i一関・西磐井郡 1月 12日 1950 一関に競輪場?(S25.1.12岩手新報) この時期、一関に競輪場が設置される計画があったようで「5月ごろには完成」などという計画があったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1950 不良化する盛岡の盛岡の戦後派学生(S25.1.12岩手新報) 盛岡市警察署管内でも、青少年は不良化しているようであった。 ダンスホールで不純異性交遊するなど。 … 続きを読む
j東磐井郡 1月 12日 1950 東磐井郡の「糸姫」は業界不況で求人激減(S25.1.12岩手新報) 岩手県内有数の繭所として知られていた東磐井郡は、女性は嫁入り前に他の地方に製糸工場に働きに出るようになっていたようだ。 ところが、この時期は業界不況で、全国からの「糸姫」の求人に少なくなっていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1950 盛岡電話局は機械も古く人手不足(S25.1.12岩手新報) 盛岡電話局管内の加入電話数は1573件であったというが、機械も古く人手不足で、容量はなかったのだと言う。 特に、日中の県庁や市役所は最も通話数が多かったのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 11日 1950 盛岡で隠退蔵物資の大売り出し(昭和25年1月11日) 昭和25年1月12日の新岩手日報より。 盛岡市内では、1月11日に隠退蔵物資の大売り出しが行われたと言う。 それから、主婦が違う目を皿のようにして探し回っているわけだ。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 9日 1950 小田野柏選手(福岡中学出身)が新生・毎日オリオンズ入り(昭和25年1月9日) 昭和25年1月9日の新岩手日報より。 プロ野球では、リーグ分裂騒ぎとなっていたが、パシフィックリーグのほうに新たに誕生する。毎日オリオンズに福岡中学出身の小田野柏選手が入団することになった。 この小田野柏、長らく「岩手県出身のプロ野球選手」としてメディアなどに名前の出る存在となり続けるが、プロ野球選… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1950 岩手郡各町村が「A happy new year!」(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 岩手郡各町村が新春広告。 戦後なので取ってつけたような英語。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 7日 1950 三戸や八戸あたりからも新春広告(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 新春広告は県境を越えて三戸や八戸あたりからも出されていた。 … 続きを読む
l全県 1月 7日 1950 農家の皆さん!シャウプ勧告に基づいて青色申告をしないといけませんよ!(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 シャウプ勧告に基づいて青色申告が始まるという広告。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 4日 1950 釜石から北朝鮮への帰国者の記念植樹(S35.1.4岩手東海新聞) 釜石市から、北朝鮮に帰国する帰国者が10名いたのだそうで、それを記念して植樹が行われた。 … 続きを読む
l全県 11月 12日 1949 大豆を1俵供出したら「大豆宝くじ」(S24.11.12岩手新報) この時期、米と同様に大豆も「供出」の対象だった。 この供出をスムーズに進めるために「大豆宝くじ」を企画したのだという。 これがどれだけ大豆の供出に役に立ったかは不明。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 11月 12日 1949 奥中山のさらに奥の開拓部落(S24.11.12岩手新報) 北上川と馬淵川の分水嶺である奥中山の、さらに奥にある開拓部落である下田子部落に入植した開拓民の話。 「日本のチベット」岩手県にはこんな部落がいくらでもあった。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11月 11日 1949 宮古や釜石で南海ホークス対大陽ロビンスの試合?(S24.11.11岩手新報) 広告には宮古高校のグランドや釜石・昭和園グランドでプロ野球の南海ホークス対太陽ロビンスの試合が行われるとある。 しかし「スタメンアーカイブ」を見る限りでは、そんな形跡は見られないのだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 9日 1949 中央バス上田線がダイヤ改正(S24.11.9岩手新報) 岩手中央バスの上田線がダイヤ改正をするという。 ただし、上田線とはいっても、盛岡バスセンターがある時代ではないので、中の橋の松屋前が出発点だったようだ。 そしてまた、松園営業所があるわけでもないので、終点は上田の師範学校前であったようだ。 2段にわたる記事なので、ついでに他の記事もご覧ありたい。 &… 続きを読む
l全県 11月 9日 1949 県「11月10〜16日は結核予防週間です!」(昭和24年11月9日) 昭和24年11月9日の岩手新報より。 岩手県衛生部・各保健所・岩手県医師会の連名で結核予防週間に関する広告が出されていた。 個人的なことを言うと、BCG検査に関しては小学校の頃(昭和50年代末頃)受けたことがある。 結核は恐ろしい病気だったのだ。  … 続きを読む
c久慈・九戸郡 11月 7日 1949 九戸郡の奥地にも電灯が(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 九戸郡山根村や山形村小国では、それまで電気が通っていなかったが、農林省から補助金が下りることが決まり、「無点灯部落」を脱することができるのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 7日 1949 炊事や採暖にはスズキ式ストーブを!(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 炊事にも使用できるという「スズキ式ストーブ」の広告が出ている。 燃料は「亜炭でも何でも完全燃焼します」とある。 亜炭は、石炭化度の低い、石炭としては質の低いものではあったが、製鉄用などとは違い、家庭用にはこの程度でも十分で重宝されたのだという。 &… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 7日 1949 読書週間!釜石・一関の著名書店案内(昭和24年11月7日) 昭和24年11月7日の岩手新報より。 読書週間と言うことで、釜石や一関の著名な書店の案内が出ている。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 11月 5日 1949 岩手新報八戸支社・久慈支局開設を祝う広告(昭和24年11月5日) 昭和24年11月5日の岩手新報より。 岩手新報では、八戸や久慈に支社や支局を開設したようで、それを祝う広告が各界から寄せられた。 警察署までの公共機関からも報告が寄せられているが、このような時、広告料は税金から出たのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 4日 1949 いすゞTX80御成約の方に京都奈良伊勢志摩の旅を!(昭和24年11月4日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡のいすゞ販売店では、トラック「TX80」の制約に至った人向けに、京都・奈良・伊勢志摩の旅をプレゼントすることとしたようだ。 この当時であれば、大口の運送業の事業主などではなかっただろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 3日 1949 盛岡で町内会対抗野球(昭和24年11月3日) 昭和24年11月4日の岩手新報より。 盛岡市内では、町内会対抗の野球が開催されたようである。 また、水沢競馬では、大穴が出たようで、そのことも報じられている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 3日 1949 葛巻町で産業祭(昭和24年11月3日) 昭和24年11月3日の岩手新報より。 葛巻町では、秋の収穫を祝って11月1日から3日まで葛巻小学校で産業祭が開催され、雨の中を多くの人出で賑わったと言う。 ところで、葛巻町と言うのは馬淵川の源流域にあるので、二戸や一戸と同じ二戸郡にありそうなものであるが、実は、久慈や野田から塩を運ぶ野田街道の宿場町… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 3日 1949 シーボルトの遺品が盛岡で発見される(昭和24年11月3日) 昭和24年11月3日の岩手新報より。 高野長英の没後100年祭が出身地の水沢で繰り広げられていたようだが、盛岡ではその高野長英の師であるシーボルトの遺品が発見されたのだという。 それにしてもでかいカバンだ・・・ … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 11月 1日 1949 大船渡では引揚者が自力で更生市場(昭和24年11月1日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 気仙郡大船渡町では、引揚者が町議会議員の協力を得て国からの援助を断って自力で公正市場を作り上げたのだと言う。 そしてその途上では、世間の冷笑があったのだと言う。 現代の観点からだと、ちょっと想像しにくい話なのだが、引揚者が自分たちで生活を更生しよう… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1949 岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 10月31日、盛岡は1.6℃まで気温が下がり、岩手山は雪化粧に見舞われた。 写真はおそらく滝沢かそこら辺の牧場ではないかと考えられる。 見出しでは「零下一度六」と書いているが、気象庁のホームページによれば、盛岡の1949年10月31日の最低気温は1.6℃。 &n… 続きを読む