e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 27日 1961 釜石・国際劇場で「宮本武蔵」「花と嵐とギャング」「特ダネ30時間危険な恋人」を公開(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石の国際機場では「宮本武蔵」「花と嵐とギャング」「特ダネ30時間危険な恋人」を公開する。 「宮本武蔵」は、昭和36年5月25日公開の東映映画。主演は中村錦之助。 「花と嵐とギャング」は、昭和36年6月23日公開のニュー東映映画。主演は高倉健・小宮光江。 「… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 27日 1961 釜石市内の自動車販売店から暑中見舞い広告(S36.7.27岩手東海新聞) 岩手東海新聞に掲載された釜石市内の自動車系会社から暑中見舞い広告。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 27日 1961 釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 釜石・シネマセンターで「ベン・ハー」公開!(昭和36年7月26日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 米MGMの超大作であり、昭和34年のアカデミー賞で史上最多部門の受賞をした「ベン・ハー」(原題:Ben-Hur)が釜石のシネマセンターで公開される。 ちなみに日本での初公開は昭和35年4月1日。 超大作であるだけに、7月26日~8月30日のロードショーであっ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 名物にうまいものあり!釜石名物いかせんべい(昭和36年7月26日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 虎月という菓子舗のいかせんべいを宣伝している。 「名物にうまいものあり」というコピーは、その時点で「名物にうまいものなし」という表現が既に浸透していたということを示しているのではないだろうか。 いずれ、釜石市内では以下の店で買えましたよ、ということら… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 釜石・錦館では「わが恋の旅路」「愛と炎と」「七人の挑戦者」を公開!(昭和36年7月26日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石・錦館では「わが恋の旅路」「愛と炎と」「七人の挑戦者」を公開する。 「わが恋の旅路」は昭和36年5月16日初公開の松竹映画で、川津祐介、岩下志麻などが出演。 「愛と炎と」は昭和36年6月17日初公開の東宝映画で、原作は石原慎太郎、出演は三橋達也、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 内陸から釜石に海浜学校続々(S36.7.26岩手東海新聞) 内陸の小学校から釜石などに臨海学校に来るのは恒例だったようで、この記事では北上市立二子小学校の6年生120人。大迫町立内川目小学校60人が来ていたようだ。 ちなみに、内川目小学校は2021年の閉校時の全校児童は14名であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 スーダンの鉄道レールを釜石製鉄所で!(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所を経営する富士製鉄と八幡製鉄は、アフリカのスーダン国鉄の16,000トンの国際競争入札に応札し、8月下旬にはスーダン国鉄の総裁が来日するという。 この7月には、日本政府はスーダンに在外公館を設け、招聘していたのだ。 スーダンは昭和31年1月1日にイ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 25日 1961 釜石市の財政は釜石製鉄所しだい(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石市の予算当局は、地方交付税の査定のため盛岡の県庁に出ていた。 地方交付税は、合併(S30.4.1甲子村、鵜住居村、栗橋村、唐丹村)による特例期間が切れて不交付団体になるが、全国市議会議長会や全国市長会の折衝で激変緩和措置が取られることとなった。 それ以上… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 大槌で宝塚少女歌劇団が公演!?(昭和36年7月25日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 宝塚少女歌劇が7月25日に大槌映画劇場で「実演」したらしい。 何組が来てどんな演目だったかはここでは書いていないが、こんな地方までドサ回りしないといけなかったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 釜石のうなぎ、大槌の映画案内(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 昭和36年の土用の丑の日である7月31日を控え、釜石市内のうなぎ屋も広告に余念がない。 また、大槌町内の映画館は7月26日から「処刑前夜」「旗本愚連隊」を上映するという。 オールナイトは「屋根」。 「処刑前夜」は昭和36年2月18日初公開の日活映画で… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石で運転免許の出張試験(昭和36年7月24日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞より。 7月24日から、釜石市須賀の埋立地で、自動車運転免許の実技試験が行われた。 盛岡以外の出張試験は、盛岡に試験場ができてから無くなっていたというが、釜石市内の関係者の運動で7月と11月にやることになったのだという。 これで、盛岡で2泊しなくても済むと好評で、5… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石の高校生バイトは事務系が人気で缶詰工場は敬遠(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏休みになるとバイトのシーズンだったようだが、事務系は埋まって缶詰工場は人気が低かったと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 夏を謳歌する釜石(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏真っ盛りで、鵜住居中学校では野外炊事大会、小佐野中学校では水泳大会が行われていた。 また、根浜海岸でも人出で賑わっていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 オットセイ密漁事件で逮捕された大槌の漁船の機関士に釈放嘆願(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 大槌でオットセイ密漁事件で6人が逮捕されたうち、漁船の機関士を釈放してほしいと漁業関係者から釈放嘆願が上がっている。 これは、最盛期に入っているイカ釣り漁船の機関士であり、この機関士がいないと乗組員10名やその家族の生活圏が脅かされるからである。 大槌漁協の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 ご愛顧三十年、皆様の釜石信用金庫です(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石信用金庫はこの時点で創業して30年が経過しており、中心街の只越に本店があり、支店は製鉄所の社宅がある中妻、大船渡に行く途中にあり気仙郡ながら昭和30年に釜石市と合併された唐丹村に支店、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐの大渡町に出張所があったようである… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 東海道新幹線のレールは釜石製鉄所でも作っていた(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 昭和39年に開業が予定されている東海道新幹線のレールは、富士製鉄釜石製鉄所にも注文が来ていた。 そのための価格交渉が国鉄と行われており、国鉄側は国際価格並みを強く希望。 製鉄所側は材質の向上や型の切り替えもあり値上げ意向と食い違っていた。 国鉄側は、年内の7… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石・第一劇場で「眠れる森の美女」「最後の一人まで」公開(昭和36年7月24日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石・第一劇場では7月24日~28日まで「眠れる森の美女」と「最後の一人まで」を公開した。 「眠れる森の美女」(原題:Sleeping Beauty)はディズニーのアニメーション映画。 当時の表現を借りれば「ディズニイの長編漫画映画」であろうか。 日… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石・国際劇場で「サンダウナーズ」「大包囲作戦」公開(昭和36年7月24日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場では7月24~27日の間「サンダウナーズ」と「大包囲作戦」が上映された。 「サンダウナーズ」(原題:The Sundowners)は米ワーナー映画で日本での初公開は昭和36年2月28日。 「大包囲作戦」(原題:Steel Claw)もまた米ワー… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 大映スターが「幼馴染みというだけさ」のロケで釜石・大槌の映画館で挨拶(昭和36年7月24日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 釜石では上野に直通する急行「陸中」の運転開始の喜びも冷めやらず、今度は大映映画「幼馴染というだけさ」のロケ地が釜石・宮古であり、その出演者が7月24日に釜石市第一劇場で挨拶するということであった。 挨拶に来る演者は以下の通り。 藤巻潤 高松英郎 浜田ゆう子 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 大渡小学校で釜石で初めての集団登校(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡小学校の鈴子地区(釜石駅周辺)で。釜石で初めてとなる「集団登校」を始めることにしたという。 問題となっていたのは鈴子地区から釜石駅に行くのに必ず大渡橋を通らないといけないということであるが、これが釜石で一番交通量の多い場所であるということであった… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石のナイトスポット「BUVETTE車塔」(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 この時期、釜石市は製鉄所の全盛期で9万人の人口がいた。 夜はよほど賑わっていたのではないだろうか。 新街通に「BUVETTE車塔」というスナックバーがあったようで、それなりの大きさの写真広告を出している。 buvetteとはフランス語で「飲む」こと、… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 22日 1961 宮古・釜石から上野に直通するディーゼル急行「陸中」が運転開始(昭和36年7月22日) 昭和36年7月22日の岩手東海新聞より。 岩手県沿岸地方の住民が待ち望んだ上野行の急行「陸中」号が運転を開始した。 22日の朝7:10に上野を出発した「みやぎの」号は仙台を12:52に出発、15:27に花巻で「陸中」を切り離す。 釜石線内では2両編成の「陸中」号は、釜石駅に17:13に到着した。 釜… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 22日 1961 釜石鉱山~製鉄所の社線を早く撤去してください・・・(昭和36年7月22日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 花巻~釜石の国鉄釜石線が全通してすでに10年以上が経過していたが、陸中大橋の釜石鉱山から釜石製鉄所への鉄鉱石輸送は、相変わらず道路上に敷設していた「社線」で行っていた。 並行しており線路の幅も広い国鉄で運べばいいものを、わざわざ社線のままにしていた理由は「製… 続きを読む