a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1928 ドイツ留学から帰ってきた盛岡高等農林学校教授(S3.9.2岩手日報) 家畜病理学の研究のためにドイツに留学していた盛岡高等農林学校の教授が、3年間の留学期間を終えて盛岡に帰って来たというニュース。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1928 岩手師範対日詰の野球試合(S3.9.1岩手日報) 岩手師範学校対日詰(町民の草野球チーム?)の野球試合は、5対3で岩手師範が勝ったという。 ところで両チームに「金田一」姓がいる。 岩手ではそれほど珍しくもない苗字。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1928 農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 写真記事で「豊穣を語る案山子」と書いている。 場所は盛岡農学校であると言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1928 岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 岩手県公会堂では「音楽と舞踊の夕べ」を開催すると言う。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 1日 1928 二戸郡では養豚に代わりウサギの飼養が盛んに(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 二戸郡では、従来養豚が盛んであって、毎年2000頭程度飼養していた。 ところが、最近は養鶏が奨励され、飼料品が不足となり鶏の需要が多くなり、豚肉が安価となって豚の飼育が減り、これに反してウサギの飼育が盛んになったと言うものである。 奥中山では1人で100頭余りも飼育… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 29日 1928 山田線の宮古〜山田の駅をどこに置くかの会議(昭和3年8月29日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 当時、山田線は盛岡から上米内しか開通していなかった。 しかし、「山田線」と言う路線名にある通り、いずれは山田町を通って、釜石まで開業する予定ではあった。 この時点では、区界までは開通が予定されており、区界から宮古の間は、7カ所の駅が開設される予定であった。 では、宮… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 8日 1928 全校児童の3分の1を落第させる小学校 昭和3年4月8日の東京朝日新聞より。 川井村小学校では全校210人の3分の1の70名を成績が悪いといって落第させたら父兄が怒って盛岡の県庁まで押しかけたのだという。 しかし学校側は「成績が悪いんだから仕方がない」の一点張り。 ・・・ところで、山田線はこの時点では上米内までしか開業してい… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10月 8日 1927 サンマの季節の貨物列車 微妙に岩手のニュースではないニュース。 昭和2年10月8日の読売新聞より。 茨城県大洗のさんま偵察船「茨城丸」は、岩手県の宮古沖にサンマの大群を発見し、それを無線で大洗の漁民に伝えた結果、大洗の漁民は近年に無い大漁を記録することに。 そうなると、大消費地である東京に運ぶ計画を立てなければならないとい… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 14日 1927 平泉・毛越寺で国宝を盗んだまではよかったが、いや良くないが 昭和2年7月14日の東京朝日新聞・読売新聞より。 前年の大正15年9月、平泉・毛越寺から国宝数点が盗み出された。 藤原秀衡納「仏説宝網経」 釈尊直使「乱蛇体」 大原實守作名刀 運慶作仏像「毘沙門天」 玉手箱 これらは合計で当時の価格にして5~60万円相当の者であったという。 それで、岩手県警察部では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1927 盛岡・内丸座で「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開(昭和2年4月22日) 昭和2年4月22日の岩手日報より。 盛岡の内丸座ではこの22日から何と4本立てで「広瀬中佐」「幻の賊」「アイアンホース」「勝てば官軍」を公開する。 「広瀬中佐」は大正15年6月25日初公開のサイレント映画で製作は松竹蒲田。 「幻の賊」は昭和2年12月1日に松竹蒲田で初公開であるというが(日本映画情報… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 16日 1927 盛岡高等農林学校の卒業式(S2.3.16岩手日報) この当時の岩手県の最高学府といえば盛岡高等農林学校であった。 その卒業式が開催されたというニュース。… 続きを読む
l全県 3月 15日 1927 山陰大震災に岩手県内でも義捐金募集(S2.3.15岩手日報) 山陰で発生した大震災に、岩手県内でも支援を送りましょうというニュース。 ここで「山陰大震災」とされているものは北丹後地震のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 13日 1927 盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報) 岩手銀行中ノ橋支店を設計した辰野金吾の死因にもなったあの「スペイン風邪」から8年、盛岡で流行性感冒が流行した。… 続きを読む
l全県 1月 9日 1927 警察電話も寸断されるような暴風雪(S2.1.9岩手日報) 県内は冬型の気圧配置で暴風雪となり、県内各地で大被害をもたらすことに。 警察電話も切断してしまったという。 ちなみに、100年天気図によれば、昭和2年1月8日の天気図は以下の通り。 北海道付近を低気圧が通過し、強い冬型の気圧配置になったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 9日 1927 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(昭和2年1月9日) 昭和2年1月9日の岩手日報より。 大正14年以来、盛岡~宮古間の郵便輸送は盛宮自動車によって輸送されるようになった。 しかし冬は積雪の為に運転中止され、郵便物は駄馬によりトコトコ運ばれていたという。 しかし、この冬は万難を排して冬でも自動車で輸送すると逓信局と交渉中である、ということだった。 &nb… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 8日 1927 スキー場は「スロープ」という呼び方が一般的だったのだろうか(昭和2年1月8日) 昭和2年1月8日の岩手日報の広告欄より。 花巻温泉のスキー場の広告。 この当時は「スロープ」という言い方が一般的だったのだろうか。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 8日 1927 不景気で酒の捨て売り(昭和2年1月8日) 昭和2年1月8日の岩手日報より。 いつもであれば正月は酒屋の書き入れ時のはず。 しかしこの年は、金融恐慌であるのに加えて大正天皇の崩御で諒闇という二重苦にあえぎ、全然酒が売れないという状況であった。 また、前年は紫波郡を中心に旱魃であったが、この年も旱魃が予想されるというのでさらに不景気ムードに輪を… 続きを読む
0_主要ニュース 1月 8日 1927 暴風で警察電話が全部不通になるなど甚大な被害(昭和2年1月8日) 天気の様子 当時の盛岡測候所の記録を見ると、昭和2年1月7日は降水量12.0mm、1月8日は6.1mmとなったようである。 また、天気図を見ると、昭和2年1月7日は、低気圧が対馬海峡から日本海を北上していることが分かる。 当時は気象レーダーも気象衛星もない。 各地の観測の風向や気圧から、低気圧や前線… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1927 入営兵の見送りで賑わう盛岡駅(昭和2年1月7日) 昭和2年1月8日の岩手日報より。 おそらくは弘前の歩兵連隊であろうか。 入営兵を見送る客で盛岡駅は賑わっていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1927 盛岡駅の入営兵見送りを1人あたり20人までに制限(昭和2年1月7日) 昭和2年1月7日の岩手日報より。 例年、徴兵で入営する際にはお見送りの人で盛岡駅のホームがごった返していたようで危険極まりない状態だったようである。 それで、盛岡駅では入営者が最も多いことが予想される8日の9:23と11:42発の急行列車は、入営者1名につき20名までしか入場券を売らないことにしたと… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1927 内丸座で「カラボタン」「ロイドの初恋」公開! 昭和2年1月7日の岩手日報より。 この日から「カラボタン」「ロイドの初恋」他を公開するという。 「カラボタン」は松竹映画で、諸口十九と筑波雪子の主演のラブコメで、この時代なので無声映画である。 公開自体は前年の大正15年8月30日で、大正15年のキネマ旬報ベストテンで第5位に輝いた作品。 そして「ロ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 7日 1927 農家の売り惜しみで米が出回らず 昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1927 貨車の連結手は危険な仕事だった(昭和2年1月6日) 昭和2年1月8日の岩手日報より。 盛岡駅北側の貨物列車入換線で、貨車連結中の19歳の連結手は10両編成の貨車に飛び乗ろうとしたら、「寒気の為に」靴を滑らせて線路上に転倒し、悪いことにその貨車に引かれて両肩と顔面に重傷を負い人事不省で岩手病院に収容されたのだという。 このように、貨車の連結は特に危険な… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1927 盛岡の「昭和っ子」が6日までに24人(昭和2年1月6日) 昭和2年1月9日の岩手日報より。 大正天皇崩御の諒闇のうちに昭和は始まったが、盛岡市内ではすでに24人の赤ちゃんが生まれていた。 それで「和子」ちゃん、「和一」くん、「昭一」くんと、元号にちなんだ名前が多数生まれていた。 記事では「つい最近まで大正っ子なんて言って新しがっていたのに」と移り変わりの速… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 5日 1927 刑務所の看守が生活苦から身投げを図る 昭和2年1月7日の岩手日報より。 宮城刑務所一関支所の37歳の看守は、1月5日夜に突然家出して一関区裁判所の裏の大川に身投げしたが、水深が浅く巡査に引き上げられ究明措置を取られたのだという。 家族は妻の他に3人の子供があり、その妻は4人目を妊娠中であったという。 自殺を企図した原因は、生活苦と神経衰… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 4日 1927 陸軍始めの観兵式は中止(昭和2年1月4日) 昭和2年1月4日の岩手日報より。 毎年1月8日には「陸軍始め」として観武ヶ原の騎兵第三旅団では観兵式を行っていたようだが、この年は大正天皇崩御による諒闇のため中止とのことであった。 … 続きを読む
l全県 1月 4日 1927 諒闇でも講談社の広告は元気 大日本雄弁会講談社の広告は押しの強さで知られるところ。 https://twitter.com/oldpicture1900/status/1448500002876133376?s=21 それは大正天皇の崩御による諒闇の中でも例外ではなかった。 昭和2年1月4日の岩手日報ではこんな調… 続きを読む