漁業

久慈のアワビ入札は低調(S32.11.12デーリー東北) c久慈・九戸郡

久慈のアワビ入札は低調(S32.11.12デーリー東北)

久慈沿岸に冬の訪れを告げるアワビ解禁。これに合わせて九戸郡漁連が開いた久慈地区のアワビ入札会には、小袖・野田・玉川をはじめ10の漁協が参加し、会場は初荷らしい熱気に包まれた。 Screenshot しかし今年の相場は、関係者の予想とは裏腹に伸び悩んだ。 生鮑の入札価格は―― 最高 855円/貫、最低…
久慈市の山内市長が北京へ出発(昭和32年10月17日) c久慈・九戸郡

久慈市の山内市長が北京へ出発(昭和32年10月17日)

昭和32年10月19日のデーリー東北より。 北日本港湾都市市長団の三役として、中共の北京市の招きで10月23日に羽田国際空港から香港経由で旅立つ久慈市の山内市長は、10月17日13時市役所前から市長専用車で市役所前を出発した。 市長は「1ヵ月の間、を留守にしますが、皆さん元気で勤めをお願いします。戦…
八戸の漁船3隻が岩手県警の警備船に捕まる(昭和32年10月17日) c久慈・九戸郡

八戸の漁船3隻が岩手県警の警備船に捕まる(昭和32年10月17日)

昭和32年10月18日のデーリー東北より。 海上パトロールしていた岩手県警の警備船「さんりく」は、九戸海域に出没していた密漁船を逮捕して、久慈の玉の脇港に引き上げた。 これらの密漁船は、久慈市宇部町三崎トドが岩 3マイル海上の野田湾海域で、禁止漁業の底引き網を使用して、ナメタガレイなどを密漁していた…
久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日) c久慈・九戸郡

久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日)

昭和32年10月17日のデーリー東北より。 北京市長の招きで、「北日本港湾都市市長団」の三役として久慈市長も中国に行くこととなった。 それに対して、10月15日、市役所別館にて壮行会が150人を集めて行われた。 市長は「漁業、水産物の交易とコルホーズが中国ではどのようになっているかを見極めたい。また…
久慈の久喜浜ではイワシが豊漁でシメ粕で埋まる(昭和32年10月3日) c久慈・九戸郡

久慈の久喜浜ではイワシが豊漁でシメ粕で埋まる(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 おなじ10月3日の紙面では、となりの種市の八木港がサバの不漁となっていた時、久慈の久喜浜ではイワシが豊漁であった。 連日1万貫もの水揚げがあり、魚油を絞った後に肥料に使うシメ粕の加工に主婦や子供達は忙しかった。 シメカスは1貫230円前後で売れるのだという。…
種市の八木港ではサバが不漁(昭和32年10月3日) c久慈・九戸郡

種市の八木港ではサバが不漁(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 三陸沿岸は、この時期最も魚の取れるシーズンであるはずが、種市の八木漁港ではサバが全く獲れないじょうきょうであったという。 他県のサバ釣り船団も日本海の方に行ってしまった。 サンマは好調なのだが、八木港は水揚げ港に指定されておらず入港する船は無し。 製氷工場も…
久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日) c久慈・九戸郡

久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日)

昭和32年10月3日のデーリー東北より。 久慈港の堀込工事は、宮城建設によって進められていた。 この工事の土台となるテトラポット投入は、県内ではじめてケーブルクレーンからの投下によって行われることとなった。 (それまではどんな方法で行われていたのかは書いていない) この方法であれば、どんな荒海でも関…
サケマスはえなわ漁船解禁へ d宮古・下閉伊郡

サケマスはえなわ漁船解禁へ

昭和32年4月19日の岩手日報より。 翌4月20日から、サケ・マスのはえなわ漁が解禁になるというので宮古などの漁港が沸き立っている。 宮古港では49隻、山田港では11隻、田老港では5隻と、前年より5隻減少しているといが、100万貫を期待しているという。 記事では「資材が少なく、しかも安全操業ができて…
宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日) d宮古・下閉伊郡

宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日)

昭和31年3月22日の河北新報岩手版より。 宮古市築地通りの閉伊川河口の漁船係留場は、閉伊川から流入する土砂のために、年々水深が浅くなり、干潮時になれば係留中の漁船が度々横倒しになると言う危険な状態となっていた。 この辺は、常に出漁前後の漁船数十隻が係留されている場所だった。 この付近は、昭和23年…
牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日) d宮古・下閉伊郡

牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日)

昭和31年3月17日の河北新報岩手版より。 宮古港から巡航船で30分のところにある宮越白浜部落は、75世帯、人口750名の小さな漁村である。 ここにある白浜小学校には、78名の児童が通っているが、漁業の不振から部落自体の経済自体がひどくなり、600円から1000円の教科書代すら捻出できない状況であっ…
久慈港も予算獲得合戦に参入(昭和31年1月19日) c久慈・九戸郡

久慈港も予算獲得合戦に参入(昭和31年1月19日)

昭和31年1月21日のデイリー東北より。 太平洋の荒波に面する久慈港は、漁船の難破事故が多かった。 そこで、堀込式の港にすることで、この状況を解消しようと言う計画があった。しかし、予算がないことにはどうにもならない。 同じような港湾整備の要求は、全国から43の港から上がっていた。 しかし、そのような…
久慈や種市の漁港で次々と施設拡充(昭和31年1月15日) c久慈・九戸郡

久慈や種市の漁港で次々と施設拡充(昭和31年1月15日)

昭和31年1月15日のデーリー東北より。 サバ漁で昭和29年来活気を帯びてきた久慈や種市の漁港では、魚市場開設や冷蔵車の新設が目立っている。 八木港では状況が魚市場や冷凍会社を開設し、宿戸や小子内では漁協連合の共同市場を開設したと言う。 また、野田村の漁協でも農林中金に38,000,000円の融資を…
種市町八木港に「消えない導灯」を(昭和31年1月12日) c久慈・九戸郡

種市町八木港に「消えない導灯」を(昭和31年1月12日)

昭和31年1月12日のデーリー東北より。 種市町の八木港では、導灯(航路標識)が消えていたために、前年11月に漁船の遭難事故も発生していた。 そこで、第二管区海上保安本部灯台部では、この導灯を消えないものにする工事をしていた。 また、種市町が昭和29年から陳情運動を行っていた「八木灯台」は予算的に難…
岩手の水産物が東京のデパートで好評(昭和30年11月29日) m県外・参考

岩手の水産物が東京のデパートで好評(昭和30年11月29日)

昭和30年11月29日の岩手日報より。 東京は上野松坂屋で、北海道・東北の海産物を集めた「北日本水産物大会」を行っていた。 岩手県からは以下のものを出品していた。 だし昆布(田老町) とろろ昆布(田老町) おたふくするめ(山田町) のしいか(宮古市) ホヤの塩辛(越喜来村) 焼ウニ(重茂村) 一塩ア…