a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1956 盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡警察署では、風俗営業法によるキャバレーの飲食時間を内偵していた。 風俗営業法では、キャバレーは11時が営業時間になっていたのである。 そして、1月6日23:30を期して、3班に分かれて盛岡市内の「ハレム」「フロリダ」「レンボー」を急襲して、証拠写真の撮影などを… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 1月 1956 安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ! 昭和31年1月4日の岩手日報より。 この昭和31年は申年であり、猿に関する記事が多くみられたが、初代民選知事の国分謙吉には夢があったという。 それは、安家村(現:岩泉町)の山奥で、ペット用に猿を放牧してはどうかというものであった。 犬や猫のように「愛玩動物」として猿を繁殖させようというのである。 明… 続きを読む
l全県 4 1月 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
l全県 3 1月 1956 新生活運動の正月(昭和31年1月3日) 昭和31年1月3日の河北新報より。 昭和31年の正月は、「新生活運動が根付いたためか」松飾りはほとんど無く、日本髪の女性もほとんどいなかったのだという。 ただし、県内各地の神社では初詣の人出が過去最高になった所もあったという。 翌2日は、初売りの車が県内各地で走り回っていたという。 写真はどこの初売… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・ … 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 12月 1955 久慈で子供たちの年越しパーティー(昭和30年12月31日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 久慈の駅前子供会の会長は、恵まれない家庭の子供たちにも年越しの楽しさを味わわせようと言うことで、子供たち30名を集めて年越しパーティーを行うこととした。 「のんきさん」として知られていた会長は、ねじりはちまき姿で「和製サンタクロース」として現れ、プレゼントをす… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 12月 1955 いよいよ日赤の血液銀行が1月から開始します!(昭和30年12月27日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 本来であれば、昭和29年7月に岩手県内でも献血が始まっているはずだった。 それが、資金難で延び延びになっていたのだ。 準備にかかったこと自体が昭和29年秋であるという状況であった。 それが、資金がどうにかなって昭和31年1月から開始することができるというのであ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 25 12月 1955 二戸郡では凍豆腐の最盛期(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 凍豆腐の産地である二戸郡では、生産の最盛期を迎えているという。 写真はこの年の3月に二戸郡福岡町に合併したばかりの斗米村にて。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1955 盛岡市内の餅屋「今年は豊作なのでお正月の餅は普通米と引き換え無しで特別配給しますよ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 盛岡市内の餅屋は正月の餅作り大忙しである。 例年であれば、餅の配給は普通米から正月三が日分差し引いて配給するのだというが、この年は豊作だったので、三が日分差し引かなくても3日分「特別配給」するという。 この当時の米穀配給制度が垣間見えるニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 12月 1955 雫石で「黒焼き」「ラクダの脳みそ」を薬として売る祈祷師の女を逮捕(昭和30年12月23日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 雫石町の自宅で「婦人科肋膜の薬・黒焼き」として炭の粉を売ったり、「ラクダの脳を煮染めた水」として精神病の薬だとして農民の無知に付け込んで売っていた祈祷師の女を12月23日に逮捕した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 11月 1955 小春日和にビルの屋上でBGが日向ぼっこ(昭和30年11月26日) 昭和30年11月26日の岩手日報より。 師走もあと5日という時に大陸から張り出した高気圧で連日の陽気で小春日和となり、盛岡市内のBGも屋上で日向ぼっこである。 ところで、岩手山と県公会堂が見えるこの場所はどこだろう? なんとなく現在の盛岡東警察署のあたりのようにも思えるが・・・ ちなみ… 続きを読む
l全県 22 11月 1955 岩手県内に欠食児童は6,000人! 昭和30年11月22日の岩手日報より。 日教組の岩手県支部である岩教組では、生活保障や給食対策などの基礎資料の為に、欠食児童の調査を進めていた。 そうしたところ、欠食児童は全体の2%に当たる6000名に上っていた。 地域としては下閉伊(宮古)、九戸(久慈)といった沿岸や県北に多かったという。 穀倉地… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 11月 1955 雪に子供たちが大喜び(昭和30年11月22日) 昭和30年11月22日の岩手日報より。 20日から県内一帯に寒波が襲来し、21日朝の盛岡の最低気温は-4℃となった。 午後の2時頃には盛岡市内に雪が降り始めた。 盛岡測候所によれば、これは沿海州の冷たい低気圧によるものだということで、22日も1~2cmの積雪になろうという予想であった。 写真は盛岡市… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 11月 1955 火災に無防備な老朽県庁 昭和30年11月18日の岩手日報より。 明治36年(1903年)に建てられた県庁 この当時の岩手県庁は、明治36年11月に完成し、築53年であった。 53年もやってればそれは書類だって増える。 つもりに積もった書類に、火災報知機も無く火災のリスクは非常に高い状態となっていた。 そこで、火災シーズンを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 11月 1955 山田線の捨て子(昭和30年11月17日) 昭和30年11月17日。 宮古発盛岡行きの411列車が区界駅に到着しようとした時のこと。 車掌が検札していると、小さい女の子が泣いている。 どうやら迷子になったらしい。 親の名前を聞いても、それどころか自分の名前すら言えないらしい。 これはいったいどうしたものか・・・ 盛岡に到着し、とりあえず中央児… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 11月 1955 七五三は平服で 昭和30年11月16日の岩手日報より。 11月15日は七五三の日であり、県内各地の神社では子供連れでにぎわったという。 女の子は振袖が多かったが、男の子は平服に近いものが多く、新聞そのものの言い方を借りると「親の見栄や虚栄心ともみられていた七五三もだんだん一般化してきたのは近頃の傾向」としている。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 11 11月 1955 花巻にモダンな婦人会館 昭和30年11月11日の岩手日報より。 花巻町役場が花巻中学校の跡地に引っ越したので、その跡地に婦人会館を建設した。 建物はモルタル塗りのクリーム色で、窓枠は薄いグリーン、正面は3階が化粧ガラス張りで、内部はフローリングの集会場などがあったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 11月 1955 見出しもあろうに「あき盲の書類配達」(昭和30年11月9日) 昭和30年11月9日の岩手日報より。 「この道三十年」というシリーズものの記事で、この回では69歳の前沢町役場使丁にスポットを当てているのだが、見出しが「あき盲の書類配達」となっているのである。 ここでいう「あき盲」とは、非識字者であることを指しているようで、書類の配達が主な仕事であるにもかかわらず… 続きを読む
l全県 8 11月 1955 長欠、臨時免状教員… これが「辺地学校」の実態だ(昭和30年11月8日) 昭和30年11月8日の岩手日報より。 県教育研究所では、辺地学校についての調査結果を発表した。 【辺地学校数】 小学校 ・・・ 776校中278校(35.8%) 中学校 ・・・ 386校中114校(29.5%) 合計 ・・・ 1062校中392校(33.7%) 【免許状】 小学校 普通免許状を持つ教… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 11月 1955 釜石で「ゴミ人夫33年」厚生省表彰 昭和30年11月7日の岩手日報より。 清掃人夫として33年間釜石市に奉職してきた53歳の男性が、厚生省所管の全国清掃協会に表彰されるという。 この人は釜石市役所衛生課におり、目が悪くて徴兵検査に不合格となり、一念発起して「人が嫌がることをやろう」と、当時請負制であったゴミさらいを始めたのだという。 … 続きを読む
l全県 7 11月 1955 県内の飲食店にも「公給領収証」 昭和30年11月7日の岩手日報より。 11月1日から、遊興飲食税が大幅引き下げになった。 ただし、そのためには1回の支払いが500円以上になった場合に県で作成して領収書を渡さないと行けなくなった。 これが「公給領収証」である。 これは飲み屋だけではなく、芸者、赤線、果ては喫茶店までも同様に適用される… 続きを読む
j東磐井郡 6 11月 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 11月 1955 遠野市の僻地・大出に中学校の分校を設置 昭和30年11月3日の岩手日報より。 この頃の岩手県においては、僻地で学校まで何キロも歩かなければいけない、農作業で忙しいなどの理由で長欠している生徒が多くいた。 特に、体が成長し一人前の働き手とみなされた中学生であればなおのことであった。 この遠野市大出もそのような地区であり、この地区の中学生は何… 続きを読む
l全県 3 11月 1955 森永ヒ素ミルク事件の発覚当初の広告(S30.11.3岩手日報) 森永乳業の牛乳を飲んだ赤ちゃんに異常が出始めた頃。 まだ会社側が政府とグルになって被害者を押さえ込んでいた。… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 11月 1955 陸前高田で市制祝賀行列 昭和30年11月3日の岩手日報より。 この年の1月1日に、岩手県内11番目の市として市制した陸前高田市が11月に入り、市制祝賀行列を行うこととなった。 以下の行事が予定されているという。 午前7時 市内消防団が高田高校に集まって演習、その後行進 午前9時 市内小中学校学童、幼稚園児8000名が岩手日… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 11月 1955 盛岡・川徳デパートで食品大売り出し!(昭和30年11月2日) 昭和30年11月2日の岩手日報より。 盛岡の川徳デパートでは、食料品の大売り出しをやるという。 当時の物価が見て取れる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1955 盛岡・松屋デパートに森永スイートガールが来ます!(昭和30年11月1日) 昭和30年11月1日の岩手日報より。 盛岡の松屋デパートに「森永スイートガール」が来るという。 へえ・・・そういうのがあったんだ・・・ と思いながら「スイートガール」について調べてみると、他でもない森永製菓の公式ページにあった。 でも昭和12年で終わったというのだが・・・? 20年近く… 続きを読む
b二戸・二戸郡 19 8月 1955 二戸郡で生活扶助世帯増加(昭和30年8月19日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 二戸郡では好天続きで豊作の見込みかと思ったら、群内の村々では生活扶助を受ける世帯が増加しているという。 後年で言えば「生活保護」である。 特に開拓地が多く、昭和28年の冷害と、昭和29年の凍霜害によるものではないかと見られていた。 二戸地方事務所関内では、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 8月 1955 盛岡に痴漢出没(昭和30年8月18日) 昭和30年8月19日の河北新報岩手版より。 8月16日には盛岡で舟っこ流しが行われ、痴漢が現れたのだという。 それで捜査を行っていた矢先の8月18日、今度は新庄田中(現:若園町)で5歳の幼女が友達と遊んでいると、自転車できた男にいたずらされたのだという。 それで警察は厳重に捜査を進めていた。 &nb… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 8月 1955 気仙の銘酒といえば酔仙(昭和30年8月13日) 昭和30年8月13日の河北新報岩手版より。 広告欄には酔仙酒造の広告が載っている。 陸前高田の酒造会社であり、岩手を代表する酒蔵でもある。 … 続きを読む