年: 1952年

南部鉄瓶も「Made in Occupied Japan」(昭和27年9月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

南部鉄瓶も「Made in Occupied Japan」(昭和27年9月3日)

昭和27年9月5日の岩手日報より。 後年「岩手県東京事務所」となる東京物産あっせん事務所に、アメリカはサンフランシスコの日系人から「南部鉄瓶50個」の依頼が舞い込んだ。 値段は東京渡しで700~2000円止まりという。 アメリカでは鉄瓶は日常使わず、飾り物にするのだという。   当時であれ…
胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置 a盛岡・岩手郡・紫波郡

胆沢川や猿ヶ石川に雨量計を設置

昭和27年9月3日の岩手日報より。 盛岡測候所では洪水予報の完璧を期すために、胆沢川と猿ヶ石川の流域に長期自記雨量計を設置するという。 これは、3年計画でどこに雨量計を設置すれば効果的な防災情報が出せるのかを調べるためのもの。 10か所への据え付けを予定しているという。 このことで平地や山岳部での降…
あまりに雑すぎる広告地図(昭和27年9月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

あまりに雑すぎる広告地図(昭和27年9月3日)

昭和27年9月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市内の洋品店の広告のようだが、余りに地図が雑すぎて最初どこだか分からなかった。 特に盛岡駅との位置関係。 盛岡郵便局(現在のブラザおでっての位置)がなければ分からなかったのではないだろうか。 盛岡駅前の、開運橋の通りをまっすぐ行けば... まず七十七銀…
市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日) l全県

市町村教育委員会のあり方(昭和27年9月3日)

昭和27年9月3日の岩手日報より。 「昭和の大合併」の少し前、教育委員を選挙で選んでいたころ、各町村の教育委員会を維持運営するのもかなりの負担だったようだ。 それで、教育委員会は県にやってもらおう、という考えも一部にはあったようだが、それには根強い反対があった。     &nbs…
秘湯・須川温泉に自動車道路が開通!(ただし秋田県側から…)(昭和27年9月2日) i一関・西磐井郡

秘湯・須川温泉に自動車道路が開通!(ただし秋田県側から…)(昭和27年9月2日)

新聞記事の表現を借りると「海抜五千尺」の秘境・須川温泉に自動車道路が開通し、昭和27年9月2日に初のトラックが須川温泉に到着した。 須川温泉は一応、岩手県西磐井郡厳美村(現:一関市)にあるのだが、今回開通した道路は秋田県の十文字からつながるもので、岩手県側からは相変わらず5里(20km)の山道を汗だ…
荒沢村の少年窃盗団捕まる(S27.7.2岩手新報) b二戸・二戸郡

荒沢村の少年窃盗団捕まる(S27.7.2岩手新報)

この当時の荒沢村には、少年窃盗団が跋扈していたという。 荒沢村とは、現在の八幡平市安代町。 当時は二戸郡でありながら、警察は沼宮内地区警察署であり、既に「岩手郡」としての実態はあったようだ。 二戸郡安代町が岩手郡となったのは、平成14年(2002年)のこと。  …
盛岡・四ツ家教会で和装のカトリック式結婚式(昭和27年5月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・四ツ家教会で和装のカトリック式結婚式(昭和27年5月16日)

昭和27年5月17日の岩手新聞より。 盛岡市日影門外小路(現在の盛岡中央郵便局の通り)の四ツ家教会で和装ながらカトリック式の結婚式。 記事では「牧師は厳かに式を進める」と書いているが、牧師とはプロテスタントの表現で、ここでは「神父」となるはず。 四ツ家教会は令和4年現在でもカトリック教会として現存す…
岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日) d宮古・下閉伊郡

岩泉町の町制施行30周年広告(昭和27年5月6日)

昭和27年5月6日の岩手新聞より。 岩泉町は、この年町制30周年を迎えたと言う。 上では、町内の各事業所が名刺広告を出している。 まだ国鉄岩泉線が開業していなかった頃なので、岩泉への足は国鉄バスであり、国鉄バス岩泉営業所が広告を出している。 また、県北バスの本社があった頃で、岩泉町内に路線がないにも…
ルチン服用の心得(昭和27年5月3日) l全県

ルチン服用の心得(昭和27年5月3日)

昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、複合ルチンの広告が出ており、「ルチン服用の心得」というのが出ている。 今では、日本そばによく含まれていると言われているが、ルチンというのは一体どのような効能をもたらすのか。 それは、脳溢血の薬だったようである。…
魚を食べると蕁麻疹になる!?(昭和27年5月3日) l全県

魚を食べると蕁麻疹になる!?(昭和27年5月3日)

昭和27年5月3日の岩手新聞より。 広告欄には、レスタミンコーワの広告がある。 当時は、「蕁麻疹になるから魚を食べない」と言う人がいたようである。 今では、このような言説はあまり聞かないような気もするが、これは当時の魚の鮮度の問題だったのだろうか。  …