a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1938 日中戦争の長期化による燃料節約のため、盛岡の盆火は中止します 昭和13年8月7日の岩手日報より。 盛岡ではお盆になると、各戸で焚火供養をしていた。 しかし日中戦争の長期化により、盛岡市内各町内会では燃料節約の国策に沿う観点から毎年行ってきた盆火を中止する旨申し合せた。 ただし、町内会によっては各戸で行っていたものを1か所にまとめて行う、あるいはは初盆を迎える家… 続きを読む
l全県 7 8月 1938 「シャープ」ブランドは戦前からあった 半濁点売却騒ぎなどでTwitterでは勇名を馳せるあの「シャープ」であるが・・・ https://twitter.com/SHARP_JP/status/649795452095754240 じつは戦前から「シャープ」ブランドはあった模様。 昭和13年8月7日、NHKラジオ盛岡放送局の開局を祝う新岩… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 8月 1938 「暁の超特急」吉岡隆徳が盛岡で講習会 昭和13年8月7日の岩手日報より。 「暁の超特急」として短距離競技でベルリンオリンピックにも出場した吉岡隆徳が8月6日に盛岡に来て、岩手県体育協会主催で盛岡高等女学校を会場に4日間にわたって講習会を行うという。 冒頭、吉岡は「百見は一聞に如かず、私の申し上げること、やることをただ聞いたり見たりして帰… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12 5月 1938 花巻の少年店員殺し(S13.5.12) 昭和13年5月12日夜、岩手県稗貫郡花巻町(現・花巻市)字上町の食料品店「明治屋」に奇妙な電話がかかってきた。電話の主は「花巻駅前の公衆電話からかけている」と名乗り、生菓子を一円分届けてほしいと依頼。さらに「工藤医院に届けてほしい」と指定し、十円札で支払うから九円の釣銭を持ってくるよう求めた。明治屋… 続きを読む
l全県 28 4月 1938 南部鉄瓶は不要不急!軍需工業に転換せよ!(S13.4.28新岩手日報) 商工省は、不要普及の製品の製造を品目ごとに制限して、軍需工業に転換する方針にしたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 4月 1938 盛岡陸軍病院は李王妃方子女王の傷病兵慰問に備え準備万端(S13.4.25新岩手日報) この当時の女性皇族の大きな仕事として「傷痍軍人の顕彰」「傷病兵慰問」があった。 梨本宮の第1王女であり李王垠の妃となった方子女王は、盛岡陸軍病院に慰問することとなり、その準備に大忙しだった。・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1938 銃後の盛岡市民もお花見(S13.4.22岩手日報) 盛岡もお花見のシーズンになっていたが「銃後」などという言葉が付いている。 日中戦争が始まった時期だった。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」 昭和13年4月20日の岩手日報より。 江刺郡広瀬村では、バス路線からも遠ざけられ、電話も無いという状態だった。 それで、役場では昭和13年度の予算で村役場と郵便局に電話機を付けることにした。 そして村長は前日19日に仙台逓信局を訪れ「回線を引いてほしい」と請願したのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) 昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 4月 1938 岩谷堂~高田松原に定期バスを運行 昭和13年4月20日の岩手日報より。 胆江自動車では、5月1日から高田松原~岩谷堂に定期バスを走らせ、東海岸の観光客を大いに募ることにしたのだという。 時刻は以下の通り。 岩谷堂7:30 → 高田松原 10:30 高田松原 15:00 → 岩谷堂 18:00 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 戦前期の松屋デパートのフロア構成? 昭和13年4月20日の岩手日報の広告より。 「戦捷お花見大売出し」という松屋デパートの広告なのだが、この時期だと戦時協力色を打ち出さないと娯楽も商売もやりにくかったのだろうか。 また、松屋デパートの各階の案内?と思われる意匠となっている。 地下ではモロゾフのチョコレートなんて売ってたんだね。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 4月 1938 自治制発布50年記念式典で全国の町村長の総代として上閉伊郡金沢村長が挨拶 昭和13年4月18日の読売新聞より。 明治21年(1888年)に町村制が発布され、昭和13年で50周年を迎えることとなった。 そこで、内務大臣の招待を受けた69町村、個人352名の総代として、明治25年から46年の長きにわたって村長の座にあった、岩手県上閉伊郡金沢村の兼沢福次郎村長(77歳)が挨拶を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 3月 1938 昭和っ子が初めて小学校を卒業(S13.3.26岩手日報) 昭和13年3月26日の岩手日報は、時代が大きな節目を迎えたことを告げる記念碑的な紙面となっています。この年、ついに昭和生まれの子供たちが初めて小学校、当時の尋常小学校を卒業する時を迎えたからです。 Screenshot 記事の主役である最初の昭和っ子たちは、正確には大正から昭和へと元号が改まった昭和… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7 3月 1938 花巻中学の卒業生の上級学校志願状況 昭和13年3月7日の岩手日報より。 この年、花巻中学(現:花巻北高)を卒業したのは34名。 このうち上級学校志願者は18名で、学校別には以下の状況であったという。 岩手医学専門学校 2名 秋田鉱山専門学校 1名 横浜高等工業学校 1名 陸軍士官学校 1名 神宮皇學館 1名 早稲田大学 1名 二高 1… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 3月 1938 盛岡~日詰のバスを木炭自動車に改造 昭和13年3月7日の岩手日報より。 日中戦争も泥沼化の様相を呈し「ガソリンの一滴は血の一滴」の時代になっていた。 それで東京市のバスの半分はすでに木炭バスに改造され、盛岡~日詰のバスを経営する盛岡市内丸の佐藤自動車店でも、1台を木炭自動車に改造する計画であるという。 また、繋温泉に行くバスも木炭車に… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 3月 1938 女工契約を装い前渡金を詐取した村役場吏員(昭和13年3月6日) 昭和13年3月6日の岩手日報より。 江刺郡伊手村の35歳の書記は出稼ぎ指導員でもあったが、女工の募集に来た滋賀県の近江絹糸の募集員に、村内の2名の少女(17歳、16歳)と勝手に契約を結び、前渡金70円を自分が詐取したということで、執務中に岩谷堂警察署に連行されることとなった。 ところがこの書記、この… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 3月 1938 江刺郡稲瀬村に「精農塾」 昭和13年3月5n日の岩手日報より。 江刺郡稲瀬村に、この年度の経済厚生助成事業として、稲瀬小学校の隣に「精農塾」を設置することとした。 これは、青年修養施設として、青年団員や青年学校生徒を合宿させ、農民精神の高揚や村有地の開墾事業を行わせるというもの。 精農塾には、農具はもとより荷車、農薬といった… 続きを読む
l全県 5 3月 1938 「国策に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」! 昭和13年3月5日の岩手日報の広告欄より。 「国産に順応して誕生した日本の自動車ニッサン」と大々的に広告を打っている。 この時は日中戦争期、「国策に順応している」ことが充分に惹句になりうる時代に突入していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 3月 1938 釜石にはびこる鉄屑泥棒 昭和13年3月4日の岩手日報より。 「鉄の都」として軍事的にも重要な位置にあった釜石であったが。釜石製鉄所構内から鉄屑や鉄製品を盗み出す少年窃盗団が検挙されたという。 この少年たちが自白しただけでも75件。200円前後であったというが、この手の被害が増加しており、警察では全滅の為に努力していくとして… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1938 釜石の印刷所で不穏なトラブル(昭和13年3月3日) 昭和13年3月3日の岩手日報の広告欄より。 釜石市内の印刷所で何やら不穏な裁判沙汰があったらしい。 釜石で営業していた東海印刷所は、遠野区裁判所を通じ岩手日報社に仮処分の申請をされたらしい。 しかしそれは「巧妙陋劣なる申請」であり「岩手日報社の干渉を受ける理由はない」として突っぱねている。 そしてそ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 13 12月 1937 ズーズー弁の軍事電報「メイヨノセンシヨウシ」 昭和12年12月13日の東京朝日新聞より。 支那事変で日本軍が南京などで戦闘していた頃のこと。 二戸郡浄法寺村から出征したある一等兵の留守宅に電報が来た。 「メイヨノセンシヨウシ」 つまりこれは「名誉の戦傷死」ということだ。 家族は写真を仏壇に飾って拝んだ。 ところがそれは「名誉の戦傷す」だったのだ… 続きを読む
せっこぎ君_昭和10年代 7 9月 1937 せっこぎ君(S12.9.7)愛国婦人会宮古支部結成 9月1日に水沢支部、9月5日に釜石支部結成。愛国婦人会は銃後の同調圧力を担った悪名高い団体だが、割烹着と襷さえ着ればみんな平等という意味では、フェミニスト的には一定の評価があるのだという。… 続きを読む
l全県 1 9月 1937 県内各地で愛国献金やら銃後後援会・愛国婦人会の発足やら(S12.9.1岩手日報) 昭和12年9月1日、いまから約90年前の岩手日報の紙面を繙くと、そこには日中戦争の渦中にあった岩手県民の生々しい息遣いが記録されています。当時の社会を象徴する言葉に「銃後」というものがありますが、この日の紙面はその熱狂と切実さを物語るエピソードで埋め尽くされています。 Screenshot なかでも… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 1 9月 1937 気仙郡で石灰窒素工場の誘致合戦(S12.9.1岩手日報) 昭和12年9月1日発行の岩手日報の紙面を振り返ると、当時の岩手県気仙郡において地域の命運を懸けた壮絶な誘致合戦が繰り広げられていた様子が生々しく伝わってきます。記事の主役となっているのは、現在の住田町にあたる上有住村と、現在の陸前高田市にあたる高田町による東北興業株式会社の石灰窒素工場誘致を巡る対立… 続きを読む
g北上・和賀郡 15 6月 1937 湯田村の放火殺人事件(S12.6.15) 昭和9年10月10日午後10時30分ごろ、和賀郡湯田村大荒沢で最初の火災が発生した。この火災は便所から出火し、家が全焼した。原因は高齢の養母が灰の処理を怠ったことによる失火とされ、起訴猶予となった。 同年12月2日午後10時30分ごろ、同じ部落内で再び火災が発生した。今回は物置小屋が火元となり、家屋… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 6月 1937 北海道庁長官に栄転した石黒知事を祝う県青年学校教員養成所生徒の血書文 昭和12年6月10日の岩手日報より。 当時、県知事は官選であり、内務省の官僚であったから、数年で別の任地に転出するのが普通であった。 現在でいう県警察本部長のようなものであると考えれば丁度いいだろう。 そのような中でも、第18代石黒英彦知事は、昭和6年12月18日に奈良県知事から転任し、以降昭和12… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10 6月 1937 盛岡・衆楽座で松竹映画「浪華悲歌」封切! 昭和12年6月10日の岩手日報より。 盛岡の衆楽座で松竹映画「浪華悲歌」を封切。 監督は溝口健二で主演は山田五十鈴。 Wikipedia日本語版の独立項目となっており、キネマ旬報でも昭和12年の映画ベストテンに入っている。 ちなみに、衆楽座は後年、洋画専門館「国民劇場」(国劇)となって… 続きを読む