a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1954 盛岡八幡宮の例大祭で6台の山車(S29.9.15岩手日報) この当時、盛岡で最大の祭りは、盛岡八幡宮の例大祭であった。 山車が6台も出て盛況であったという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 15日 1954 浄法寺は福岡町と、奥中山は沼宮内町と合併か(S29.9.15岩手日報) この時期は「昭和の大合併」の時期。 どの町村がどこと合併するかが焦点になっていた。 浄法寺町は福岡町と合併して市制、小鳥谷村奥中山は沼宮内町と合併などという話になっていた。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 6日 1954 一関で自動車運転者受験講習会(昭和29年9月14日) 昭和29年9月6日の岩手の1日より。 一関商工会議所の主催、一関市公安委員会の共催で、9月14日から28日までにかけて、自動車運転者受験講習会が開かれることとなった。 運転免許の受験自体が一関でできるかどうかはここでは読み取れないが、このような講習会は需要があったようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 ナスの七つ子とナンバンカラシの双子(S29.9.1岩手日報) 花巻市内の農家で、ナスの七つ子と、ナンバンカラシの双子ができて話題になっていた。 ナンバンカラシとはおそらく唐辛子のこと。 確かに管理人の祖母(1915−2003)は唐辛子を「ナンバン」と呼んでいた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1954 盛岡のヒロポン密造所を急襲(S29.9.1岩手日報) 盛岡市八幡町の露天商宅でヒロポンを密造しているという情報を得た盛岡署は、急襲して検挙した。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 花巻温泉郷に響く豊年歌(S29.9.1岩手日報) この年は稲穂が実り、花巻温泉郷の鉛温泉や志戸平温泉は豊作を祝う歌声が響いていた。 しかしよくもまあ女湯で撮影しようと思ったものである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 1日 1954 ビキニ「死の灰」で宮古でも原水禁運動(S29.9.1岩手日報) 3月1日のビキニ環礁の「死の灰」は日本社会にショックをもって伝えられた。 この時点で、久保山愛吉さんはご存命中で、危篤が伝えられる状況であった。 そのような中、宮古でも原水禁運動が繰り広げられた。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 1日 1954 岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 湯本温泉~横手間にバスが開業するという。 運行会社は岩手県南バスと羽後交通。 時刻は以下の通り。 湯本発 8:00、10:30、17:00 横手発 8:00、10:30、16:30 主な停留所は以下の通り。 湯本、湯ノ沢、川尻、湯田駅前、野々宿、県境、黒沢、相野… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 31日 1954 上閉伊郡上郷村に「もぐり橋」竣工(昭和29年8月31日) 昭和29年8月31日の読売新聞岩手版より。 上閉伊郡上郷村平倉地内の早瀬川にコンクリートのもぐり橋「本宮橋」が完成した。 幅2メートル、長さ112メートルで、欄干も無く冠水すれば通行止めになってしまうが、木橋より安上がりであるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 29日 1954 盛岡でバス運転競技会(昭和29年8月29日) 昭和29年8月31日の読売新聞岩手版より。 8月29日、盛岡市馬検場で第3回県下バス運転競技会が開催され、7社の代表選手10名が参加して行われた。 種目は以下のようなものであったという。 白線を引いた狭い道路を赤旗を倒さぬよう規定の速度で運転する 運転態度 ガソリン消費量 車体整備 学科試験 入賞者… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 29日 1954 まだ知らない人がいる!金光堂の三色最中の味を(昭和29年8月29日) 昭和29年8月29日の岩手日日の広告欄より。 一関市内の菓子舗による三色最中の広告。 そもそも三色最中と言えば仙台の名物。 一関は何かにつけ「仙台っぽさ」を感じるが、やはりこのような所にも現れている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 29日 1954 一関・新星劇場では映画の新しい革命!MGMの立体映画「メトロスコピックス」(昭和29年8月29日) 昭和29年8月29日の岩手日日より。 一関の新星劇場では、米MGMの新しい立体映画システム「メトロスコピックス」を導入するという。 「旋風的公開迫る!!」というコピーも勇ましい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1954 早稲田大学グリークラブが岩手県公会堂で公演(S29.8.1岩手日報) 早稲田大学グリークラブは東北や北海道を回って公演をしていたようだが、7月31日は岩手県公会堂で公演したという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 8月 1日 1954 北福岡駅〜斗米村〜田子町に国鉄バス開業(S29.8.1岩手日報) 8月1日から、国鉄バスの北福岡駅から斗米村と青森県境を越えて田子まで国鉄バスが開業したようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 1日 1954 戦時中にヤギの乳を飲ませてやった老人は高村光太郎その人だった(S29.8.1岩手日報) この当時、終戦から10年が経とうとしていた。 終戦ごろ、飢えた老人がいたので、ヤギの乳を飲ませてやったところ、詩をもらったのだが、それは高村光太郎その人であったという話。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 1日 1954 川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) 川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 22日 1954 内陸部の市町村合併のゆくえ(S29.7.22岩手日報) この時「昭和の大合併」が進んでいたが、内陸部では、上閉伊郡達曽部村が周辺の大迫・宮守・土沢・遠野のどこと合併するかで揺れていた。 また、紫波郡では郡で1つの町になるという案もあったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 7日 1954 盛岡・松屋デパートでは「実用白生地の会」(昭和29年7月7日) 昭和29年7月7日の岩手日報より。 広告欄には松屋デパートの「白生地の会」の大売出しの広告。 やはり「碼」(ヤール)単位である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 7日 1954 川徳デパートでは水着の大売出し(昭和29年7月7日) 昭和29年7月7日の岩手日報より。 広告欄には川徳デパートの水着セールの広告。 一番高いので1150円程度。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 3日 1954 小谷木橋落成・水沢市制祭り(昭和29年7月3日) 昭和29年7月3日の岩手日報より。 広告欄には水沢市〜羽田村(現在の水沢江刺駅付近)を結ぶ小谷木橋の落成と、水沢市の市制を祝う祭りの広告が。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1954 田の草取りの薬「二・四D」講習会をします!(昭和29年7月1日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 農薬「二・四D」の講習会を県内各地で行うという。 現在でも「2,4-D」は農薬としてAmazonでも売られている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1954 岩手県警察本部が発足(昭和29年7月1日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 戦後、アメリカに占領されてからというもの、警察制度は内務省警保局の下の各都道府県警察部が解体され、アメリカばりに「自治体警察」「国家地方警察」に分かれることになった。 例えば盛岡でいえば、盛岡市は「盛岡市警察署」、その周辺の滝沢村や見前村や乙部村や大田村などは「国… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 30日 1954 7月を目の前にようやく夏らしい陽気(昭和29年6月30日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 それまで低めだった気温も、7月を目の前に気温が上昇し、6月30日の日中の最高気温は23.4℃どなったという。 写真は盛岡市の中津川の河畔にて。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 29日 1954 釜石に多い身体障害者(昭和29年6月29日) 昭和29年7月1日の岩手日報より。 6月29日、盛岡日赤病院の眼科医長・耳鼻科医長・整形外科医長が身体障害者巡回検診班を組織して釜石市を訪れ、市民に対し検診を行った。 この中で多かったのは、昭和20年の釜石艦砲射撃で手足を失った人が多かったこと。 そして、遺伝性の疾患である網膜色素変性症による視覚障… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 1日 1954 盛岡・東宝第一劇場で「七人の侍」大公開!(昭和29年5月1日) 昭和29年4月29日の岩手日報の広告欄より。 黒澤明監督の東宝映画「七人の侍」が東宝第一劇場で公開されるという。 東京での初公開は4月26日なのでほぼタイムラグは無し。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 29日 1954 近日、盛岡・新馬町に「名画館」をオープンします(昭和29年4月29日) 昭和29年4月29日の岩手日報の広告欄にて。 近日、盛岡市新馬町(現在の松尾町)に新たに「名画館」という映画館をオープンさせるという。 「最高名画を最低の料金で奉仕する」というあたりから、封切館ではなく二番館か名画座であるようだった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 28日 1954 盛岡郵便局で岩大学長が一日局長となり、ガチで仕事する羽目に 郵政週間の行事の一つとして、盛岡郵便局では県内の名士に一日局長をお願いしているが、今回は鈴木重雄岩手大学学長。 昭和29年4月29日読売新聞岩手版より。 鈴木学長は盛岡高等農林学校の校長であったものが学制改革でそのまま初代岩手大学学長となったものである。 午前10時に出勤し、局内の課長や組合幹部と話… 続きを読む