a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1956 紺屋町でDQNがバスに空気銃を撃ち込む(昭和31年1月5日) 昭和31年1月7日の岩手日報より。 1月5日18時20分頃、盛岡市紺屋町の田山家具店の前で、馬町車庫発青山町行きの中央バスに何者かが空気銃を撃ち込んだ。 元旦の頃にも同じようなことがあったようで警察は犯人を捜査することにした。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 5 1月 1956 野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 岩手では木炭の生産が盛んであるが、輸送方法と言えば萱俵で包み、運搬するにも型崩れや汚れがひどいと言う状況であった。 そのため、集荷業者による手直しと言う手間もかかっていた。 そこで、野田村の木炭検査場では、箱詰めの木炭を考案した。 その箱は、スリットを作り中身… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 1月 1956 南部鼻曲がり鮭で有名な津軽石川で川開き(昭和31年1月4日) 昭和31年1月5日の岩手日報より。 「南部鼻曲がり鮭」で有名な津軽石川では、津軽石村から宮古市になって初めての川開きが行われた。 有名なイベントなのでカメラの放列と共に川開きとなった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4 1月 1956 安家(岩泉)の山奥でペット用に猿を繁殖させるぞ! 昭和31年1月4日の岩手日報より。 この昭和31年は申年であり、猿に関する記事が多くみられたが、初代民選知事の国分謙吉には夢があったという。 それは、安家村(現:岩泉町)の山奥で、ペット用に猿を放牧してはどうかというものであった。 犬や猫のように「愛玩動物」として猿を繁殖させようというのである。 明… 続きを読む
l全県 4 1月 1956 いくら河北新報だからって岩手版にまで仙台市内の官公衙の新春広告を出されても・・・(昭和31年1月4日) 昭和31年1月4日の河北新報岩手版より。 河北新報は仙台の新聞なのはわかる。 しかしこの紙面は岩手版なのだ。 岩手版に仙台市内の官公衙の新春広告ばかり出されても岩手の読者としてはどうだったのだろう? あるいは岩手でも「仙台の風」を感じることができてむしろ好評だったのだろうか?… 続きを読む
l全県 3 1月 1956 新生活運動の正月(昭和31年1月3日) 昭和31年1月3日の河北新報より。 昭和31年の正月は、「新生活運動が根付いたためか」松飾りはほとんど無く、日本髪の女性もほとんどいなかったのだという。 ただし、県内各地の神社では初詣の人出が過去最高になった所もあったという。 翌2日は、初売りの車が県内各地で走り回っていたという。 写真はどこの初売… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1956 昭和31年の盛岡市内映画館の正月映画(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の岩手日報より。 昭和31年の盛岡市内各映画館の正月映画の一覧。 盛岡にはこれだけ映画館があった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1956 岩手山麓にジャージー種が導入されて3年目 昭和31年元旦の河北新報より。 農林省は、昭和28年に岩手山麓を「集約酪農地域」に指定して、ジャージー種の乳牛を導入することとした。 その第1陣がニュージーランドから到着したのは12月のことで、最初は35頭、昭和29年3月までに259頭、昭和29年度には271頭が導入され、川口・巻堀・渋民・大更・田… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 昭和31年の農事ごよみ(昭和31年1月1日) 昭和31年1月1日の岩手日報より。 紙面一面に「農事ごよみ」が掲載されている。 「南部めくら暦」と違って、字は書いているが、こうした農業歴は農家にとって欠くべからざるものであったことが見て取れる。… 続きを読む
l全県 1 1月 1956 河北新報は岩手版でも初売り広告は仙台の店ばかり(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報より。 元旦の新聞であれば初売り広告は付き物。 しかし河北新報岩手版の初売り広告は、岩手の店ではなく仙台の店ばかり並んでいる。 読者層はそもそも仙台となんらかのつながりがある人ばっかりだったので問題はない、とかだったのだろうか・・・ … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1956 国際港としてのびゆく釜石港(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報岩手版より。 釜石製鉄所の昭和30年の輸出総額は16万トンで70億円であった。 新春そうそうの1月2日には、日本商船の興名丸(7000トン)が釜石に入港し、アルゼンチン向けにスラブやビレットを積み出すという。 また、松岡開運の松福丸(6890トン)もまた、アルゼンチン向けにビ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 31 12月 1955 久慈で子供たちの年越しパーティー(昭和30年12月31日) 昭和31年1月5日のデーリー東北より。 久慈の駅前子供会の会長は、恵まれない家庭の子供たちにも年越しの楽しさを味わわせようと言うことで、子供たち30名を集めて年越しパーティーを行うこととした。 「のんきさん」として知られていた会長は、ねじりはちまき姿で「和製サンタクロース」として現れ、プレゼントをす… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1955 盛岡中劇で「荒野の貴婦人」「ターザン巨象の襲撃」公開!(昭和30年12月28日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 盛岡中劇では「荒野の貴婦人」と「ターザン巨象の襲撃」を公開する。 「荒野の貴婦人」(原題:Strange Lady in Town)は1955年米ワーナーによる西部劇映画。日本での初公開は昭和30年8月13日。 「ターザン巨象の襲撃」(原題:Tarzan an… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 12月 1955 盛岡・中央ホールで大映「弾痕街」「十代の反抗」東京同時公開!(昭和30年12月28日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 盛岡の中央ホールでは大映映画「弾痕街」と「十代の反抗」を東京と同時公開する。 「弾痕街」はアクション映画で菅原謙二が主演。 「十代の反抗」は女子少年院もので、三宅邦子が主演。 大映は他社と違って専用の映画館を持たなかったので、中央ホールなどで封切… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 12月 1955 近く雫石に新スキー場!(昭和30年12月27日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 この時期、岩手でもスキーがポピュラーになっていたようであるが、雫石町七ッ森に新たにスキー場が完成するという。 場所としては田沢湖線(当時であれば橋場線)の南側であるが、現在田沢湖線の南側でスキー場というのは聞いたことがない。 田沢湖線の北側だと、雫石スキー場と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 12月 1955 いよいよ日赤の血液銀行が1月から開始します!(昭和30年12月27日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 本来であれば、昭和29年7月に岩手県内でも献血が始まっているはずだった。 それが、資金難で延び延びになっていたのだ。 準備にかかったこと自体が昭和29年秋であるという状況であった。 それが、資金がどうにかなって昭和31年1月から開始することができるというのであ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 25 12月 1955 二戸郡では凍豆腐の最盛期(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 凍豆腐の産地である二戸郡では、生産の最盛期を迎えているという。 写真はこの年の3月に二戸郡福岡町に合併したばかりの斗米村にて。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 25 12月 1955 久慈地方「ヒエではなくお米を常食できるように開田工事をしましょう!」(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 九戸地方では、ヒエではなくお米を常食できるよう開田工事を進めているという。 長内土地改良区では、来年の田植え時期を目標に用水路の掘削工事を進めているという。 しかし、岩盤が固いところもあり爆破が主な作業となっているという。 これによって見込まれる米の増産量は6… 続きを読む
g北上・和賀郡 25 12月 1955 東和町役場が落成しました!(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報の広告欄より。 この年の1月1日に和賀郡土沢町・小山田村:谷内村・中内村が合併し東和町が発足したが、この年末の12月25日になり新しい庁舎が落成した。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 12月 1955 盛岡日活劇場では29日の開館セレモニーで「力道山物語 怒涛の男」「人生とんぼ返り」を封切してスターの挨拶もありますよ!(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報より。 12月29日に開館が予定されている盛岡日活劇場では、「力道山物語 怒涛の男」「人生とんぼ返り」を封切りするという。 「力道山物語 怒涛の男」は昭和30年12月27日公開なので、盛岡での公開もほぼ同時。 「人生とんぼ返り」は新国劇の殺陣師・市川段平の半生を描いた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1955 盛岡市内の餅屋「今年は豊作なのでお正月の餅は普通米と引き換え無しで特別配給しますよ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 盛岡市内の餅屋は正月の餅作り大忙しである。 例年であれば、餅の配給は普通米から正月三が日分差し引いて配給するのだというが、この年は豊作だったので、三が日分差し引かなくても3日分「特別配給」するという。 この当時の米穀配給制度が垣間見えるニュース。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 12月 1955 農村部の高校「うちは盛岡の学校の予備校じゃねえ!」(昭和30年12月24日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 西根町にある平舘高校では、1年生が退学して盛岡の有名校を再受験することに頭を悩ませていた。 昭和22年4月に定時制高校として開校、昭和24年に全日制になったのだが、毎年定員100名に対し、二次募集までして70~80名集めるので精一杯。 それも年度途中になると「… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 12月 1955 雫石で「黒焼き」「ラクダの脳みそ」を薬として売る祈祷師の女を逮捕(昭和30年12月23日) 昭和30年12月24日の岩手日報より。 雫石町の自宅で「婦人科肋膜の薬・黒焼き」として炭の粉を売ったり、「ラクダの脳を煮染めた水」として精神病の薬だとして農民の無知に付け込んで売っていた祈祷師の女を12月23日に逮捕した。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 21 12月 1955 宮古市役所「吏員ども!お前らにボーナス払ったら年越しできなくなるぞ!滞納税金取り立てて来い!」(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報より。 宮古市では市役所吏員に冬のボーナスを支払ったら年末の諸々の支払いができなくなるという。 そこへ来て、過年度分の市税滞納が3700万円、昭和30年度も3200万円がまだ納付されないままだという。 そこで12月16日~27日を「納税強化期間」と位置づけ、全吏員に市… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1955 東宝第一劇場で「照る日くもる日」「密輸船」公開!年に1度の50円興行!(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報の広告欄より。 東宝第一劇場では年に1度の50円興行の日で「照る日くもる日」と「密輸船」塗公開。 「照るひ曇る日」は大佛次郎原作で、最初はマキノ映画で大正15年に初公開されたものが、昭和15年、昭和29年とリメイクされて来たものである。前編は昭和29年12月8日、後編… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1955 盛岡中劇では「怪奇黒猫組」「弥次喜多漫才道中 腰抜け一家の巻」!(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報の広告欄より。 盛岡中劇では「怪奇黒猫組」と「弥次喜多漫才道中 腰抜け一家の巻」を封切りする。 いずれも配給は東宝であるが、なぜか直営館の東宝第一劇場ではなく中劇での封切り。 「怪奇黒猫組」は高垣眸の少年小説が原作になるもので初公開は昭和30年5月31日。 「弥次喜多… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 12月 1955 盛岡映劇では東映「笛吹若武者」「花ごよみ八笑人」封切!(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報より。 盛岡映劇で東映映画「笛吹若武者」と「花ごよみ八笑人」を封切り公開。 いずれも12月4日の初公開で、「笛吹若武者」は新人だった大川橋蔵と美空ひばりが主演。 また、「花ごよみ八笑人」は堺駿二や増田キートン等が出演。 &nb… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 20 12月 1955 昭和の大合併で津軽石村を編入した宮古市「私有林の半額払下げなんて引き継いでません」(昭和30年12月20日) 昭和30年12月20日の岩手日報より。 この年の4月1日、宮古市は周辺の花輪村・崎山村・重茂村と共に津軽石村を合併した。 「昭和の大合併」である。 この中で、津軽石村では村有林を営林署払下げ価格の半額で地元部落民に払下げるように村議会で議決していた。 これが昭和30年4月1日の合併で「市有林」となっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 12月 1955 12月29日から盛岡日活劇場が新築オープンします!(昭和30年12月20日) 昭和30年12月20日の岩手日報の広告欄より。 これまで日活の封切作品は盛岡映劇などで放映していたところ、昭和30年の年末を期して専用封切館がオープンすることになった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 11月 1955 岩手県選出の社会党議員が中国の戦犯収容所を視察 昭和30年11月29日の岩手日報より。 岩手県出身で日教組の副委員長まで務め、参議院議員となっている小笠原二三男氏は、1か月の日程で陽春・北京・哈爾浜・瀋陽・上海・長春・撫順と中共の教育事情を視察し、28日に急行「十和田」で盛岡に帰り、「中国の教育は素晴らしいの一言に尽きる!」とベタ褒めしていた。 … 続きを読む