l全県 3 12月 1953 官公庁ゼネスト状態(S28.12.3岩手日報) 昭和28年12月3日の岩手日報の紙面状況を詳細に確認すると、これは実態として「官公庁によるゼネスト(総同盟罷業)」と言って差し支えない状態です。 Screenshot 当時の記事には、全官公(全国官公労働組合協議会)による年末攻勢が最高潮に達し、鉄道、通信、現業部門が同時に実力行使に踏み切っている様… 続きを読む
l全県 3 12月 1953 全国的な国鉄ストは岩手でも急行「北斗」「北上」「みちのく」に影響(S28.12.3岩手日報) 昭和二十八年十二月三日の岩手日報の紙面を広げると、そこには戦後日本の進むべき道を巡る激しい熱気が記録されています。当時の社会を最も大きく揺るがしていたのは、国鉄労働組合による大規模な闘争でした。紙面には、東海道線がマヒ状態に陥り、千本を超える列車が運休し、東北本線の急行北斗も遅延を余儀なくされたとい… 続きを読む
m県外・参考 2 12月 1953 シベリア抑留からの帰還者が興安丸で帰国(S28.12.2岩手日報) シベリア抑留から帰ってきた帰還者が舞鶴に一歩を記す。 特段、県人が何名とかそうした情報はない。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 12月 1953 釜石では魚の加工施設が不足(S28.12.1岩手日報) 釜石は製鉄の街であるとともに水産都市であるが、魚の加工施設が少ないことが問題になっていたようである。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 中央バスの青山町線・上田線が臨時増発(S28.12.1岩手日報) 岩手中央バスの上田線と青山町線が増発するという。 当時の上田線は馬町〜競馬場前(現在の岩大のあたりに黄金競馬場があった)、青山町線は馬町〜青山町。 当時は盛岡バスセンターはなく、また、営業所は松園ではなく上田、滝沢ではなく青山町にあった時代。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 「ラジオ岩手」が近く試験放送(S28.12.1岩手日報) この年の12月末に本放送の開始を予定していラジオ岩手が、4日にでも試験放送を開始するという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 東大通商店会創立記念大売り出し(S28.12.1岩手日報) 東大通商店会が創立したというので大売り出し。 東大通りというのは、桜山神社〜サンビルのあたりで、昔は岩手公園のお堀の上にも商店が密集していたらしい。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1 12月 1953 岩手県内では花巻・黒沢尻・水沢・摺沢に支店網を展開する会社?(S28.12.1岩手日報) 東京に本社のある「大和相互投資金庫」という会社があり、岩手県内では花巻・黒沢尻(北上)・水沢・摺沢(大東町)にあるという。 当時市制していた盛岡・釜石・宮古・一関・大船渡には全く支店が無い。 事業内容もよく分からないが、支店網展開がもっとよくわからない・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1953 盛岡中劇で「無法者」上映(S28.12.1岩手日報) 盛岡中劇で「無法者」を上映する。 「無法者」は昭和28年11月23日封切りの大映作品で、出演は菅原謙二・若尾文子など。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 2 3月 1953 小鳥谷村は製炭業が枯渇寸前なので漆で村おこし(昭和28年3月2日) 昭和28年3月2日の読売新聞岩手版より。 二戸郡小鳥谷村平糠では部落のほぼすべてが製炭業に従事していたが、戦中~戦後に乱伐したことにより、ほぼ切れる木が無くなっていた。 そこで、元手がかからず収入の高いウルシの木を植えることで窮地を挽回しようと躍起になっている。 二戸郡では浄法寺もウルシの産地である… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1953 抗日の記念日「三一節」に盛岡・釜石・黒沢尻の在日朝鮮人が集会(昭和28年3月1日) 韓国の祝日には「三一節」というのがある。 これは、朝鮮半島が日帝に支配されていた大正8年(1919年)3月1日、京城(ソウル)のパゴダ広場で抗日蜂起が起こったことを記念したものである。 そんな朝鮮人にとって、昭和20年8月15日とは「終戦」ではなく「光復」であり、日帝からの自由を祝うべきものだったの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 10月 1952 松尾村の松尾中学校の新校舎が落成します!(昭和27年10月20日) 昭和27年10月19日の岩手日報より。 松尾村の松尾中学校の新校舎が竣工し、20日に竣工式典を挙げることになった。 グランドピアノや映写機も備え付けられており、文部省のモデルスクールに指定してもらおうといきごんでいる。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 18 10月 1952 市制したばかりの大船渡市の細長い町並みの利便性改善の鍵はバスの便(昭和27年10月18日) 昭和27年10月18日の岩手日報より。 「わが町わが村戦後版」というシリーズ物の記事で、第38回目は大船渡市。 この時点で、4月1日に市制したばかりという状況であった。 大船渡市は盛の町並みから大船渡の町並みまで20町あまり、子の広さをバスで縮めないといけないと市では頭を悩ませていた。 大船渡市内を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 10月 1952 黒沢明監督「生きる」が盛岡東宝第一劇場で完成披露試写会(昭和27年10月15日) 昭和27年10月7日の岩手日報の広告欄より。 黒沢明監督の映画「生きる」の完成披露試写会を10月15日に盛岡東宝第一劇場で行うという。 「完成披露試写会」とはいうものの、東京では10月9日の時点ですでに封切されているのである。 まあ岩手なんてそんなもんかね・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 10月 1952 渇水期は停電の季節(S27.10.10岩手日報) 昭和27年10月10日の岩手日報を開くと、そこには現代の私たちが忘れてしまった切実なエネルギー事情が刻まれています。当時の東北地方において、電力供給の主役は水力発電でした。そのため、秋から冬にかけての渇水期はそのまま深刻な電力不足に直結する季節であり、紙面には果敢ないお天気任せといった言葉や、貯水計… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 10月 1952 ヘルシンキ五輪のメダリストが岩手に来て「盛岡オリンピック」(S27.10.10岩手日報) 昭和27年10月10日の岩手日報を開くと、当時の岩手県民がどれほどの熱量で世界のスターたちを待ちわびていたかが鮮烈に伝わってきます。この記事が報じているのは、ヘルシンキ五輪で輝かしい成績を収めた外国人選手たちの来県という、当時の地方都市としては破格のニュースです。 Screenshot 特に注目すべ… 続きを読む
l全県 9 10月 1952 県内で「おせり」(馬市)盛ん(S27.10.9岩手日報) 昭和27年10月9日の岩手日報に掲載された写真記事は、まさに「馬とともに生きた岩手」の空気を閉じ込めた一枚でした。 いまではトラクターが当たり前になりましたが、戦後まもないこの時代、農家にとって馬はかけがえのない家族であり、働き手であり、暮らしを支える存在でした。 岩手と馬文化 岩手には古くから“馬… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 10月 1952 盛岡駅構内で「動く鉄道博物館」 昭和27年10月8日の岩手日報より。 国鉄開業80周年を記念して、盛鉄局が主催して盛岡駅構内の「片倉線」で7日から「動く鉄道博物館」が開催されているという。 「片倉線」というのは片倉製糸の引き込み線、ということだろうか。 確かに盛岡市内には片倉製糸の工場があったようである。 ただしネット上だけではそ… 続きを読む
l全県 8 10月 1952 渇水でもないのにまた停電(昭和27年10月8日) 昭和27年10月8日の岩手日報より。 「盛岡市内にて」ということであるが、これは本屋? 10月7日の夕方からまた輪番停電が始まった。 盛岡市内では10月7日17時~19時の間に輪番で10分間ずつ、郡部では15分ずつ消された。 8日に入り、0時~6時の間に1時間ずつ2回の停電が行われた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 10月 1952 盛岡市青山は「引揚者の町」だった 昭和27年10月7日の岩手日報より。 盛岡市青山町は、住民の実に7割までが引揚者であり、「岩鷲寮」には樺太からの無縁故引揚者が657世帯2785名、「青山寮」には朝鮮・台湾・南方からの引揚者が503世帯2322名入っていたという。 かつては「観武(みたけ)ヶ原」と呼ばれていた帝国陸軍の師団があった場… 続きを読む
l全県 5 10月 1952 大学入試センター試験ならぬ「進学適性検査」(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報の広告欄より。 この当時、国立の新制大学を受験する人は「進学適性検査」を受けなければならなかった。 そのあたりの詳細は、以下のページに書いてある。 後年でいう共通一次試験、センター試験同様「国立大学受験者はこの試験を受けなければいけない」という性質のものであるようだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 10月 1952 盛岡・中央ホールで「青いヴェール」公開(昭和27年10月5日) 昭和27年10月5日の岩手日報より。 盛岡・中央ホールでは「青いヴェール」を公開する。 「青いヴェール」(原題:The Blue Veil)は1951年米RKO配給で、日本での初公開は昭和27年7月29日。主演はジェーン・ワイマン。 ところで、この広告に「投票済ませ」とあたり、隣の岩手… 続きを読む
l全県 4 10月 1952 教育委員選挙:最後のお願い(S27.10.4岩手日報) 昭和27年の秋、岩手の町や村では教育委員の選挙が行われていた。 今では考えにくいが、当時は教育委員も公選制で、「先生を選ぶ人を選ぶ」時代である。翌日に投票を控え、候補者たちは「最後のお願い」に駆け回っていた。 Screenshot だがその光景は、いささかカオスだった。 ある村では、「誰が出るのか」… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 10月 1952 盛岡公共職業安定所に集まる日雇い労働者(S27.10.4岩手日報) 昭和27年10月4日付の岩手日報には、「朝の生態」というシリーズ記事が掲載されている。 この日のテーマは、盛岡職業安定所に集まる日雇い労働者たちの姿である。 Screenshot 記事によると、当時の盛岡職安は内丸に本所があり、太田橋や簗川にも支所が設けられていた。 朝のうちに仕事を得られるかどうか… 続きを読む
g教育 4 10月 1952 教育委員選挙の風景(S27.10.04岩手日報) 昭和27年10月4日の岩手日報には、県内各地で熱を帯びていた「教育委員選挙」の様子が大きく紹介されています。現在の教育委員は首長による任命制ですが、この頃はまだ“住民が教育行政の担い手を選ぶ”という理想のもと、公選制が採用されていました。 Screenshot 紙面には選挙カーや街頭演説、農村での集… 続きを読む