備考※1 2月 26日 1982 【参考】中国残留孤児が来日し肉親探し(S57.2.26) 中国残留孤児が来日して、肉親探しの旅をしたという。 そういえばこの当時は「黒竜江省」「遼寧省」といったワードが多く放送されていた。 https://youtu.be/bYOZgDbGG8M… 続きを読む
備考※1 3月 27日 1981 【参考】中国残留孤児、祖国へ(S56.3.27中日ニュース) 管理人が子供の頃は、ニュースからやたらと「黒竜江省」「遼寧省」などの中国の省名が連呼された者だった。 https://youtu.be/fQXIPKyGxSo?si=KXCjHtfIAGLnti6R … 続きを読む
m県外・参考 2月 25日 1977 【参考】200カイリ時代(S52.2.25中日ニュース) 日本では、漁業水域が国際的に確定するまでの暫定法として、独自に200カイリの排他的経済水域を定めた。 海の上では、ソ連と国境を接するわけで、いろいろあるわけである。 岩手県沖地とする遠洋漁船も無関係ではなかったかもしれない。 https://youtu.be/KD6omkJ-e-Q … 続きを読む
備考※1 7月 17日 1973 【参考】防衛二法が参議院で強行採決(昭和48年7月17日) 自衛隊が違憲であるかどうかの議論の中、「防衛二法」(自衛隊法、防衛庁設置法)が昭和48年7月17日、参議院で強行採決で成立。 https://youtu.be/5AvAbfjYJjE … 続きを読む
備考※1 3月 16日 1973 【参考】日本の歩み(S48.3.16中日ニュース) 終戦から昭和48年当時までの日本の歩み。 https://m.youtube.com/watch?embeds_referring_euri=https%3A%2F%2Fchunichieigasha.co.jp%2F&source_ve_path=MTY0NTAz&feature=… 続きを読む
備考※1 5月 15日 1972 【参考】沖縄返還 昭和47年5月15日、沖縄が日本に復帰。 ドルは円になる。 中日ニュースより。 https://www.youtube.com/watch?v=SbZb2skIaRw… 続きを読む
備考※1 11月 26日 1971 【参考】沖縄返還協定の強行採決(S46.11.26中日ニュース) 基地の核兵器をどうするとかそんな話を詰めないままで変換協定を結んだことで紛糾。 https://youtu.be/05khFgp27zc… 続きを読む
備考※1 6月 25日 1971 【参考】沖縄返還協定に調印(S46.6.25中日ニュース) この当時、沖縄はまだアメリカ世だった。 だから昭和43年の夏の甲子園で盛岡一高が興南高校に負けた時も、興南ナインはパスポートを持って甲子園に来ていたのだ。 https://youtu.be/U9VxDitglLw?si=l__S-YcmHq494ccp… 続きを読む
f科学技術・情報通信 11月 5日 1969 【参考】アポロ2号のアームストロング船長が来日(S44.11.5中日ニュース) 米ソ宇宙戦争の頃。 https://youtu.be/J-vtSdtpkeU… 続きを読む
備考※1 4月 5日 1968 【参考】米軍王子野戦病院問題(昭和43年4月5日) この時期、ベトナム戦争期であり王子に野戦病院建設という問題が起こっていた。 https://youtu.be/hCR3lhudgnE … 続きを読む
m県外・参考 1月 11日 1966 岩手日報の記者が見たベトナム戦争(昭和41年1月11日) 昭和41年1月11の岩手日報には、岩手日報の編集局長が自ら南ベトナムへ飛び、その様子を取材した様子を報じている。 この時期、ベトナム戦争は激化し、民間人への虐殺が相次いでいた。 Wikipediaに記述があるだけでも、以下のようなことが起こっている。 1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 12月 4日 1965 釜石・及新デパートがソ連東欧民芸品物産展示即売会を開催(昭和40年12月4日) 昭和40年12月1日の岩手東海新聞より。 釜石の及新デパートではソ連・東欧民芸品物産展示即売会を開催する。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 9日 1963 代議士は挨拶が大切(昭和38年9月9日) 昭和38年9月9日の岩手報知より。 広告欄には、地元選出の代議士・志賀健次郎が挨拶広告を出している。 第2次池田内閣では防衛庁長官を務めていた。 7月18日、池田内閣の内閣改造で防衛庁長官を退任し、その挨拶として9月から10月まで、一関市内にいることにしたのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12月 7日 1961 水沢の神社の屋根裏からピストルと銃弾を発見(昭和36年12月7日) 昭和36年12月11日の胆江日日新聞より。 12月7日、水沢市黒石町の岩手堰神社で屋根を修理していると、天井裏からピストル3丁と銃弾192発が発見された。 すぐに、水沢警察署に届けられれたが、これは14年式拳銃2丁とブローニング拳銃1丁であった。 神主も持ち主は全然知らないと言う。 おそらくは、終戦… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 26日 1959 釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) 昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。 この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 15日 1957 久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日) 昭和32年10月17日のデーリー東北より。 北京市長の招きで、「北日本港湾都市市長団」の三役として久慈市長も中国に行くこととなった。 それに対して、10月15日、市役所別館にて壮行会が150人を集めて行われた。 市長は「漁業、水産物の交易とコルホーズが中国ではどのようになっているかを見極めたい。また… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 14日 1957 安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) 昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1957 興安丸の引き揚げ家族が「初めての帰郷」(昭和32年5月28日) 昭和32年5月28日の岩手日報より。 戦後中国で結婚した日本人が、興安丸で一時帰国した。 特に、現地で生まれた子供は日本など初めてであり、緊張していたようだ。 … 続きを読む
l全県 5月 27日 1957 中国からの一時帰国者が急行「おいらせ」で帰郷(昭和32年5月27日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 終戦後も中国に居着いたままになっていた岩手県関係者が、急行「おいらせ」で帰宅するという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 ソ連の核実験で盛岡でも放射能が6665カウント(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報より。 ソ連の核実験が伝えられ、上空のジェットの風下にあたる日本でも、戦々恐々となっていた。 そのような中、盛岡でも6665カウントの放射能が観測されたのだと言う。 ちなみに、カウントとベクレルの単位については以下のページを参照。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 3日 1957 岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報) 広島の原爆から12年が経ったが、原爆症で療養している人は岩手にもいた。 原爆から8年が経過した昭和28年ごろ発病し、この時点で毎日輸血が必要な体になっていたのだという。 この時期、イギリスではクリスマス島で水爆実験を行うということが話題になっており、この抗議として「この体を見ろ」と取材に応じたもの。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 2日 1957 「八甲田山死の行軍」生き残りの水沢の男性が78歳で死去(昭和32年4月2日) 昭和32年4月2日の岩手日報より。 「八甲田山死の行軍」を、両足切断しながら生き残った水沢の男性が、78歳で肺炎で死去したという。… 続きを読む
m県外・参考 4月 28日 1956 北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日) 昭和31年4月29日の岩手日報より。 日ソ漁業交渉が難航する中、北洋サケ・マス船団はベーリング海に向けて函館を出港して行った。 この中には岩手県の漁船も多く含まれている。 ちなみに、日ソ漁業条約はこの5月に成立することとなった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 24日 1956 八甲田山死の行軍の生き残りの大工が厚生大臣表彰(S31.4.24岩手日報) 明治35年の「八甲田山死の行軍」で吹雪に見舞われながらも、両手の指と両足を失いながらも生き残った大工が厚生大臣表彰されることになったという。… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 23日 1956 北洋サケ・マス独航船が釜石や宮古を出発(S31.4.23岩手日報) この時期、ソ連が北洋漁業に関して制限を設けるなど、北洋漁業は緊迫した情勢になっていた。 そのような中を、釜石港や宮古港からサケ・マスの独航船が次々と悲壮な覚悟で出発をしていった。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 1月 24日 1956 岩手東部バス大船渡営業所で火災(昭和31年1月24日) 昭和31年1月25日の河北新報岩手版より。 1月24日の正午過ぎ、大船渡市の須崎橋にあった岩手東部バスの大船渡営業所で火災があり、35坪を焼いた。 ストーブの傍らのガソリンに引火したものらしい。 ただし昼間で発見は早く、モルタル建築で火が外部に漏れず、炎症を免れ、書類は外に持ち出していたことは不幸中… 続きを読む
m県外・参考 1月 22日 1956 アメリカ中古服大特売会。ただし仙台で(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 仙台の東殖百貨店で質流れ洋服とアメリカ中古服の大特売会を行うという。 やはり河北新報だけに仙台の広告がよく流れて来る。 アメリカ中古服の流通ルートはやはり苦竹の米軍キャンプだったのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 8日 1956 遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 後年、あんべ光俊の「遠野物語」で〽月夜の晩の福泉寺~と歌われた遠野市の福泉寺では、戦没者供養と戦災復興を祈願して、信者3000人の手により平和大観音像が慈眼寺の山頂に建立されることとなった。 高さは43尺(13メートル)であり、台座も含めると実に54尺(16.… 続きを読む