a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1962 新しい盛岡市役所の新庁舎では民生部の窓口で全て用がたせますよ!(昭和37年11月1日) 昭和37年11月1日の河北新報より。 「盛岡新庁舎拝見」というシリーズものの記事の第6回目。 民生部の窓口は、市民本位に立って全て用がたせるようにしたのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 10月 1962 釜石・錦館で「学生芸者 恋と喧嘩」「硝子のジョニー 野獣のように見えて」「激しい河」を公開(昭和37年10月17日) 昭和37年10月16日の岩手東海新聞より。 10月17日から釜石・錦館で「学生芸者 恋と喧嘩」「硝子のジョニー 野獣のように見えて」「激しい河」を公開する。 「学生芸者 恋と喧嘩」は、昭和37年9月1日の松竹映画で、出演は岩下志麻・寺島達夫・伴淳三郎など。 「硝子のジョニー 野獣のように見えて」は、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 10月 1962 ハリキリさん「マッチ探してきて」(昭和37年10月3日) 昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 当時連載されていた「ハリキリさん」ではマッチがテーマになっている。 この家ではすでに都市ガスが引かれていたようで、ガス器具があるのだが、マッチがない。 そこで、子供にマッチを探すよう言い付ける。 果たして、子供がマッチを見つけたところはお父さんの洋服の中。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 10月 1962 釜石の栗橋で芋の子会(昭和37年10月3日) 昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 秋になると岩手も「いもの子会」のシーズンである。 芋煮会といえば、宮城や山形の味噌・醤油論争が有名であるが、岩手でも「芋の子会」として秋に開催されることが多い。 これは釜石の鵜住居から遠野に抜ける笛吹峠の手前の栗橋の河原にて芋の子かいの風景。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 10月 1962 芸術の秋!10月9日に新制作座釜石公演を行います!(昭和37年10月3日) 昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 10月9日に、新制作座の東京公演が予定されているという。 新制作座は、昭和25年に旗揚げされ、学校などでも上演している劇団で、令和4年現在でもNPO法人として現存している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2 10月 1962 釜石製鉄所クラブ女子従業員募集(昭和37年10月2日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所では、クラブでは働く女子従業員を募集するという。 クラブとは福利厚生施設のことだろうか。 未婚で住み込みが条件であるという。 今ならば問題になっている条件ではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 10月 1962 岩手東海新聞社員が釜石製鉄所を見学(昭和37年10月1日) 昭和37年10月1日の岩手東海新聞より。 岩手東海新聞社の社員が釜石製鉄所を見学したという。 この当時、まだ釜石には9万人の人口がいた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 9月 1962 釜石電報電話局「市外電話料金が変わります!」(昭和37年9月30日) 昭和37年10月2日の岩手東海新聞より。 釜石電報電話局は、市外電話の料金が変わる旨の広告を出していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 9月 1962 釜石小学校で運動会(昭和37年9月30日) 昭和37年10月1日の岩手東海新聞より。 釜石小学校で運動会があったという。 個人的な体験で言うと、釜石小学校の校舎というと、国道45号線の鳥谷坂トンネルに入る直前にある古めかしい鉄筋校舎のイメージがあったが、昭和37年頃の建築ということは、それほど古くもなかったようだ。 鉄サッシが古めかしく見えた… 続きを読む
i一関・西磐井郡 5 9月 1962 平泉町で一関市との合併について大衆討論会(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 平泉町商工振興会では、9月10日から15日の間に、一関市と平泉町合併問題に関して大衆討論会を開く準備を進めていると言う。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3 9月 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 9月 1962 9月18日に一関小学校の講堂で劇団民藝「イルクーツク物語」を上演します!(昭和37年9月1日) 昭和37年9月1日の岩手報知より。 一関芸術協会の第20回例会として、9月18日に一関小学校の講堂で「イルクーツク物語」を上演する。 出演者には芦田伸介や吉行和子の名前もある。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 7月 1962 盛岡・川徳デパートで夏のご贈答品フェア(昭和37年7月28日) 昭和37年7月28日の岩手東海新聞より。 盛岡の川徳デパートが夏のお中元商戦で広告を出している。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 28 7月 1962 岩手県南バスの本社が移転新築(昭和37年7月28日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 それまで、岩手県南バスは水沢市の駅通りに本社と営業所があったが、繁華街でバスの出し入れを頻繁にするのは危険であると言うことから、水沢市小山崎に移転することとなったのである。 そして、7月27日から本社の移転が始まり、7月中に移転が完了すると言う予定と言うこと… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 7月 1962 病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石の鰻屋「7月26日は土用の丑ですよ!」(昭和37年7月25日) 昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 翌7月26日は土用の丑なので鰻屋も広告に力が入る。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石製鉄所構内で姿を消す蒸気機関車(昭和37年7月25日) 昭和37年7月25日の岩手東海新聞より。 この時期、日本の鉄鋼業界は、経済不況によって合理化足踏み状態になっていたのだと言う。 そのような中でも、釜石製鉄所の構内を走る鉄道路線は、蒸気汽関車からディーゼルに変わっていた。 釜石製鉄所に初めてディーゼル機関車が導入されたのは、昭和30年10月の事なのだ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 25 7月 1962 釜石・第一劇場で「穴」「昼下がりの決斗」を公開!(昭和37年7月25日) 昭和37年7月24日の岩手東海新聞より。 釜石・第一劇場では「穴」「昼下がりの決斗」を公開する。 「穴」(原題:Le trou)は、昭和35年のフランス映画。日本での初公開は昭和37年4月7日。昭和22年に実際に起きた脱獄事件をモデルに描いているのだと言う。 「昼下がりの決斗」(原題:Gun in … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 7月 1962 電気熔接機は150アンペア34,000円から!(昭和37年7月24日) 昭和37年7月24日の岩手東海新聞より。 広告欄には、電気溶接機などと言うものが出ている。 150アンペアで34,000円からと言うが、こんなのが売れるのは、釜石ぐらいのものではないだろうか。 また、50ヘルツと60ヘルツの値段が書いているが、釜石はもちろん50ヘルツしかない。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 16 7月 1962 水沢・岩谷堂映画案内(昭和37年7月16日) 昭和37年7月16日の胆江日日新聞より。 水沢や岩谷堂の映画案内。 直営館のない日活はみその東宝で上映していた模様。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 7月 1962 8月13日にこまどり姉妹が釜石に来ます!(昭和37年7月16日) 昭和37年7月16日の岩手東海新聞より。 広告欄では、東殖デパートが「こまどり姉妹ショーにご招待」という広告を打っている。 8月13日に錦館で予定されており、特に16歳以上の双子は無料で招待するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 7月 1962 7月28日に大鵬や柏戸が釜石に来ます!(昭和37年7月16日) 昭和37年7月16日の岩手東海新聞より。 7月28日に大相撲釜石準場所が予定され、大鵬や柏戸が釜石に来るという。 また、前田川など郷土力士も来るということで期待された。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 13 7月 1962 及新百貨店の5階展望食堂の土曜日の午後(昭和37年7月13日) 昭和37年7月13日の岩手東海新聞より。 広告欄には及新デパートの5階展望食堂。 いわく「及新5階展望食堂の一隅より流れている笑い、会話の中心は代表的なオフィスマンスタイルのセミスリーブの彼です」 そういえばこの頃は土曜日は「半ドン」だった。 ところで、この「オフィスマンスタイルのセミ… 続きを読む