a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(昭和元年12月26日) この年、紫波郡の干害が非常に県内外の同情を集めていた。 そこで、稗貫郡湯本村の小学生の赤十字団員5名が、学校内で米を集めることにした。 そうしたところ、2斗2升が集まった。 これを、雪道を5里(約20km)歩いて日詰警察署まで届け、「飢えている友達に分けてください」と届けることにしたのだという。 赤… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 第九十銀行「多少ニ不拘御用命願ヒ候」(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 盛岡に本店があった第九十銀行の企業広告が出ている。 支店網は盛岡から北を中心に、青森県の八戸や田子まで展開されていたことを物語っている。 第九十銀行は後に岩手銀行となっている。 また、第九十銀行の本店であった建物は現在でも「もりおか啄木・賢治青春館」として現存し… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 川徳呉服店「肴町では聯合歳の市をやってますよ!」(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 当時の川徳呉服店があった肴町では「聯合歳の市」。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12月 26日 1926 金ヶ崎にも特設電話が開通・電話番号(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 金ヶ崎にも特設電話局が開局し、電話番号一覧は以下の通りとなる。 ちなみに特設電話局制度については「台温泉に電話局が開局」(S元.12.26)の項を参照。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12月 26日 1926 花巻の台温泉に特設電話局が開局・電話番号一覧(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 花巻温泉郷の一角・台温泉に特設電話局が開局し、その台電話局に加入する電話番号一覧も皇国に掲載された。 「特設電話局」とは? 主要な都市にしか電話が無かった当時、地方への電話の設置は後回しになっていた。 そこを、地元住民が資金を負担する形で電話局を開局したのが「特… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 盛岡市役所など各地で大行天皇の遥拝所設置(昭和元年12月26日) 昭和元年12月27日の岩手日報より。 12月25日に崩御した大正天皇は「大行天皇」と呼ばれ、各地で遥拝所ができて市民たちは遥拝し記帳することになった。 盛岡市役所にも遥拝所が作られ、北田親氏市長も記帳。… 続きを読む
0_主要ニュース 12月 26日 1926 大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈… 続きを読む