備考※3

ポン児君(何が何だか全く不明)(昭和32年9月15日) h水沢・江刺・胆沢郡

ポン児君(何が何だか全く不明)(昭和32年9月15日)

昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺のローカル紙・岩手民声新聞に連載される漫画はいつもいつも意味不明で何が面白いのか分からないことで定評があるが、今回はそれに輪をかけて意味不明である。 それもそのはずで、組版が裏焼きになっているのである。       &nbs…
改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日) h水沢・江刺・胆沢郡

改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日)

昭和32年8月15日の岩手民声新聞の広告欄より。 この時期は電気炊飯器など一般的ではなかった時期なので、普通にかまどが広告を出している。 これは無煙かまどだそうで、いわく「仁徳天皇の故事も古くなりました」という。 仁徳天皇の故事とは? それは、仁徳天皇が町を見渡すと家々のかまどから煙が立っていない。…
ポン児君「あれぢゃ見られん」(昭和32年8月15日) h水沢・江刺・胆沢郡

ポン児君「あれぢゃ見られん」(昭和32年8月15日)

昭和32年8月15日の江刺のローカル新聞「岩手民声新聞」より。 この時期連載されていたのは「ポン児君」という4コマ漫画。 正直言って、どんなふうに面白いのか謎である。 あえて解釈するならこんな感じだろうか。 主人公の前の席にはもともと美女が座っていたが、辞めてしまい後任は美人ではない女性。 主人公は…
県立図書館は本が増え過ぎて整理が追い付かない(昭和32年5月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県立図書館は本が増え過ぎて整理が追い付かない(昭和32年5月31日)

昭和32年5月31日の岩手日報より。 県立図書館は大正11年に創設されたが、この当時は蔵書素は15,000冊だった。 そして蔵書は増え、昭和23年には60,000冊になり、整理がつかなくなり屋上にまで積み重ねられる事態となった。 そして昭和32年の時点では、100,000冊に達していた。 それで、未…
盛岡日活で「乃木将軍と日露戦争」「幸せは俺等の願い」「体当たり殺人狂時代」を公開(昭和32年5月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡日活で「乃木将軍と日露戦争」「幸せは俺等の願い」「体当たり殺人狂時代」を公開(昭和32年5月29日)

昭和32年5月28日の岩手日報より。 盛岡日活で「乃木将軍と日露戦争」「幸せは俺等の願い」「体当たり殺人狂時代」を公開する。 「幸せは俺等の願い」は昭和32年3月3日初公開の日活映画で、フランキー堺や左幸子が出演。 「体当たり殺人狂時代」も昭和32年3月3日初公開の日活映画で、大宮デン助・清川虹子・…
盛岡中劇で「友情ある説得」「キング・ソロモン」封切!(昭和32年5月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡中劇で「友情ある説得」「キング・ソロモン」封切!(昭和32年5月28日)

昭和32年5月27日の岩手日報より。 盛岡中劇では「友情ある説得」と「キング・ソロモン」を二本立てで封切した。 「友情ある説得」(原題:The Friendly Persuation)は米MGM配給で日本初公開は昭和32年1月4日。主演はゲーリー・クーパー。 「キング・ソロモン」(原題:King S…
盛岡・国劇で「熱砂の舞」「オドンゴ」公開!(昭和32年5月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・国劇で「熱砂の舞」「オドンゴ」公開!(昭和32年5月28日)

昭和32年5月27日の岩手日報より。 盛岡の洋画封切館・国民映画劇場では「熱砂の舞」と「オドンゴ」を公開する。 「熱砂の舞」(原題:Zarak)は、中東のアフガニスタン国境を舞台にした米コロムビア映画で日本での初公開は昭和31年12月20日。 「オドンゴ」(原題:Odongo)はケニアを舞台にした、…
盛岡東映で「抜打ち浪人」「かぶと虫の妖奇」を封切!(昭和32年5月28日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡東映で「抜打ち浪人」「かぶと虫の妖奇」を封切!(昭和32年5月28日)

昭和32年5月27日の岩手日報より。 盛岡東映では「抜打ち浪人」と「少年探偵団 かぶと虫の妖奇」を封切する。 いずれも東京での初公開は昭和32年5月20日なので、ちょうど1週間のタイムラグ。 「抜打ち浪人」は、大友柳太朗が主演の剣豪モノの時代劇。 「少年探偵団 かぶと虫の妖奇」は、明智小五郎シリーズ…
使いよい電話台は盛岡・呉服町の「アカザワ号」で(昭和32年5月27日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

使いよい電話台は盛岡・呉服町の「アカザワ号」で(昭和32年5月27日)

昭和32年5月27日の岩手日報の広告欄より。 電話台「アカザワ号」の広告が出ているが、注目すべきは黒電話がダイヤル式であること。 当時、盛岡の電話はダイヤル式ではなく「共電式」という、受話器を上げれば電話局の交換手につながるという方式であった。 この年の8月からダイヤル式自動電話が導入されるのだが、…
釜石・和山牧場で闘牛大会(昭和32年5月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石・和山牧場で闘牛大会(昭和32年5月26日)

昭和32年5月27日の岩手日報より。 釜石市の山奥にある和山牧場では、100年以上の歴史を持つ闘牛が名物であったという。 これを見るために、釜石市内外からバスやジープやトラックで2,000人以上の観客が詰めかけたという。 この時期最強だったのは、この和山牧場組合が所有する9歳の「大宮号」であったとい…
昭和32年の盛岡郵便局の一日局長は地裁所長 a盛岡・岩手郡・紫波郡

昭和32年の盛岡郵便局の一日局長は地裁所長

昭和32年4月24日の読売新聞岩手版より。 昭和32年4月24日読売新聞岩手版より。 「郵便週間」(4月20~28日)にちなみ、盛岡郵便局では市内の名士を「一日局長」に。 この年は盛岡地方裁判所長。 局長の手ほどきを受けながら慣れない手つきでスタンプを押していた。 また、新しく完成したばかりの郵便局…