m県外・参考 1 4月 1957 花輪線の小豆沢駅は「八幡平駅」になります 昭和32年4月1日の岩手日報より。 秋田県鹿角郡は秋田県ではあるものの「陸中国」となる。 そのせいでか、岩手銀行や東北銀行の支店があったり、鹿角郡のニュースがこのように掲載されたりする。 その秋田県鹿角郡の宮川村と曙村は前年の昭和31年6月15日に合併し「八幡平村」となっていた。 そこで、花輪線の小… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 20 3月 1956 合併したばかりの江刺町で早くも分離騒ぎ(昭和31年3月20日) 昭和31年3月20日の河北新報岩手版より。 昭和30年2月に、江刺郡岩谷堂町外が大同合併して江刺町が発足したものの、早くも不協和音が発生し、東部の米里・玉里・伊手・藤里の4ヵ村が江刺町からの分離を希望し始めた。 これは、新町建設の際に生まれた赤字を、この4ヶ村の村有林を処分することで埋め合わせされた… 続きを読む
l全県 4 2月 1956 公立高校の授業料を500円から600円に(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県教育委員会は、公立高校の授業料を500円から600円に値上げして、設備費用に充てることとした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石市役所の立春(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報より。 翌日に立春を控えた釜石市役所の表情。 昼休みに、職員たちがバレーボールに興じている。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 27 1月 1956 軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日) 昭和31年1月27日のデーリー東北より。 昭和の大合併の前、九戸郡小軽米村の6000町歩は「モデル林業村」として指定を受けていた。 これが昭和30年1月1日、晴山村とともに軽米町に合併してから、「町」として「モデル林業町」として県の指定を受けることになった。 これは、町としてははじめてのことであった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 1月 1956 盛岡市議会文教委員会「河南地区に小学校を新設しましょう」(昭和31年1月27日) 昭和31年1月29日の岩手日報より。 盛岡市議会文教常任委員会が1月27日に開かれた。 河南地区に小学校を新設する陳情が上がっており、これは昭和31年度は財源措置の見通しが立たず、昭和32年度から年次計画で建築するということでこれを採択したという。 その他の議題は以下の通り。 市内全小中学校に映写機… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 1月 1956 水沢の横町は「大通り」に改称(昭和31年1月22日) 昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 水沢の商店街である横町(よこまち)は、「大通り」に名称変更することにした。 そしてネオンアーチ完成記念の大売り出しを、この1月22日から2月5日まで行うことにした。 そもそも改称した理由は「横町」が「よこちょう」と読まれ、商売上不利であったからだという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 16 1月 1956 久慈市の目抜き通りが面目一新(昭和31年1月16日) 昭和31年1月16日のデーリー東北より。 1月10日、久慈市計画委員会が行われ、保留していた市街地幹線道路の区画整理の実施大綱を決定した。 久慈駅前からまっすぐ現在の新町通りまで幅20メートルで広くだけなのでこの地帯の立ち退きが必要 新町通りも幅20メートルで片側の家屋は若干立ち退きが必要 東部新町… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8 1月 1956 大船渡に国立病院誘致計画(昭和31年1月8日) 昭和34年1月8日の河北新報岩手版より。 大船渡市では全国の都市に先駆けて、国保の10割給付を行っていたという。 つまり毎年の国保料を支払っていれば無料で医者にかかれるということ? ・・・それはともかく、そのような状態でもあり大船渡市の財政は危機にさらされていた。 それで大船渡市立の病院が建設できず… 続きを読む
c久慈・九戸郡 5 1月 1956 軽米町に観光協会を設立へ(昭和31年1月5日) 昭和31年1月7日のデーリー東北より。 軽米町社会教育委員会の新年初会議が行われ、軽米町に観光協会を設立することを決定した。 そして、主に以下のものを紹介することを決定した。 徳楽寺・袋薬師 八幡宮 大鳥の滝 ヤイホイの巌窟 … 続きを読む
g北上・和賀郡 25 12月 1955 東和町役場が落成しました!(昭和30年12月25日) 昭和30年12月25日の岩手日報の広告欄より。 この年の1月1日に和賀郡土沢町・小山田村:谷内村・中内村が合併し東和町が発足したが、この年末の12月25日になり新しい庁舎が落成した。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 21 12月 1955 宮古市役所「吏員ども!お前らにボーナス払ったら年越しできなくなるぞ!滞納税金取り立てて来い!」(昭和30年12月21日) 昭和30年12月21日の岩手日報より。 宮古市では市役所吏員に冬のボーナスを支払ったら年末の諸々の支払いができなくなるという。 そこへ来て、過年度分の市税滞納が3700万円、昭和30年度も3200万円がまだ納付されないままだという。 そこで12月16日~27日を「納税強化期間」と位置づけ、全吏員に市… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 20 12月 1955 昭和の大合併で津軽石村を編入した宮古市「私有林の半額払下げなんて引き継いでません」(昭和30年12月20日) 昭和30年12月20日の岩手日報より。 この年の4月1日、宮古市は周辺の花輪村・崎山村・重茂村と共に津軽石村を合併した。 「昭和の大合併」である。 この中で、津軽石村では村有林を営林署払下げ価格の半額で地元部落民に払下げるように村議会で議決していた。 これが昭和30年4月1日の合併で「市有林」となっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 11月 1955 東北地方主要都市の人口(昭和30年11月27日) 昭和30年11月27日の岩手日報より。 国勢調査の結果が出て、東北地方各都市の人口がまとまった。 当時の盛岡は14万人。しかし岩手県の人口は140万人と現在よりむしろ多く、いかに農村部に人口が分散していたかということがわかる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 11月 1955 火災に無防備な老朽県庁 昭和30年11月18日の岩手日報より。 明治36年(1903年)に建てられた県庁 この当時の岩手県庁は、明治36年11月に完成し、築53年であった。 53年もやってればそれは書類だって増える。 つもりに積もった書類に、火災報知機も無く火災のリスクは非常に高い状態となっていた。 そこで、火災シーズンを… 続きを読む
l全県 15 11月 1955 国勢調査の結果、岩手県の人口は1,427,080人です! 昭和30年11月15日の岩手日報より。 5年ごとの国勢調査の結果がまとまり、岩手県の人口が1,427,080人と、前回の国勢調査より8万人の増加があったことが分かった。 この間、「昭和の大合併」もあり、特に釜石市などは2倍に膨れがっていた。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 11 11月 1955 花巻にモダンな婦人会館 昭和30年11月11日の岩手日報より。 花巻町役場が花巻中学校の跡地に引っ越したので、その跡地に婦人会館を建設した。 建物はモルタル塗りのクリーム色で、窓枠は薄いグリーン、正面は3階が化粧ガラス張りで、内部はフローリングの集会場などがあったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 11月 1955 県庁の玄関脇に「県民室」開設し好評 昭和30年11月11日の岩手日報より。 4月に岩手県知事が国分知事から阿部知事に変わり、民主的な県政をアピールするべく県庁の玄関脇に「県民室」をもうけ、県民の相談事に乗っている。 主に来る客としては、陳情が多いようで、そのほかにも県職員の採用相談や、農地問題の紛争解決、海外移民の相談、などの相談事が… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9 11月 1955 見出しもあろうに「あき盲の書類配達」(昭和30年11月9日) 昭和30年11月9日の岩手日報より。 「この道三十年」というシリーズものの記事で、この回では69歳の前沢町役場使丁にスポットを当てているのだが、見出しが「あき盲の書類配達」となっているのである。 ここでいう「あき盲」とは、非識字者であることを指しているようで、書類の配達が主な仕事であるにもかかわらず… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 11月 1955 釜石で「ゴミ人夫33年」厚生省表彰 昭和30年11月7日の岩手日報より。 清掃人夫として33年間釜石市に奉職してきた53歳の男性が、厚生省所管の全国清掃協会に表彰されるという。 この人は釜石市役所衛生課におり、目が悪くて徴兵検査に不合格となり、一念発起して「人が嫌がることをやろう」と、当時請負制であったゴミさらいを始めたのだという。 … 続きを読む
l全県 7 11月 1955 県内の飲食店にも「公給領収証」 昭和30年11月7日の岩手日報より。 11月1日から、遊興飲食税が大幅引き下げになった。 ただし、そのためには1回の支払いが500円以上になった場合に県で作成して領収書を渡さないと行けなくなった。 これが「公給領収証」である。 これは飲み屋だけではなく、芸者、赤線、果ては喫茶店までも同様に適用される… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 11月 1955 陸前高田で市制祝賀行列 昭和30年11月3日の岩手日報より。 この年の1月1日に、岩手県内11番目の市として市制した陸前高田市が11月に入り、市制祝賀行列を行うこととなった。 以下の行事が予定されているという。 午前7時 市内消防団が高田高校に集まって演習、その後行進 午前9時 市内小中学校学童、幼稚園児8000名が岩手日… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10 8月 1955 村の財政が貧乏で汚い井戸水しか飲めない中学校(昭和30年8月10日) 昭和30年8月10日の河北新報岩手版より。 九戸郡九戸村では、まだ上水道が整備されておらず、飲用水は井戸水に頼っている状況であった。 伊保内中学校では、村の予算が無く、高台の耕地に建てられた校舎の隅に形ばかりの井戸を設けたのだという。 しかし、水面が地面と同じ高さとなり、雨が降れば下水からあふれた汚… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7 8月 1955 胆沢地方事務所公金横領問題で辞職した県農政課長は葛巻町長に立候補(昭和30年8月7日) 昭和30年8月7日の河北新報岩手版より。 先に、県庁の希望退職で労組が「希望退職させるならまずは胆沢事務所の公金汚職問題の関係者を辞職させろ」と迫った問題で、直接関係は無かったにしろ当時の所長であった相良政行農政課長は辞表を提出するに至った。 相良課長は、当時の阿部千一知事に身の振り方を相談した。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 6 8月 1955 県立六原農場が牛乳を市販するのは民業圧迫(昭和30年8月6日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 戦前の知事官選制の時代にあって岩手県知事を6年勤めた石黒英彦により創設された国粋主義的農業教育施設「六原道場」は戦後、県立六原農場として再出発していた。 そしてこの時は、生産していた牛乳を北上市内で安く売るなどしていたようである。 このことに対し、北上市内の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 8月 1955 県では赤字財政のため希望退職を募集(昭和30年8月5日) 昭和30年8月6日の河北新報岩手版より。 県では、赤字財政のために希望退職を募集していた。 9月末までに480名の減を予定していたが、実際に集まるのは300名ぐらいだと思っていたところ、何と7月までに辞表が295通に達したのである。 この調子であればもう50人追加で530名でもいけるだろうと目標を変… 続きを読む
j東磐井郡 31 7月 1955 東磐井郡磐清水村でドラム缶が爆発し役場などが焼ける(昭和30年7月31日) 昭和30年8月1日の河北新報岩手版より。 東磐井郡磐清水村の農協売店とポンプ置場の間から出火し、ドラム缶が爆発し役場や民家などが焼ける事態となった。 役場の書類は運び出して無事であったという。 原因は、アベックのタバコの不始末が原因ではないかと見られたという。  … 続きを読む
b二戸・二戸郡 21 9月 1954 二戸郡福岡町は「福岡市」になれず(昭和29年9月21日) 昭和29年9月21日の岩手日報より。 上閉伊郡遠野町や気仙郡高田町が次々と市勢を決めていく中、二戸郡福岡町も、周辺の爾薩体村や金田一村を合併して「福岡市」になろうと頑張っていたが、金田一村が市制協議会から脱退してしまい、それが不可能となってしまった。 … 続きを読む