h水沢・江刺・胆沢郡 2月 12日 1962 江刺市内の農協に「食肉銀行」を(昭和37年2月12日) 昭和37年2月12日の岩手民声新聞より。 江刺市内の各農協では、出荷調整のために冷蔵施設を設けることを決めた。 それを「食肉銀行」という言い方をしていたようである。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 5日 1962 県立江刺病院にガストロカメラとレントゲン導入(昭和37年2月5日) 昭和37年2月5日の岩手民声新聞より。 前年来、本館建設など江刺唯一の総合病院として施設の充実を進めている県立江刺病院に、最新式のレントゲン撮影機1台と、胃を調べるガストロカメラ2台が導入されることになった。 レントゲンは島津製作所製で、購入額も2,800,000円と、旧式の2倍以上するものである。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 26日 1962 江刺市商工会が商工会議所に昇格確実(昭和37年1月26日) 昭和37年1月26日の岩手民声新聞より。 江刺市商工会は、商工会議所に昇格するのが確実視されていた。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 19日 1962 胆江麺類同業組合ではメニューの値上げ(昭和37年1月19日) 昭和37年1月19日の岩手民声新聞より。 胆江麺類同業組合の会員となる食堂では、材料費の高騰などからメニューの値上げをすることに。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 12日 1962 江刺で社会党議員「自民党は徒党政治だ!農家は集団化すべきだ!」(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市で社会党の北山愛郎議員、千田正議員を読んで講演会をしたという。 ただ「農家は共同化が必要」「資本主義から社会主義へ」と、令和の現代では考えられないような発言。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 12日 1962 江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺の県南バスターミナルに食堂がオープンすると言う。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 12日 1962 岩手日報も岩手民声新聞の1000号を祝福(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺市に本社のある岩手民声新聞は、昭和37年の元旦号で1000号を迎えることになった。 そこで、岩手県の県域紙であ岩手日報も祝福の広告を出していた。 ところで、上の「富める国アメリカは殺人、狂人が世界一多いのである」という物騒な記述は、社会党か… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 1日 1962 岩手民声新聞が創刊1000号(昭和37年1月1日) 昭和37年元旦の岩手民声新聞より。 同新聞は昭和37年の元旦号で創刊1000号に達したらしく、江刺市議会以下関係各所からのお祝いが。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 23日 1961 地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 21日 1961 前沢高校が廃校の噂!?(昭和36年11月21日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 この時期、岩手県内では「学力テスト問題」で揺れていた。 その「学テ問題に関する公聴会」を11月19日に水沢商業高校で開いていたときのこと。 岩教組の書記長が盛岡から来て「求人難にあえぐ商業界のために、高校は優秀な人しか行かせないことにしたようだ。それで県内… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 28日 1960 一関からは宮城県本吉の大谷海岸で海水浴(昭和35年7月28日) 昭和35年7月28日の岩手報知より。 一関の小学校では、普段は陸前高田の高田松原に行くのが普通だったようだが、この年はチリ地震津波で現れてしまい、宮城県本吉の大谷海岸に行くようになったようだ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 22日 1960 一関で35℃と記録的な暑さ(昭和35年7月22日) 昭和35年7月22日の岩手報知より。 この日、一関では35℃と記録的な暑さになったのだと言う。 ちなみに、現在では35℃などと言う気温は、7月単独としても10位にすら入らない程度となってしまった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 17日 1960 弾丸道路の停車場候補に一関の厳美地区(昭和35年7月17日) 昭和35年7月17日の岩手報知より。 この当時、高速道路は「弾丸道路」と言われていたようで、インターチェンジも「停車場」と呼ばれていた。 その「停車場」の候補に、一関市厳美地区が候補に上がり、建設省の課長が視察に来たのだという。 ちなみに、東北自動車道の盛岡〜一関で部分開業するのは昭和52年のこと。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 15日 1960 一関で邪恋精算自殺(昭和35年7月15日) 昭和35年7月15日の岩手報知より。 一関一高の定時制の生徒が副毒自殺をしたのだと言う。 それは、下宿先での邪恋の精算であったと言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 11日 1960 朝日新聞一関通信局の人事(昭和35年7月11日) 昭和35年7月11日の岩手報知より。 朝日新聞一関通信局の人事も岩手報知で報じていたようで、この時点での駐在者は群馬県の前橋支局に転任、後任は東京の立川通信局から来るということであった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 9日 1960 一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 9日 1960 一関東映では「東映友の会」会員募集(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 広告欄には、一関東映劇場による東映友の会の会員募集が行われていた。 会費は半年で300円であったが、そのうち半分は一関東映劇場で持つという。 会員拡大のノルマが東映本社であったのだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 9日 1960 北鮮帰還者から一関市役所に音信(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 この記事の前年の昭和34年以降、北朝鮮への帰還事業が進められていたが、一関市からは3家族が帰還していた。 そのうち1家族から音信が届いたという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1960 一ノ関駅の改修計画(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一ノ関駅には改修計画があり、国鉄側から設計図は出ていたが地元側の敷地計画が未完成という状況だった。 ちなみに一ノ関駅の駅舎は、この記事から10年後の昭和45年に完成している。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1960 一関二高でアンケート「岸内閣を支持するか」(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一関二高で「岸内閣を支持するか」アンケートをとったところ、「支持しない」が上回った模様。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 5日 1960 一関一高の放火事件で夜警団が増えた結果…(昭和35年7月5日) 昭和35年7月5日の岩手報知より。 この年の6月末、一関一高が放火で焼失した。 この時点では、犯人はまだ上がっていなかったので、一関市内の各町内会では夜警団を結成して警戒して歩くことになったのである。 そうすると、各町内の夜警団が、ヤアヤアと声を交わしている風景が頻繁となったのである。 そのたびに犬… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 2日 1960 一関の販売店「石油コンロで日活・東映映画ご招待!」(昭和35年7月2日) 昭和35年7月2日の岩手報知より。 一関市内のもコンロ販売店では、石油コンロで日活・東映の映画ご招待!という広告を出していた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 12日 1959 8月25日の民間テレビ開局に向けてあなたのお宅にもテレビを!(昭和34年8月12日) 昭和34年8月12日の岩手民声新聞より。 この年の8月25日、岩手でもはじめての民放テレビ局「岩手放送」の開局が予定されていた。 これに際して、県内の各電器店では、テレビの売り込みに必死だった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 1日 1959 「江刺のチベット」と呼ばれた上門岡にバスが開通(昭和34年7月1日) 昭和34年7月1日の岩手民声新聞より。 「チベット」と呼ばれていた上門岡に、県南バスが通ることになった。 これが、岩谷堂〜稲瀬〜上門岡に至る9.2キロの路線。 開通式は、江刺市長、北上市長、県南バス社長、県南バス江刺営業所長長など多数が出席して行われた。 海外にあたっては、上門岡部落の50戸の住民が… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6月 26日 1959 江刺のヤマハオルガン教室の月謝は1ヵ月300円(昭和34年6月26日) 昭和34年6月26日の岩手民声新聞より。 ここからには、ヤマハオルガン教室の広告乗っている。 月謝は1ヶ月300円であると言う。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6月 12日 1959 作業用一輪車は7000円前後(昭和34年6月12日) 昭和34年6月12日の岩手民声新聞より。 広告欄には、江刺市内の業者による作業用一輪車の広告が載っている。 当時の一輪車の価格は、大体7000円前後だったようである。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 12日 1959 江刺〜遠野のバス開通(昭和34年6月12日) 昭和34年6月11日の岩手民声新聞より。 江刺と遠野を結ぶ、県道小友線のバス開通式が、江刺市と遠野市の関係者が集まり、遠野市の小友中学校で行われた。 この県道自体が、「小友線道路組合」の手によって完成し、今年の3月に県道に編入をされていたと言う経緯がある。 そして、この県道にバス路線を開通させるよう… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 12日 1959 江刺在住の正田家で奉公したことがある女性が皇太子妃美智子さまを語る(昭和34年4月12日) 昭和34年4月12日の岩手民声新聞より。 このほどご成婚された皇太子妃美智子さまが正田家におられた頃、正田家で子守りをしていた女性が江刺市内に在住しているという。 それは江刺市玉里の亜炭鉱山で夫と3男1女と暮らしている36歳の女性。 宮城県生まれで、戦時中の19歳の時に兄の知人の世話で正田家に奉公す… 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 11日 1959 一関市は皇太子殿下のご成婚に何の祝賀行事もしないとは(昭和34年4月11日) 昭和34年4月11日の岩手報知より。 前日、皇太子殿下のご成婚があり、全国挙げての祝賀ムードだった。 しかし、一関市は特段の祝賀行事は行わなかったようである。 岩手報知新聞はこのことに対し、以下のように憤りを隠さない筆鋒で批判する。 ところで一関市の場合は慶祝的な行事は華道展位なものでその他は商魂た… 続きを読む