a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 1日 1946 近日、長町日活館跡に「銀映座」が開場します!(昭和21年7月1日) 昭和21年7月1日の岩手日報より。 かつて、長町(河北小学校のあたり?)には「長町日活館」という映画館があった。 ここに「銀映座」ができるという。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1946 花巻税務署「供米完納者に所得税がかかるなんてデマですよ!」(S21.7.1新岩手日報) この時期、県内の米どころ・花巻町周辺ではある噂が流れていた。 「米の供出を完遂したら所得税が重くかかる」 この噂を否定するために、花巻税務署員は躍起になっていた。… 続きを読む
m県外・参考 7月 1日 1946 人気の「こどもしんぶん」(S21.7.1新岩手日報) この時期、新岩手日報では「こどもしんぶん」を発行していたようだ。 食糧難にあえぐ時期でも、このようなエクストラな消費をできるところはしていた、ということのようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1946 酒1升のために米3升の配給を辞退した人はいる?(S21.7.1新岩手日報) 読者からの投稿欄。 この時代は配給なしには生きられない時代であったが、「酒1勝の配給のためには米3升を辞退しなければいけない」ということになっていたようだが、それを実行した人はいたのだろうか?という花巻の人の問い。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 17日 1945 高村光太郎「一億の号泣」(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 この当時、高村光太郎は、岩手県花巻町の宮沢賢治の弟の家に疎開をしていた。 そこで終戦を迎えることとなり、新聞に詩を寄せたのである。 … 続きを読む
l全県 8月 17日 1945 さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 15日 1945 終戦、そのとき岩手では(昭和20年8月15日) 8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎える。 その時岩手はどうであったか。 岩手日報からその様子を抜き出してみたい。 盛岡工機部(国鉄盛岡工場)の大詔拝聴 仙台鉄道局盛岡管理部の終戦の勅語拝聴は、15日正午から盛岡駅貨物取扱所で行われた。 岩手日報の書きぶりをそのまま抜き出すと、 この日管内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 15日 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 14日 1945 「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」 昭和20年8月14日新岩手日報には、こんな広告が出ている。 「去ル空襲ニ際シ工場被害軽微…」 広告の主は「東亜鉱工 ○○精錬所」 そもそも東亜鉱工ってどこの会社? と思ったらそれは現在のラサ工業らしい。 ラサ工業といえば宮古か。 軍需工場は機密上、どこそこにあるということを新聞などで言うことはできな… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 12日 1945 盛岡・国劇で市川團十郎・市川鶴之助一座が特別興行!(昭和20年8月12日) 昭和20年8月10日の岩手日報より。 盛岡の国劇(のちの国民映画劇場と同じ場所?)で、市川團十郎と市川鶴之助一座の歌舞伎興行を行うという。 あちこちで空襲がある中、一般市民も歌舞伎興行を開催し、それを見に行く余裕があったのかどうかは分からないが、このような記録はあるということで。 &n… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 10日 1945 扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の新岩手日報の広告欄より。 「扶桑第六〇一工場」というところが従業員に呼びかけている。 どこの工場なのかはこの広告からは読み取れない。 現代語訳するとこんな感じだろうか。 離職したみんな、私たちは工場復旧と生産に奮闘している。 すぐに復帰してほしい。 今日勤務したかしないかは、明… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 10日 1945 今週の映画は「最後の帰郷」(大映)、「愛と誓ひ」(東宝)(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の岩手日報より。 この時期になると映画配給はどこの映画会社で製作するにかかわらず「紅系」「白系」に分けて行われるようになったようである。 この記事を書いている令和3年年末の時点で、どちらがどっちかは判然としていないが。とにかく2本ずつの映画配給ということには変わりなかったようであ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 16日 1945 宮城千賀子一座が盛岡・国劇に来ます(昭和20年7月16日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 宮城千賀子の一座が7月16~17日に盛岡の国劇で公演を行うという。 この時期、宮城千賀子は出産して映画から退いていたが、自ら「劇団なでしこ」を旗揚げして各地を巡業していたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 12日 1945 地下壕で執務する盛岡管理部(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 「警報下の地下壕で執務する盛岡管理部」とだけキャプションがあるが、どこの会社やら省庁やら判然としないが、「盛岡管理部」という呼称を明確に使用していたのは仙台鉄道局ではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1945 夏至も過ぎ、田植えはほぼ終了(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日。 夏至も過ぎ、田植えもほとんど終了してお百姓さんありがとうという写真記事が掲載されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1945 昆布増産の最前線は学童たち(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 当時、大槌湾は「養殖昆布の先進地」であると認識されていたようである。 その大槌湾では子供たちが小舟が沈みかけるほど大量に昆布を収穫していたという。 大槌漁協割り当ては5,957貫であったが、6月30日の時点でそれを達成し、これまで使わなかった穴布(あなめ)まで採取… 続きを読む
l全県 7月 2日 1945 「お願い!内地の人!朝鮮で警察官になって!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報の広告欄より。 「朝鮮総督府警察官大増員」という広告がある。 応募資格は「徴兵ヲ終ヘタル満十九歳以上四十歳ノ内地人」。 内地人限定であった。 岩手県下での採用試験は、岩手県警察官練習所と、花巻警察署の2か所であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1945 釜石鉱山では鶴嘴片手に無休の正月 〽️海の男の艦隊勤務 月月火水木金金 休みなく働くことを称揚した軍歌「月月火水木金金」は、本来は戦争の激化により休みがなくなっていく海軍の状況を自嘲的に「これじゃ月月火水木金金だよ」と誰かがこぼしたのを真に受けて作詞されたものであると言われている。 昭和20年の釜石鉱山の正月は、その「月月火水木金金… 続きを読む
l全県 1月 1日 1945 警視庁「お願いだから東京で巡査に応募して!産業戦士やめてでも来て!」 昭和20年元旦の岩手日報より。 東京の警視庁が新聞広告で大々的に巡査を募集している。 この増産報国のご時世に、「産業戦士モ奮テ応募セヨ」となりふり構わず応募かけている。 … 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 12月15日以降白金を所有している人は罰金か懲役ですよ!供出しましょう!(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 戦局は逼迫しており、白金の供出に迫られていた。 それで、「12月15日以降の白金の所有者は懲役10年以下か罰金500円以下」になるというのである。… 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 東北配電より電灯用電球の配給に関するお知らせ(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 当時は電気事業は「東北配電」であった。 そして電球も配給制だったようである。 その旨のお知らせ。 … 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 防寒着や飛行服のためにヌートリアを飼育しましょう!(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 広告欄には飛行服のためにヌートリアの飼育を奨励する広告。 ヌートリアは良質の毛皮になるので、飛行服や防寒着用に飼育を奨励されていた。 しかし、平成以降は「特定外来種」として農作物を食害する害獣として忌避されることになる。 人間の罪深きことよ・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡工機部で働く21歳女性の発明(S19.8.3新岩手日報) 盛岡工機部(のちの国鉄盛岡工場)で働く21歳の女性が、ワイヤー曲げの機械を発明したという。 これで、手作業が大幅に自動化されたのだという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡市内映画案内(昭和19年8月3日) 昭和19年8月3日の岩手日報より。 盛岡市内の映画情報として7館の上映情報が載っている。 また、前後にはない映画館として「長町日活館」「生姜町日活館」がある。 長町とは材木町から上田に向かう途中のあたり、生姜町とはホットライン肴町の真ん中あたりから八幡宮へ向かうあたり。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡・第一映画劇場で「都会の奔流」上映(昭和19年8月3日) 昭和19年8月2日の岩手日報より。 昭和15年6月13日初公開の松竹映画「都会の奔流」が第一映画劇場で公開。 主演は佐分利信。 … 続きを読む