a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 4月 1943 悪質なデマで米の供出を阻んだ村長を逮捕(昭和18年4月7日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 岩手県警察部特高課では、悪質なデマで米の供出を阻んだとして、4月7日に以下の3名を逮捕したという。 以下の表現は記事中の表現ママ。 岩手郡某村長 東磐井郡某村長 和賀郡谷内村某 … 続きを読む
l全県 6 4月 1943 牛は粗食だが菌力で肥っている!だから人間も…(昭和18年4月6日) 昭和18年4月6日の岩手日報より。 広告欄には「牛は粗食だが肥っている」と、イースト菌の広告を打っている。 今考えれば滅茶苦茶だが、この戦時下にあっては一定の説得力があったのだろう。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6 4月 1943 木材業者がデマを放って立木を買占め逮捕(昭和18年4月6日) 昭和18年4月3日の岩手日報より。 水沢警察署は、デマを放って立木約1000本(3000円相当)を買い占めた西磐井郡山目村と胆沢郡衣川村の2名の男を、言論臨時取締法によって逮捕した。 どのようなデマかはこの記事では明らかにされていない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 4月 1943 萩荘村の凍み豆腐が前線へ(昭和18年4月1日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 西磐井郡萩荘村の凍豆腐は、県内で唯一の軍需凍豆腐として前線に送られることになった。 3月29日には、製品検査が行われたが、その成績も極めて良好で近いうちに発送することになったのだと言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 7月 1942 厳美村から銃後の便り(S17.7.5新岩手日報) 昭和17年7月5日の新岩手日報には、当時の西磐井郡厳美村(現在の一関市)の「銃後」の様子が記されている。記事の冒頭には「第一線に御奮戦の皇軍の皆様ご苦労様です」という文言が置かれ、戦地への敬意を示す決まり文句として当時の新聞にしばしば見られた表現である。 Screenshot 記事の中心は、6月21… 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 7月 1942 西磐井郡真滝村の狐禅寺で落下傘を供え蚕霊供養(S17.7.3新岩手日報) 西磐井郡真滝村(現:一関市)の狐禅寺で、蚕業婦人会が絹糸で生産された落下傘を供えて、蚕の霊を供養していた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 盛岡魚市場に鮪ドッサリ入荷(S17.7.2新岩手日報) 盛岡魚市場に、釜石や八戸方面からマグロがドッサリ入荷したという。 当時であればすでに山田線が開通しており、輸送も容易であっただろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1942 岩手牛乳のあのロゴ(昭和17年7月2日) 昭和17年7月2日の新岩手日報より。 岩手牛乳の企業広告が出ているが、お馴染みのあのロゴは既にできている。 … 続きを読む
l全県 20 1月 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
l全県 16 1月 1942 大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) 昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 1月 1942 戦時下でも津軽石川の川開きは大盛況(昭和17年1月8日) 昭和17年1月7日の岩手日報より。 南部鼻曲がり鮭の名産地・津軽石川の川開きは全国的に有名となっており、東京方面からも見物客が来ていたという。 昭和17年の川開きは1月8日。 魚の魚体は小さいが2万~2万5千本ぐらいは漁獲できるのではないかと予想していた。 また、魚自体が品不足で見物方々食糧獲得で颯… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 11月 1941 盛岡郊外・釜石街道にかかる簗川橋が復旧完成! 昭和13年の水害で流失した県道盛岡釜石線の簗川橋が昭和16年11月28日に復旧完成した。 現在の盛岡市内から東安庭や乙部へ向かう方のあの橋である。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 11月 1941 前線に送る「スンベ」「ツマゴ」出荷最盛期(S16.11.7新岩手日報) 「スンベ」「ツマゴ」とはどちらも藁で作った雪上の履き物。 農閑期の貴重な財源だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 11月 1941 産業報国会が県下産業戦士投炭協議会を開催(昭和16年11月5日) 昭和16年11月6日の岩手日報より。 労働組合を翼賛体制に組み込んだ「大日本産業報国会」は、11月5日に内丸産業奨励館北館で県下産業戦士投炭協議会を開催した。 参加者数は「数においてはいささか物足りなさを感じたが」という程度であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 11月 1941 水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1941 松屋デパートで冬物や毛糸の特配(S16.11.2新岩手日報) 広告欄より。 盛岡の松屋デパートでは、冬物や毛糸の特配があったという。 衣料品まで配給の時代。 … 続きを読む
j東磐井郡 1 11月 1941 千厩に「たばこ神社」(S16.11.1新岩手日報) 岩手県東磐井郡千厩町において1941年11月1日に執り行われた煙草神社の鎮座祭についてお伝えします。当時の新岩手日報の紙面には、県南の耕作者たちによる報恩感謝の念が結実し、まさに新聞発行の当日である11月1日午前10時から厳かな儀式が執行される様子が報じられています。 Screenshot この神社… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1941 国民学校の女教師も稲刈りに援軍(S16.11.1新岩手日報) まだ対米交渉に苦労していた時期。 資源も無くなっていき、国民生活も逼迫し始めていた時のこと。 国民学校の女教師は、加賀野の女子師範の農場で稲刈りに駆り出されることとなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 10月 1941 盛岡ではもっきり酒も公定価格(昭和16年10月31日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 盛岡では居酒屋のもっきり酒の適正配給を図るために「第二盛岡飲食店組合」が結成され、10月31日の夜に結成総会が開かれた。 盛岡警察署長と盛岡税務署長が顧問となった。 そしてもっきり酒の公定価格を以下のように定めた。 1合 上等 25銭 1合 並等 22銭 &nb… 続きを読む
l全県 14 9月 1941 石油が無いので漁業にもランク付け(S16.9.14新岩手日報) 【歴史秘話】昭和16年9月14日「新岩手日報」を読み解く:戦時下の三陸漁業と食糧統制 真珠湾攻撃のわずか3ヶ月前、昭和16年(1941年)9月14日の「新岩手日報」。そこには、戦時体制へと急速に傾斜していく岩手の緊迫した空気と、食卓を襲う厳しい現実が刻まれていました。 Screenshot 特に注目… 続きを読む
l全県 28 7月 1941 水害復旧にソバを植えよう!(S16.7.28新岩手日報) 【昭和の記憶】水害からの復旧と「そば」の植付 — 昭和16年、戦時下の岩手を襲った豪雨 昭和16年(1941年)7月28日付の『新岩手日報』。太平洋戦争開戦を数ヶ月後に控えたこの時期、岩手県内は記録的な大雨による水害に見舞われていました。 Screenshot 当時の紙面からは、物資不足という逆境の… 続きを読む
m県外・参考 5 2月 1941 東京私立学校案内(S16.2.5新岩手日報) 昭和16年2月5日付の新岩手日報に掲載されたこの紙面は、当時の教育情勢と受験生の熱気を今に伝える貴重な資料です。中央に大きく掲げられた推奨校という題字を囲むように、東京を中心とした全国の名門大学や専門学校の広告が隙間なく並んでおり、その圧倒的な情報量からは当時の社会が教育に対して抱いていた期待の大き… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 8月 1940 紀元2600年聖戦博覧会の地鎮祭(S15.8.4新岩手日報) 昭和十五年八月四日の『新岩手日報』には、紀元二千六百年を祝う「聖戦博覧会」の地鎮祭の様子が報じられている。 会場となったのは、盛岡市内丸の商品陳列所前の広場。桜山神社の宮司を招き、盛大に執り行われたという。 Screenshot 記事の見出しには「豪華殿堂輝やく礎」「聖戦博の地鎮祭」とあり、戦時色が… 続きを読む
l全県 3 8月 1940 興亜奉公日で観光地の客足は?(S15.8.3新岩手日報) S15(1940)年8月3日付『新岩手日報』より。 紙面には「遠出組も遠慮して温泉地も期待外れ」と題された記事が掲載されている。見出しには「改札口で湯に誘う興亜奉公日」とあるが、その内容を読むと妙な違和感を覚える。 Screenshot 当時はすでに戦時体制が急速に整えられつつあり、「興亜奉公日」と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 ニッサンバス・トラックは振興自動車で!(S15.8.1新岩手日報) 広告欄より。 ニッサンバス・トラックは盛岡市仁王菜園に振興自動車で、と。 現在の仁王小学校から本町通や中央通すら越えた菜園のあたりも戦前は「仁王」だったらしい。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1940 岩手医専附属病院の陣容(昭和15年8月1日) 昭和15年8月1日の新岩手日報より。 岩手医学専門学校(後年の岩手医科大学)の附属病院の陣容は以下の通りとなっていた。 … 続きを読む