i一関・西磐井郡 1月 14日 1955 一関で大豆畑を食い荒らすカタツムリを火炎放射器で殲滅だ!(昭和29年1月14日) 昭和29年1月14日の岩手日日より。 前の年、一関の中里沖、長島、舞川、平泉等の北上川流域の大豆畑350町歩では、ウスカワマイマイが大発生し、2千万円にも及ぶ被害を与えたのだと言う。 化学薬剤でも効果はなかったのだと言う。 そこで、一関農業改良普及事務所では、今度は火炎放射器による撲殺を計画した。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 10日 1955 三陸縦貫鉄道と北上山系横断鉄道に国鉄の調査隊 「日本のチベット」と呼ばれていた岩手県の内陸北部に鉄道を通そうという計画は、実にこの頃からあった。 昭和30年1月10日読売新聞より そこで、国鉄は調査隊を派遣して基礎調査を行うことになった。 区間は宮古〜小本〜久慈の「三陸縦貫鉄道」と、沼宮内〜岩泉〜小本の「北上山系横断鉄道」。 この時点では、いず… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 21日 1954 山田線が6年ぶりに復旧 昭和23年のアイオン台風で山田線が普通となっていたが、最後まで残っていた腹帯〜平津戸間が、昭和29年11月21日に全線復旧することとなった。 「オイラン列車」の簪も頼もしい。 昭和29年11月11日読売新聞岩手版より そして11月21日の開通式では、宮古駅のすぐ裏にある宮古高校の講堂で国分知事や岡田… 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 21日 1954 二戸郡福岡町は「福岡市」になれず(昭和29年9月21日) 昭和29年9月21日の岩手日報より。 上閉伊郡遠野町や気仙郡高田町が次々と市勢を決めていく中、二戸郡福岡町も、周辺の爾薩体村や金田一村を合併して「福岡市」になろうと頑張っていたが、金田一村が市制協議会から脱退してしまい、それが不可能となってしまった。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 9月 18日 1954 岩手県で11番目の市名は「陸前高田」と決まる(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 昭和の大合併で、県内の各町村が市に昇格していたが、その11番目は気仙郡高田町が「陸前高田市」になるものであった。 … 続きを読む
l全県 9月 18日 1954 台風14号にサンマ漁船は戦々恐々(昭和29年9月18日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 太平洋の沖合にある台風14号が東日本にも接近しそうだと言うことで、サンマ漁船は戦々恐々としていた。 ちなみに、この次の台風15号は「洞爺丸台風」となる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 17日 1954 三笠宮殿下が松尾鉱山をご見学(昭和29年9月17日) 昭和29年9月18日の岩手日報より。 青森など各地を回っていた三笠宮殿下は、9月17日にまた岩手にご来県し、松尾鉱山などを見学された。 そればかりではなく「岩手の学校では、他の県と違って気をつけとか敬礼の号令が非常に多く堅苦しく感じた」と苦言をていされたのであった。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 16日 1954 東洋一の威容を誇る田瀬ダムが貯水開始(S29.9.16岩手日報) 県の総合開発の目玉となっていた田瀬ダムが谷内村(のちの東和町)に完成、貯水を開始した。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 15日 1954 水害記念日を迎える一関(S29.9.15岩手日報) 一関では昭和22年9月15日にキャサリン台風が、翌昭和23年9月16日にはアイオン台風が襲来した。 その慰霊祭が磐井川で挙行されようとしていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 15日 1954 盛岡八幡宮の例大祭で6台の山車(S29.9.15岩手日報) この当時、盛岡で最大の祭りは、盛岡八幡宮の例大祭であった。 山車が6台も出て盛況であったという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 15日 1954 浄法寺は福岡町と、奥中山は沼宮内町と合併か(S29.9.15岩手日報) この時期は「昭和の大合併」の時期。 どの町村がどこと合併するかが焦点になっていた。 浄法寺町は福岡町と合併して市制、小鳥谷村奥中山は沼宮内町と合併などという話になっていた。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 6日 1954 一関で自動車運転者受験講習会(昭和29年9月14日) 昭和29年9月6日の岩手の1日より。 一関商工会議所の主催、一関市公安委員会の共催で、9月14日から28日までにかけて、自動車運転者受験講習会が開かれることとなった。 運転免許の受験自体が一関でできるかどうかはここでは読み取れないが、このような講習会は需要があったようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 ナスの七つ子とナンバンカラシの双子(S29.9.1岩手日報) 花巻市内の農家で、ナスの七つ子と、ナンバンカラシの双子ができて話題になっていた。 ナンバンカラシとはおそらく唐辛子のこと。 確かに管理人の祖母(1915−2003)は唐辛子を「ナンバン」と呼んでいた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1954 盛岡のヒロポン密造所を急襲(S29.9.1岩手日報) 盛岡市八幡町の露天商宅でヒロポンを密造しているという情報を得た盛岡署は、急襲して検挙した。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1954 花巻温泉郷に響く豊年歌(S29.9.1岩手日報) この年は稲穂が実り、花巻温泉郷の鉛温泉や志戸平温泉は豊作を祝う歌声が響いていた。 しかしよくもまあ女湯で撮影しようと思ったものである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 1日 1954 ビキニ「死の灰」で宮古でも原水禁運動(S29.9.1岩手日報) 3月1日のビキニ環礁の「死の灰」は日本社会にショックをもって伝えられた。 この時点で、久保山愛吉さんはご存命中で、危篤が伝えられる状況であった。 そのような中、宮古でも原水禁運動が繰り広げられた。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 9月 1日 1954 岩手県南バスと羽後交通が湯本温泉~横手に路線開業(昭和29年9月1日) 昭和29年8月31日の岩手日報より。 湯本温泉~横手間にバスが開業するという。 運行会社は岩手県南バスと羽後交通。 時刻は以下の通り。 湯本発 8:00、10:30、17:00 横手発 8:00、10:30、16:30 主な停留所は以下の通り。 湯本、湯ノ沢、川尻、湯田駅前、野々宿、県境、黒沢、相野… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 31日 1954 上閉伊郡上郷村に「もぐり橋」竣工(昭和29年8月31日) 昭和29年8月31日の読売新聞岩手版より。 上閉伊郡上郷村平倉地内の早瀬川にコンクリートのもぐり橋「本宮橋」が完成した。 幅2メートル、長さ112メートルで、欄干も無く冠水すれば通行止めになってしまうが、木橋より安上がりであるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 29日 1954 盛岡でバス運転競技会(昭和29年8月29日) 昭和29年8月31日の読売新聞岩手版より。 8月29日、盛岡市馬検場で第3回県下バス運転競技会が開催され、7社の代表選手10名が参加して行われた。 種目は以下のようなものであったという。 白線を引いた狭い道路を赤旗を倒さぬよう規定の速度で運転する 運転態度 ガソリン消費量 車体整備 学科試験 入賞者… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 29日 1954 まだ知らない人がいる!金光堂の三色最中の味を(昭和29年8月29日) 昭和29年8月29日の岩手日日の広告欄より。 一関市内の菓子舗による三色最中の広告。 そもそも三色最中と言えば仙台の名物。 一関は何かにつけ「仙台っぽさ」を感じるが、やはりこのような所にも現れている。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 29日 1954 一関・新星劇場では映画の新しい革命!MGMの立体映画「メトロスコピックス」(昭和29年8月29日) 昭和29年8月29日の岩手日日より。 一関の新星劇場では、米MGMの新しい立体映画システム「メトロスコピックス」を導入するという。 「旋風的公開迫る!!」というコピーも勇ましい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 1日 1954 早稲田大学グリークラブが岩手県公会堂で公演(S29.8.1岩手日報) 早稲田大学グリークラブは東北や北海道を回って公演をしていたようだが、7月31日は岩手県公会堂で公演したという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 8月 1日 1954 北福岡駅〜斗米村〜田子町に国鉄バス開業(S29.8.1岩手日報) 8月1日から、国鉄バスの北福岡駅から斗米村と青森県境を越えて田子まで国鉄バスが開業したようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 1日 1954 戦時中にヤギの乳を飲ませてやった老人は高村光太郎その人だった(S29.8.1岩手日報) この当時、終戦から10年が経とうとしていた。 終戦ごろ、飢えた老人がいたので、ヤギの乳を飲ませてやったところ、詩をもらったのだが、それは高村光太郎その人であったという話。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 1日 1954 川井村の僻地生徒のために県北バスが無料スクールバス(S29.8.1岩手日報) 川井村の川井中学校では、学区が非常に広く、場所によっては往復4里の道を歩かなければいけない生徒もおり、これでは予習復習する暇もなく、ぐったり寝てしまい、学力の低下や長期欠席につながっていた。 そこで、校長が県北バスに頼み込んで、無料のスクールバスを走らせてくれるように頼んだのである。 その結果、県北… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 22日 1954 内陸部の市町村合併のゆくえ(S29.7.22岩手日報) この時「昭和の大合併」が進んでいたが、内陸部では、上閉伊郡達曽部村が周辺の大迫・宮守・土沢・遠野のどこと合併するかで揺れていた。 また、紫波郡では郡で1つの町になるという案もあったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 7日 1954 盛岡・松屋デパートでは「実用白生地の会」(昭和29年7月7日) 昭和29年7月7日の岩手日報より。 広告欄には松屋デパートの「白生地の会」の大売出しの広告。 やはり「碼」(ヤール)単位である。 … 続きを読む