大槌町の大槌小学校は、明治6年(1873年)に開校したが、この年に開校90周年を迎え、講堂で開校式典が行われた。 ちなみにこの講堂は、個人的にも経験がある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 遠野・琴畑分校に電気が灯る(S38.11.4岩手東海新聞) 遠野の土淵の方で最も僻地であった琴畑地区に、電気が灯ることになった。 それで、土淵第二小学校琴畑分校でも大喜び。 ちなみに、この琴畑分校は昭和48年に閉校している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 3日 1963 釜石で新聞配達少年の集い(昭和38年11月3日) 昭和38年11月3日の岩手東海新聞より。 釜石市内の、釜石化成ビル内のレストランで新聞配達少年に感謝する集いが催された。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1963 釜石商業高校で創立30周年行事(昭和38年11月2日) 昭和38年11月2日の岩手東海新聞より。 釜石商業高校では、創立30周年記念行事が開催された。 釜石市内で最も古い中等教育機関であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 1日 1963 テレビ・ラジオ番組案内(昭和38年11月1日) 昭和38年11月1日の岩手東海新聞より。 テレビとラジオの番組案内は以下のようになっていた。 まだ、ラジオの方が圧倒的に優勢な時期であった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 18日 1963 釜石製鉄所教習所が廃校(S38.9.18岩手東海新聞) 中学校を卒業して、高校の過程を勉強しながら、釜石製鉄所に就職するという釜石製鉄所教習所が閉校することになったという。 この時期、東海製鉄への移行の話が進んでいた時期でもあり、「釜石に終わりの始まり」を象徴するニュースでもあった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 16日 1963 釜石〜東京15時間で直送の鮮魚トラック(S38.9.16岩手東海新聞) 当時、釜石港の鮮魚の輸送は国鉄に寄っていたが、東京まで運ぶには2〜3日かかっていた。 これを、トラックであれば15時間に短縮できると言うのだから、画期的なことだったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 10日 1963 釜石の恵まれない子供たちを仙人峠にドライブ(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 「釜石市子供の幸せを守る会」は、恵まれない子供たちを仙人峠にドライブに連れて行くと言うニュース。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 10日 1963 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 山田町の宮古警察署山田派出所には、新しい交通標識の見本用教材が届いた。 これで、町民に交通標識を知ってもらおうと言うものである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 9日 1963 釜石から四国1周の旅(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 岩手東海新聞社と日通観光釜石支店は、四国1周の旅を企画した。 8泊9日で、費用は49,000円であったと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 9日 1963 秋田駒ケ岳に釜石市民登山会(S38.9.9岩手東海新聞) 釜石市民の健康増進のため、秋田駒ケ岳への登山会が行われた。 これとともに、盛岡市内のスキー工場見学など、盛りだくさんだったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1963 釜石港に外国船ラッシュ(昭和38年9月7日) 昭和38年9月7日の岩手東海新聞より。 釜石港は、外国船のラッシュで賑わい、黒人の船員が上陸したことまで話題になっていたと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 7日 1963 遠野高校農業科校舎が落成(S38.9.5岩手東海新聞) 遠野高校農業科の校舎が落成した。 遠野農業高校(現:遠野緑峰高校)として独立するのは翌昭和39年のこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1963 釜石製鉄所内43ヶ所に救急車到着地点表示(S38.9.5岩手東海新聞) 当時の釜石製鉄所は、救急車の到着地点が定かではなく、急患が発生しても、どこで救急車が止まればいいのかわからず、到着の遅延等発生したようだ。 それで、構内43カ所に「救急車到着地点」を定めて、その標識を作成したのであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 3日 1963 釜鉄労組執行部体制決まる(S38.9.3岩手東海新聞) 釜鉄労組では、新たな執行部体制を決定した。 こんなこともニュースになる時代だったのだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1963 内丸座で4/18公開予定の「ウエストサイド物語」前売券発売中(S38.4.1岩手日報) この年の4月18日に「ウエストサイド物語」が内丸座(後年のSY内丸)で公開というので前売券発売中という広告。 アメリカでの初公開は昭和36年10月18日、日本での初公開は昭和36年12月23日で、東北では初公開だったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む