e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 釜石製鉄所構内で安全パレード(昭和40年7月1日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の構内では、雷雨の中を作業安全パレードが行われたようである。 どうも手前のマイクロバスは、県南バスから借りてきたような色にも思えるが、ナンバーが白なので自家用だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 7月 1965 参院選は棄権しないで投票しましょう!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石県税事務所では、来る7月4日の参議院議員選挙に向け、釜石市内や大槌町内で、棄権しないで投票するよう呼びかける宣伝を行ったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1965 盛岡でタクシーの「流し」を許可の方向へ(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この当時、タクシーの「流し」は認められていなかった。 タクシーは営業所から乗せるか、あるいは電話で行くしかなかった。 しかし、この月の下旬からそれを認める方向で調整中であったと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 1月 1965 釜石鉱山~釜石製鉄所の鉱石輸送は昭和40年3月に社線から国鉄に切り替え予定(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 これまで、釜石鉱山から釜石製鉄所に運ぶ鉄鉱石は、国鉄の陸中大橋駅付近から釜石駅前の製鉄所まで、国鉄と並行して「社線」という専用線で輸送していた。 この「社線」、釜石市内の小佐野や甲子といった市街地の道路の真ん中を走っていたので、自動車が増えるにつれ邪魔でしょうが… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 16 1月 1965 江刺市内で舗装道路は水沢に行く県道だけ(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 「まちの真空地帯」というシリーズものの記事で、10回目のこの回では江刺市を取り上げている。 昭和33年11月に市制してすでに6年となっていたが、舗装した道路はといえば水沢に抜ける県道だけで、それ以外が全部舗装していなかったというのである。 このため、市内の川原町… 続きを読む
g北上・和賀郡 25 12月 1964 北上の九年橋ですれ違い規制を施行 昭和39年12月25日の岩手日報より。 北上市の南の玄関となる国道4号線の九年橋は、幅が5.5mしかなく渋滞や事故の原因となっており、この当時の一級国道としても全国定期に悪名高い難所となっていた。 交通事故は昭和38年に6件であったものが、昭和39年には19件と3倍以上に増えていた。 この幅5.5m… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1964 岩手中央バス・岩手県南バス「帰省はふるさとのバスで!」(昭和39年12月21日) 昭和39年12月21日の岩手日報より。 国道4号線の整備などにより、帰省ラッシュは鉄道以外にもバスで行うのも盛んになってきた。 岩手中央バスは前年の昭和38年末には30台のバスを東京に送って帰省輸送を行った。 この年は40代で輸送を行うと意気込んでおり、集団就職を受け入れた事業所に営業をかけていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 11月 1964 スズライト・キャリイバンは岩手スズライトで! 昭和39年11月30日の岩手日報の広告欄より。 当時、スズキの主力は「スズライト」だった。 そもそもは昭和30年に発売した軽自動車であり、後年「その後の軽自動車のあり方を示唆、歴史に残る名車」と評価され日本自動車殿堂歴史車に選ばれたというほどの名車でもある。 岩手県内の販社も「岩手スズライト販売」と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1964 岩手トヨタ「自動車の運動会『ジムカーナ』で楽しもう!」(昭和39年11月1日) 昭和39年11月1日の岩手日報の広告欄より。 岩手トヨタが自動車の運動会「ジムカーナ」の大会を、11月8日に盛岡八幡宮の境内で行うという。 ジムカーナとは、広告の表現をそのまま借りれば、「運転技術を存分に発揮でき、ウィットある機敏な行動が要求されしかも童心に帰って無邪気にふるまえる自動車の競技会」で… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 9月 1964 岩手トヨペット釜石営業所「新型コロナ発売!」(昭和39年9月11日) 昭和39年9月11日の岩手東海新聞より。 岩手トヨペット釜石営業所では、新型コロナの発表試乗会を釜石・遠野・宮古で行うと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 9月 1964 釜石市内の舗装工事でバスの運行経路が変わります(昭和39年9月9日) 昭和39年9月9日の岩手東海新聞より。 釜石市の中心部である只越町では、舗装工事のために東部バスの運行経路が変わるという広告。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢に本社がある岩手県南バスと経営統合しており、車体の色も県南バスの色となっていたが、正式に県南バスとなるのは昭和41年のこと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 9月 1964 釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) 釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 8月 1964 仙岩峠の夏・相逢いの滝(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 盛岡から秋田に行くには、国道46号線で行くことになるが、当時は仙岩トンネルなんて開通していないので、曲がりくねった峠道を越えるしかなかった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 20 6月 1964 岩手東部バス「釜石市内のバス時刻を改正します」(昭和39年6月20日) 昭和39年6月20日の岩手東海新聞より。 岩手東部バスは釜石市内のバスの時刻表を改正するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 15 6月 1964 釜石・社線を撤去して道路を広げましょう(S39.6.15岩手東海新聞) 釜石鉱山からの鉄鉱石輸送は釜石線になったので、社線は撤去して道路にしましょうという話。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 6月 1964 マツダファミリア43万8千円!B360は31万円!(昭和39年6月11日) 昭和39年6月11日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自動車販売店では、マツダの自動車を売っていた。 ファミリアが43万8千円、B360が31万円。 いずれも商用車前提の販売であった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10 6月 1964 遠野で「忍者部隊」を真似た小学生が盗み・宮古で国道沿いに花壇(S39.6.10岩手東海新聞) 遠野で、当時のテレビ番組「忍者部隊月光」を真似て窃盗をする小学生が出たという。 また、宮古では一級国道の開通に合わせて花壇の整備と。 それまで二級国道111号線であったところ、昭和38年4月1日に指定替えされて一級国道45号線になったもの。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 6月 1964 昭和38年10月15日から全ての自動車に定期点検が義務付けられました!(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 釜石地区自動車整備協会では、自動車整備が義務付けられた旨の広告を出している。 今の言葉で言えば「車検」だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 6月 1964 早く国道45号線古廟坂トンネルを開通させて大槌への架け橋を(昭和39年6月4日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 当時、国道45号線で釜石から大槌方面に行くには、室浜の山道を通っていかないといけなかった。 それで、古廟坂トンネルの開通が待ち望まれていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 1月 1964 そのうち花巻空港も開港するから釜石に行く県道も舗装して(昭和39年1月13日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 4月の花巻空港の階高を控え、花巻と釜石を結ぶ主要県道も舗装してほしいと議員に要請した。 当時は、舗装した道自体が珍しかったのだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 11月 1963 日通観光釜石支店の各種ツアー(S38.11.7岩手東海新聞) 日通観光釜石支店は、岩手東部バスと岩手東海新聞と共同でツアーを開催していた。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢を本社とする岩手県南バスの傘下に入り、車体色も県南バスと共通になっていたが、経営統合するのは昭和41年のこと。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1 11月 1963 東和町〜大岳のバスが大岳温泉まで延長(昭和38年11月1日) 昭和38年11月5日の岩手民声新聞より。 東和町と江刺市梁川を結ぶバス路線は、江刺市梁川の大岳止まりであったが、11月1日から、これを延長して大岳温泉まで伸びるようになったのだと言う。 これを記念して、最初のバスが到着するタイミングで、市長や市教育長、市役所の課長レベル、県南バス社長、県南バス江差営… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 25 10月 1963 江刺市内の3カ所にカーブミラーを設置(昭和38年10月25日) 昭和38年10月25日の岩手民声新聞より。 江刺警察署と県交通安全協会江刺支部では、秋の交通安全旬間にあたって、10月25日に市内の県道の危険な箇所3箇所でカーブミラーを設置することにした。 この3箇所は、岩屋堂の餅山と、玉里の玉崎・大和田の3カ所。 このカーブミラーは、一気に23,500円であると… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 21 10月 1963 江刺にも国鉄バスを通して下さい(昭和38年10月21日) 昭和38年10月26日の岩手民声新聞より。 鉄道のない江刺では、内陸の主要都市と沿岸を結ぶ国鉄バスの運行を陳情しようとしていた。 そして関係する市町村の首長や議会議長の署名を得たために、市議会以降は仙台陸運局が運輸省に陳情することとした。 陳情する路線は以下の通り。 釜石〜遠野〜米里〜岩谷堂〜水沢 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 9月 1963 釜石・浜町交差点に信号機を設置(S38.9.18岩手東海新聞) 当時の釜石の最も繁華街であった浜町に信号機が設けられたという。 読んだ感じでは、釜石で初めてというわけではないようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 9月 1963 釜石自動車教習所では自動車練習生募集中(昭和38年9月16日) 昭和38年9月16日の岩手東海新聞より。 釜石自動車教習所では、自動車練習生を募集している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 9月 1963 釜石〜東京15時間で直送の鮮魚トラック(S38.9.16岩手東海新聞) 当時、釜石港の鮮魚の輸送は国鉄に寄っていたが、東京まで運ぶには2〜3日かかっていた。 これを、トラックであれば15時間に短縮できると言うのだから、画期的なことだったようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10 9月 1963 釜石の恵まれない子供たちを仙人峠にドライブ(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 「釜石市子供の幸せを守る会」は、恵まれない子供たちを仙人峠にドライブに連れて行くと言うニュース。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 10 9月 1963 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 山田町の宮古警察署山田派出所には、新しい交通標識の見本用教材が届いた。 これで、町民に交通標識を知ってもらおうと言うものである。 … 続きを読む