備考※3

盛岡・第一映画劇場では「青春角力日記」「越後獅子祭」を公開します!(昭和16年11月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・第一映画劇場では「青春角力日記」「越後獅子祭」を公開します!(昭和16年11月6日)

昭和16年11月6日の岩手日報より。 盛岡の第一映画劇場では「青春角力日記」と「越後獅子祭」を公開するという。 「青春角力日記」は昭和13年5月21日初公開の東宝映画で、スポ根映画のはしりであるともいわれている。 「越後獅子祭」は昭和14年8月20日初公開の東宝映画で、長谷川一夫や入江たか子が出演。…
盛岡・内丸座で「雪之丞変化」を封切します!(昭和16年11月6日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・内丸座で「雪之丞変化」を封切します!(昭和16年11月6日)

昭和16年11月6日の岩手日報より。 盛岡の内丸座では「雪之丞変化」を封切する。 「雪之丞変化」は昭和10年、昭和34年、昭和38年と数回映画化されているが、これは昭和10年版であろう。 主演は林長二郎。 「絶対新版」と書いてはいるものの、初公開からすでに6年経過しており、よくもまあそんなことが言え…
水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢町に「斎藤実記念図書館」と「後藤新平記念公民館」が完成(昭和16年11月3日)

昭和16年11月2日の岩手日報より。 東京市長となった後藤新平や、総理大臣となった斎藤実を生み出した水沢町は「偉人の町」として戦前から売り出していた。 その「偉人の町」水沢に、11月3日の明治節の佳き日に「皋水記念図書館」と「後藤伯記念公民館」を開館することになった。 皋水とは斎藤実の号であり、設計…
千厩に「たばこ神社」(昭和16年11月1日) j東磐井郡

千厩に「たばこ神社」(昭和16年11月1日)

昭和16年11月1日の岩手日報より。 葉タバコの産地として名高い東磐井地方では、紀元2600年を記念して「たばこ神社」を設立した。 そして水沢の駒形神社の宮司により、鎮座祭がおこなわれた。 現在でもなお、東磐井郡の観光スポットとして名前が上がっている。  …
紀元2600年聖戦博覧会の地鎮祭(S15.8.4新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

紀元2600年聖戦博覧会の地鎮祭(S15.8.4新岩手日報)

昭和十五年八月四日の『新岩手日報』には、紀元二千六百年を祝う「聖戦博覧会」の地鎮祭の様子が報じられている。 会場となったのは、盛岡市内丸の商品陳列所前の広場。桜山神社の宮司を招き、盛大に執り行われたという。 Screenshot 記事の見出しには「豪華殿堂輝やく礎」「聖戦博の地鎮祭」とあり、戦時色が…
興亜奉公日で観光地の客足は?(S15.8.3新岩手日報) l全県

興亜奉公日で観光地の客足は?(S15.8.3新岩手日報)

S15(1940)年8月3日付『新岩手日報』より。 紙面には「遠出組も遠慮して温泉地も期待外れ」と題された記事が掲載されている。見出しには「改札口で湯に誘う興亜奉公日」とあるが、その内容を読むと妙な違和感を覚える。 Screenshot 当時はすでに戦時体制が急速に整えられつつあり、「興亜奉公日」と…
第八新興閣で「母の願ひ」「花嫁十三夜」封切!(昭和15年8月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

第八新興閣で「母の願ひ」「花嫁十三夜」封切!(昭和15年8月1日)

昭和15年8月1日の新岩手日報より。 第八新興閣では「母の願ひ」「花嫁十三夜」を封切するという。 「母の願ひ」は昭和15年4月18日の新興キネマ作品で、出演は宇佐美淳・浦部粂子など。 特に宇佐美淳は二戸郡姉帯村(現:一戸町姉帯)で、「郷土スター」として宣伝されていた。 「花嫁十三夜」は昭和15年4月…
盛岡・松竹内丸座で「都会の奔流」「維新子守唄」公開!(昭和15年8月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・松竹内丸座で「都会の奔流」「維新子守唄」公開!(昭和15年8月1日)

昭和15年8月1日の新岩手日報より。 盛岡・松竹内丸座では「都会の奔流」「維新子守唄」を公開する。 「都会の奔流」は、昭和15年6月13日公開の松竹作品で、出演は佐分利信・原保美・木暮実千代など。 「維新子守唄」は、昭和15年4月18日公開の松竹作品で、出演は伏見信子・海江田譲二など。  …
ニッサンバス・トラックは仁王菜園の振興自動車で!(昭和15年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ニッサンバス・トラックは仁王菜園の振興自動車で!(昭和15年1月31日)

昭和15年1月31日の新岩手日報の広告欄より。 日産トラックの広告が掲載されているが、販売店の住所が「盛岡市仁王菜園」と書いてある。 菜園と言えば、この記事を書いている令和4年現在の川徳デパートの所であるのはいいとして、「仁王」なのか。 「仁王」と言えば、仁王小学校がある本町や上盛岡駅周辺の、中央通…
新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

新岩手日報から8人目の従軍記者(昭和15年1月31日)

昭和15年1月31日の新岩手日報より。 この時期は日中戦争期であり、連日その戦況が新聞で報じられていた。 誰が情報を発信していたかと言えば、それは各部隊に従軍記者が随行していたからである。 この従軍記者により、郷土出身の将兵の武勲が県民に伝えられていたのである。 そしてここに8人目の従軍記者を送るこ…