m県外・参考 11月 26日 1964 岩手でも報じられた長嶋選手婚約(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 巨人軍の長嶋選手の婚約は、岩手でも報じられていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 10日 1964 大槌漁港埋立地の利用計画(昭和39年9月10日) 昭和39年9月10日の岩手東海新聞より。 大槌漁港の埋立地は、使用計画がまるで定まっていなかったが、このほど、水産センター等の建設が決まったのだと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 4日 1964 釜石から東海製鉄に2300人が転出(s39.9.5岩手東海新聞) この時期、釜石から東海製鉄への転出が相次いでいた。 この時は2300人だったという。 これが釜石の「終わりの始まり」。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 2日 1964 釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) 釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1964 いよいよサンマ漁第3次解禁(昭和39年9月1日) 昭和39年9月1日の岩手東海新聞より。 三陸沿岸では、サンマ漁の解禁に沸き立っていた。 サンマ漁の漁場は、釧路の南東側になるのではないかと県水産試験場によって予想されていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1964 釜石・第一劇場で「座頭市あばれ凧」を公開(S39.9.1岩手東海新聞) 釜石の第一劇場で「座頭市あばれ凧」を公開するという。 「座頭市あばれ凧」は昭和39年7月11日初公開の大映作品で、出演は勝新太郎・久保菜穂子・渚まゆみ等。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1964 東京オリンピックを前に釜石では商業道徳高揚運動(S39.9.1岩手東海新聞) 東京オリンピックを前に、オリンピックを悪用した悪どい商売などをなくす運動が釜石市内で展開された。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 1日 1964 広くなった宮古駅前広場(S39.9.1岩手東海新聞) 宮古駅前広場は、土地収容の問題で長いこと裁判沙汰になっていたようだ。 しかしそれが解決し、広くなったという。 駅前には県北バスが群れをなしている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1964 仙岩峠の夏・相逢いの滝(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 盛岡から秋田に行くには、国道46号線で行くことになるが、当時は仙岩トンネルなんて開通していないので、曲がりくねった峠道を越えるしかなかった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1964 本県選出の官房長官・外務大臣がお国入り(昭和39年8月1日) 昭和39年8月1日の岩手日報より。 第3次池田内閣で、閣僚入りした岩手県選出の鈴木善幸官房長官、椎名悦三郎外務大臣がお国入りした。 盛岡駅前は宮古などからマイクロバスできた支持者で溢れかえる。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 4日 1964 夏漁に備えて魚箱や巻網の準備(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 夏漁に備えて、魚箱や巻き網の準備に余念がなかった。 魚箱作りは、主婦の内職であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 4日 1964 早く国道45号線古廟坂トンネルを開通させて大槌への架け橋を(昭和39年6月4日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 当時、国道45号線で釜石から大槌方面に行くには、室浜の山道を通っていかないといけなかった。 それで、古廟坂トンネルの開通が待ち望まれていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 3日 1964 大雨の影響で釜石市内に大被害(昭和39年6月3日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 日本海に、982ミリバールにまで発達した猛烈な低気圧の影響で、釜石市内にも大洪水が発生した。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 3日 1964 釜石のメインストリート・浜町はジグザグで危険(昭和39年6月3日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 釜石のメインストリートである浜町は、この当時、戦災復興補助の打ち切りで、メインストリートがジグザグな状態になっており、危険であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 7日 1964 釜石駅から「蛍の光」で東海製鉄へ33人が転出(S39.2.7岩手東海新聞) この年の2月1日、釜石から最初の東海製鉄への転出車が送られたが、今度は第2陣の33名が転出。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 6日 1964 釜石南高校が甲子に新築移転(昭和39年2月6日) 昭和39年2月6日の岩手東海新聞より。 釜石南高校は、創立当初からの校舎を使用していたが、昭和37年に鵜住居に釜石北高校が独立したこともあり、新校舎を建設している最中であった。 そして、2月17日に移転することが決まったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 5日 1964 釜石の人口が減って8万人台になります!(昭和39年2月5日) 昭和39年2月5日の岩手東海新聞より。 東海製鉄への転出の影響で、釜石市の人口が8万人台に減るという。 それは大ニュースであった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 4日 1964 東海製鉄への転出対策に名古屋から中学教師が来釜(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石は東海製鉄への転出対策に揺れていたが、教育問題もあり、名古屋から教師を呼んで打ち合わせもするようになっていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 4日 1964 釜石の人が中国・広州に行ってきた(昭和39年2月4日) 昭和39年2月4日の岩手東海新聞より。 釜石の人が中国に行ってきたようで、広州に行ってきた印象を語っている。 ちなみに当時は中華人民共和国との国交は無く、国交があった「中国」は中華民国つまり台湾の方。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 3日 1964 釜石職安「遠野の皆さん!釜石に来て働いて下さい!」(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石職業安定所では、労働力不足に頭を悩ませていた。 そこで、農村地帯である遠野の労働力に釜石に来てもらおう、というキャンペーンを張ることになった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 3日 1964 釜石の衣料品店は一斉休業日を設けます!(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 釜石市内の衣料品店で結成される「釜石線維同友会」では、一斉休業日を設けるようにした。 2月は第2・第4火曜日に休むという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 3日 1964 吉里吉里中学校に特別教室完成(昭和39年2月3日) 昭和39年2月3日の岩手東海新聞より。 大槌町の吉里吉里中学校に特別教室棟が完成したという。 また、非常階段も設置されたという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 日本計算機は35,000円(S39.2.1岩手東海新聞) 広告欄より。 機械式の「日本計算機」は35,000円であったという。 この時期の大卒初任給は2万円だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 東海製鉄の社長が釜石を訪問(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 愛知県の東海製鉄では、その操業開始に当たって釜石製鉄所の労働者も7〜800人欲していた。 そこで、社長自らが釜石まで来たのである。 希望者は1000人程度いたが、800人弱まで絞ったのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 釜石で「ビル」といえば浜町の市営ビルだった(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 釜石市内の肉屋が広告を売っている。 その名も「ビルの工藤」。 まるで釜石市内にはビルは釜石市営ビルしかないかのように。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 1日 1964 赤羽根スキー場でスキー場開き(昭和39年2月1日) 昭和39年2月1日の岩手東海新聞より。 遠野市と釜石市の間にある赤羽根スキー場でスキー場開きを行ったという。 釜石でスキー場といえば赤羽根スキー場で、昭和の終わりごろになると、笛吹峠の近くに「青ノ木スキー場」がオープンする。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 15日 1964 釜石で電話を付けるためには7倍の競争率(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局管内の加入電話の希望者は7倍の倍率となっていたと言う。 まだ自動化する前の話。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 15日 1964 釜鉄小川体育館で成人式(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 釜石市の成人式は、釜石製鉄所小川体育館で行われた。 女性の出席者は、訪問着姿が多かったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 15日 1964 大槌小学校では廃品回収で修学旅行資金を稼ぐ(昭和39年1月15日) 昭和39年1月15日の岩手東海新聞より。 大槌小学校では廃品回収で修学旅行を稼ぎ、1人の欠席者も出さないと意気込んでいた。 … 続きを読む