c久慈・九戸郡 10月 28日 1957 久慈の川崎製鉄が西独クルップ社と提携へ(S32.10.28デーリー東北) 久慈の川崎製鉄が、西ドイツのクルップ社と提携するのだそうで、近く工場長が西ドイツに渡航するという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 27日 1957 宮古二中の生徒が文通で八戸を紹介(昭和32年10月27日) 昭和32年10月27日のデーリー東北より。 宮古二中の生徒が、全国と文通をしていたが、その中で、八戸市教育委員会にも手紙を送ってきたようで、八戸を水産都市として紹介してどうたらこうたらと言う記事。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 26日 1957 千代田生命一関支部江刺出張所では職員募集!(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 千代田生命一関支部江刺出張所では職員を募集している。 初任給は4千円。 というか、江刺支部って中心部の岩谷堂じゃなくて田原にあったの… … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 24日 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(昭和32年10月24日) 昭和32年10月26日のデーリー東北より。 静岡県の三島や清水のミカンもぎの出稼ぎに、久慈駅から第1陣が出発した。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 24日 1957 久慈高校水産部製造科3年生は引っ張りだこ(昭和32年10月24日) 昭和30年10月24日のデーリー東北より。 久慈高校水産部製造科の3年生は、都内の各会社に引っ張りだこで、全員就職の見込みであったと言う。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 19日 1957 九戸地方乳牛共進会(昭和32年10月19日) 昭和32年10月23日のデーリー東北より。 久慈場検場で九戸地方乳牛共進会が開催され、500人の人出と75頭の牛で賑わった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 17日 1957 久慈の秋祭りは大賑わい(昭和32年10月17日) 昭和32年10月19日のデーリー東北より。 久慈市の秋の祭典は、10月17日から三日間行われている。 初日には、豊作の取り入れが終わったばかりの近在から1万5千人では目貫通りはにぎわった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 17日 1957 久慈市の山内市長が北京へ出発(昭和32年10月17日) 昭和32年10月19日のデーリー東北より。 北日本港湾都市市長団の三役として、中共の北京市の招きで10月23日に羽田国際空港から香港経由で旅立つ久慈市の山内市長は、10月17日13時市役所前から市長専用車で市役所前を出発した。 市長は「1ヵ月の間、を留守にしますが、皆さん元気で勤めをお願いします。戦… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 14日 1957 安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) 昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 13日 1957 久慈・巽山公園で三船久蔵記念館の地鎮祭(昭和32年10月13日) 昭和32年10月15日のデーリー東北より。 久慈出身の柔道家・三船久蔵十段の偉業を顕彰し、久慈市内の巽山公園に三船久蔵記念館を建設しようと言う計画が立った。 その地鎮祭には、三船十段本人も隣席して行われることになった。 席上、三船銃弾は「私は今度建設される敷地に昔建てられた郡役所の給仕を勤めていたこ… 続きを読む
m県外・参考 10月 8日 1957 八戸・丸美屋の布団綿入れ実演会!(昭和32年10月8日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋デパートでは布団の綿入れ実演会を行うという。 この時期の1000円というのがどのくらいかは分からないが… … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 7日 1957 久慈湾で粘土輸送の機帆船がしけで真っ二つ(昭和32年10月7日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 10月7日の明け方3時頃、久慈湾で粘土輸送の機帆船・一洋丸が(99トン)しけにたたき付けられ真っ二つになってしまったという。 この時、波高は4メートルにもなっていたという。 損害は1千万円とも推定された。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 6日 1957 久慈小学校でPTA運動会(昭和32年10月6日) 昭和32年10月6日のデーリー東北より。 久慈小学校では児童のではなくPTAの運動会が行われることとなった。 いつものPTAの集まりからは、さほど参加者を期待していなかったがこの日は200名も集まったという。 写真は「ミセス・コンテストレース」であるという。 … 続きを読む
m県外・参考 10月 3日 1957 南部せんべいは八戸の名物・・・なのか?(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 南極越冬隊の食料として、青森県からは南部せんべい・イカの塩辛・津軽味噌を送ることとなった。 それで、八戸のデパートである丸美屋では商工会議所の協力を得て発送作業を行うこととなった。 南部せんべいは石油缶10本、塩辛は2貫樽5個に詰められて運び出されるという。… 続きを読む
m県外・参考 10月 3日 1957 東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 広告欄の一番下には三八五運送の広告。 この時期から既に東京までトラックで運んでいたのだろうか? 国道4号線すら「酷道」と呼ばれ、舗装すらされていなかった時期である。 ちなみに岩手県内で出てくる地名は一ノ関、水沢、盛岡、軽米、大野、久慈、種市。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 3日 1957 久慈の久喜浜ではイワシが豊漁でシメ粕で埋まる(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 おなじ10月3日の紙面では、となりの種市の八木港がサバの不漁となっていた時、久慈の久喜浜ではイワシが豊漁であった。 連日1万貫もの水揚げがあり、魚油を絞った後に肥料に使うシメ粕の加工に主婦や子供達は忙しかった。 シメカスは1貫230円前後で売れるのだという。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 3日 1957 種市の八木港ではサバが不漁(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 三陸沿岸は、この時期最も魚の取れるシーズンであるはずが、種市の八木漁港ではサバが全く獲れないじょうきょうであったという。 他県のサバ釣り船団も日本海の方に行ってしまった。 サンマは好調なのだが、八木港は水揚げ港に指定されておらず入港する船は無し。 製氷工場も… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 3日 1957 久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 久慈港の堀込工事は、宮城建設によって進められていた。 この工事の土台となるテトラポット投入は、県内ではじめてケーブルクレーンからの投下によって行われることとなった。 (それまではどんな方法で行われていたのかは書いていない) この方法であれば、どんな荒海でも関… 続きを読む
m県外・参考 10月 1日 1957 八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日) 昭和32年10月1日のデーリー東北より。 八戸のキャバレーは「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」と。 この時期は、話し言葉もこんな「てよだわ調」だったのだろうか。 デーリー東北なら岩手県でも久慈や二戸ぐらいなら購読者がいる。 何かの用事で八戸に行ったついでに寄った人もいたかもしれない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 22日 1957 江刺町の人首小学校がブロック建てで落成(昭和32年9月22日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺町の人首小学校が江刺町では初のブロック建築で落成するという。 9月22日11時から同校で落成式が行われるという。 総工費1020万円で1019坪、普通教室が12で放送室、保健室、教材室、職員室、校長室となっていたという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 15日 1957 岩谷堂(江刺)はまた味噌の産地でもあった(昭和32年9月15日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺の中心地・岩谷堂といえば「岩谷堂羊羹」「岩谷堂たんす」で知られるが、味噌でも有名だったようである。 それで味噌の広告が3社連名でだされている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 15日 1957 ポン児君(何が何だか全く不明)(昭和32年9月15日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺のローカル紙・岩手民声新聞に連載される漫画はいつもいつも意味不明で何が面白いのか分からないことで定評があるが、今回はそれに輪をかけて意味不明である。 それもそのはずで、組版が裏焼きになっているのである。 &nbs… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 15日 1957 改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞の広告欄より。 この時期は電気炊飯器など一般的ではなかった時期なので、普通にかまどが広告を出している。 これは無煙かまどだそうで、いわく「仁徳天皇の故事も古くなりました」という。 仁徳天皇の故事とは? それは、仁徳天皇が町を見渡すと家々のかまどから煙が立っていない。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 15日 1957 ポン児君「あれぢゃ見られん」(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の江刺のローカル新聞「岩手民声新聞」より。 この時期連載されていたのは「ポン児君」という4コマ漫画。 正直言って、どんなふうに面白いのか謎である。 あえて解釈するならこんな感じだろうか。 主人公の前の席にはもともと美女が座っていたが、辞めてしまい後任は美人ではない女性。 主人公は… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 9日 1957 岩谷堂の夏祭り(昭和32年8月9日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 江刺町では毎年旧盆に多聞寺公園で夏祭りが行われていた。 昭和32年は8月9日~11日。 祭りの最後を飾る灯篭流しは、11日に多聞寺公園下の人首川で催され、初盆を迎えた50柱の霊を慰める灯篭が流された。 … 続きを読む
l全県 8月 1日 1957 【赤線地帯を往く】(8)むすび(昭和32年4月1日) 昭和32年4月1日の岩手日報より。 売春防止法が公布され、施行まで1年を控え、岩手県内の赤線地帯も動揺が走っていた。 それで、県内に600にいたという売春婦の相談体制を拡充に努めていた。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 5月 31日 1957 夏油温泉は森林軌道に乗って(昭和32年5月31日) 昭和32年5月31日の岩手日報より。 北上の山奥にある夏油温泉に行くためには、営林署のトロッコに便乗していくのが普通だったようである。 営林署の貯木場までバスで行き、そこから先は森林軌道のトロッコで行く感じだったのだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 31日 1957 県立図書館は本が増え過ぎて整理が追い付かない(昭和32年5月31日) 昭和32年5月31日の岩手日報より。 県立図書館は大正11年に創設されたが、この当時は蔵書素は15,000冊だった。 そして蔵書は増え、昭和23年には60,000冊になり、整理がつかなくなり屋上にまで積み重ねられる事態となった。 そして昭和32年の時点では、100,000冊に達していた。 それで、未… 続きを読む
l全県 5月 30日 1957 ナショナル洗濯機「愛妻号」は20,000円!(昭和32年5月30日) 昭和32年5月30日の岩手日報より。 広告欄にはナショナル洗濯機の「愛妻号」。 岩手県内のどこそこの電器店が出していたという広告ではなく、松下電器が直接出していた広告。 「愛妻号」自体は平成まで製造していたのではないだろうか。… 続きを読む