a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 11日 1950 盛岡で隠退蔵物資の大売り出し(昭和25年1月11日) 昭和25年1月12日の新岩手日報より。 盛岡市内では、1月11日に隠退蔵物資の大売り出しが行われたと言う。 それから、主婦が違う目を皿のようにして探し回っているわけだ。 … 続きを読む
l全県 1月 7日 1950 農家の皆さん!シャウプ勧告に基づいて青色申告をしないといけませんよ!(昭和25年1月7日) 昭和25年1月7日の岩手新報より。 シャウプ勧告に基づいて青色申告が始まるという広告。 … 続きを読む
l全県 7月 15日 1949 第二次引揚者は小学生を動員して青い旗で迎えましょう(昭和24年7月15日) 昭和24年7月15日の岩手新報より。 中国大陸からの第二次引揚者入港を前に、県引揚援護課の運動協議会では「留守宅では引揚者に手紙を書くよう呼びかけたが、岩手県が一番少ない。手紙には朱書きで県名と『留守宅通信』である旨書くこと」と呼びかけていた。 また、引揚者が駅に到着したときのために、日の丸ではなく… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 29日 1949 盛岡・穀町に子供達にお金をまく米人少女あらわる(昭和24年6月29日) 昭和24年7月1日の岩手新報より。 盛岡市穀町(現在の南大通)に、子供たちにお金をまくアメリカ人少女が現れたという。 その少女は名前も名乗らずにどこかへ消えたのだという。 これに対しGHQの岩手軍政部では「アメリカではいつものこと」とコメントした。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 6日 1949 釜石の艦砲射撃被害の大重油タンクが復活(昭和24年5月6日) 昭和24年5月6日の新岩手日報より。 釜石の大石油タンクは、艦砲射撃で損傷したままとなっていたが、このほど復活したのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 1日 1947 引き揚げ者援護のために歌謡コンクールやダンスパーテー(昭和22年12月1日) 昭和22年12月1日の新岩手日報より。 戦争が終わり、満州や朝鮮にいた人は引き揚げてきたわけだが、その経済的な貧窮は社会問題となっていた。 このために「角田屋事件」という誘拐事件まで起きたほどである。 これを憂慮してから、引揚者援護のために歌謡舞踊コンクールや大ダンスパーティーを開催すると言う事だっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 5日 1947 岩手県食酢統制組合・岩手県農機統制組合の解散公告(昭和22年4月5日) 昭和22年4月5日の岩手日報より。 戦時中の物価統制組合であった「岩手県食酢統制組合」と「岩手県農機統制組合」が解散公告を出している。 戦後2年が経過しようとしており、戦争遂行のために物価統制する必要が無くなり、活動実態がなくなっていた所、法人を解散していなかったので登記上も正式に解散しよう・・・と… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 8月 17日 1945 高村光太郎「一億の号泣」(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 この当時、高村光太郎は、岩手県花巻町の宮沢賢治の弟の家に疎開をしていた。 そこで終戦を迎えることとなり、新聞に詩を寄せたのである。 … 続きを読む
l全県 8月 17日 1945 さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) 昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 15日 1945 終戦、そのとき岩手では(昭和20年8月15日) 8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎える。 その時岩手はどうであったか。 岩手日報からその様子を抜き出してみたい。 盛岡工機部(国鉄盛岡工場)の大詔拝聴 仙台鉄道局盛岡管理部の終戦の勅語拝聴は、15日正午から盛岡駅貨物取扱所で行われた。 岩手日報の書きぶりをそのまま抜き出すと、 この日管内… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 15日 1945 新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8月 14日 1945 「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」 昭和20年8月14日新岩手日報には、こんな広告が出ている。 「去ル空襲ニ際シ工場被害軽微…」 広告の主は「東亜鉱工 ○○精錬所」 そもそも東亜鉱工ってどこの会社? と思ったらそれは現在のラサ工業らしい。 ラサ工業といえば宮古か。 軍需工場は機密上、どこそこにあるということを新聞などで言うことはできな… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 10日 1945 盛岡駅「乗車券発行制限で定期券の購入が増えたのはいいんですけど…」(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の新岩手日報より。 盛岡駅の統制官は言う。 「最近、乗車券の発行制限の強化で定期券の購入がやたら増えたのですが、その定期券購入所だって登録した役所とか病院に限ってますが、その申請書を出していないところが、特に盛岡に多いので支給申請してください。 これまでは申請が無くても特別に発行… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 10日 1945 扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(昭和20年8月10日) 昭和20年8月10日の新岩手日報の広告欄より。 「扶桑第六〇一工場」というところが従業員に呼びかけている。 どこの工場なのかはこの広告からは読み取れない。 現代語訳するとこんな感じだろうか。 離職したみんな、私たちは工場復旧と生産に奮闘している。 すぐに復帰してほしい。 今日勤務したかしないかは、明… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 12日 1945 上閉伊郡栗橋村では割当量の234%の松根油生産!(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 4~6月の第1期の松根油生産において、県下で最も優秀な成績をあげたのは上閉伊郡栗橋村で、割当量の実に23割4分の生産を達成したという。 これは、責任者が滅敵の闘魂を燃やして2里(8km)の道を、未明から夜の8時まで何があっても帰宅せずに奮闘したからであるという。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 7月 12日 1945 二戸郡福岡では松根油生産死守に「七人の侍」(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 石油の採れない日本では、「ガソリンの一滴は血の一滴」で、木炭ガスで自動車を動かし、松根油で飛行機を飛ばそうとしていた。 この状況であるにもかかわらず、二戸郡福岡町の松根油生産状況は芳しくない状況であった。 そこで、福岡町農業会長は二戸国民動員署にこの実情を訴え、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 12日 1945 地下壕で執務する盛岡管理部(昭和20年7月12日) 昭和20年7月12日の岩手日報より。 「警報下の地下壕で執務する盛岡管理部」とだけキャプションがあるが、どこの会社やら省庁やら判然としないが、「盛岡管理部」という呼称を明確に使用していたのは仙台鉄道局ではないだろうか。 … 続きを読む
l全県 7月 10日 1945 仙台鉄道局では7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」とする(昭和20年7月10日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 仙台鉄道局では、戦時体制の維持の為に、7月11日~9月10日を「極限的輸送力増強期間」と定めることにした。 これは、軍需省(昭和18年に商工省から改組)の定める重要資源と、食糧以外の輸送を極力抑制し、それ以外の貨物の受付を場合によっては拒絶するというもの。 また… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 10日 1945 代用食、代用醤油のレシピ(昭和20年7月10日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 前年の11月に東京から疎開してきた書道家は毛筆をあっさり捨てて、宮古翼壮松根油工場で働いているという。 その奥さんは、日々の食事のことを常に考えていた。 この際、嗜好本位を捨てて栄養本位で考えないといけない。 道端の草には食べられない草より食べられる草の方が多い… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1945 西磐井郡の学童の山菜採取成績(昭和20年7月8日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 西磐井郡の各国民学校の山菜採取状況は以下の通りであったという。 一関国民学校 303貫 油島国民学校 411貫 花泉国民学校 181貫 金沢国民学校 805貫 老松国民学校 175貫 弥栄国民学校 291貫 萩荘国民学校 201貫 厳美国民学校 1011貫 山目… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 6日 1945 水沢では灯火管制の反則36件(昭和20年7月6日) 昭和20年7月10日の岩手日報より。 水沢警察署では、水沢町内の灯火管制の状況を点検したら、36件の反則があった。 電球に直接覆いを掛けているもの 片側だけ遮光しているもの 全く遮蔽をせずに雨戸だけ閉めているもの このために電球40個を押収した。 反則者は疎開者が多かったという。 言い訳としては「資… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 2日 1945 宝くじのルーツは戦時中の「勝札」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 盛岡煙草販売組合では、「7月攻勢」の目標に、①アルミ貨回収、②勝札売り捌き を決定した。 ①アルミ貨回収というのは、当時の10銭以下の小銭がアルミニウムでできていたところ、戦闘機の製造にアルミニウムが不足していたので貨幣は錫で製造することとし、アルミニウムの小銭は… 続きを読む
l全県 7月 2日 1945 県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 木炭の需要はいやがうえにも高まっていた。 家庭用に使うだけではなく、自動車を動かす、製鉄用の燃料といった用途でも使うようになっていた。 昭和20年度の生産目標は1114万俵となっていた。 そこで、7~8月を「緊急築窯期間」と定め、増産を図ることとした。 窯の増設に… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 29日 1945 釜石憲兵分隊「灯火管制を守らなかったり、裏山に逃げ回ったり、何たる不心得!」(昭和20年6月29日) 昭和20年7月2日の岩手日報より。 6月29日夜、釜石に敵機の偵察があったのだという。 ところが、その時に灯火管制を守らず注意された家は20戸、始末書を取られたのが16戸あったという。 中には「暑い」と言って雨戸を開放して消灯しており、いざという時に思わず点灯してしまうという家もあったという。 そう… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 10日 1945 盛岡空襲 昭和20年3月10日、東京大空襲と同じ日に盛岡でも空襲があった。 翌3月11日の岩手日報では、裏面のトップでそれほど大きい扱いではないが、「本県に醜翼をあらわし盲爆を落とし、あわてふためきながら海上に脱去した」と、あくまで敵を醜悪に表現することにこれ努めたている。 「それでも市民は戦った」と、被害状… 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 12月15日以降白金を所有している人は罰金か懲役ですよ!供出しましょう!(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 戦局は逼迫しており、白金の供出に迫られていた。 それで、「12月15日以降の白金の所有者は懲役10年以下か罰金500円以下」になるというのである。… 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 東北配電より電灯用電球の配給に関するお知らせ(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 当時は電気事業は「東北配電」であった。 そして電球も配給制だったようである。 その旨のお知らせ。 … 続きを読む
l全県 12月 1日 1944 防寒着や飛行服のためにヌートリアを飼育しましょう!(昭和19年12月1日) 昭和19年12月1日の新岩手日報より。 広告欄には飛行服のためにヌートリアの飼育を奨励する広告。 ヌートリアは良質の毛皮になるので、飛行服や防寒着用に飼育を奨励されていた。 しかし、平成以降は「特定外来種」として農作物を食害する害獣として忌避されることになる。 人間の罪深きことよ・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1944 盛岡工機部で働く21歳女性の発明(S19.8.3新岩手日報) 盛岡工機部(のちの国鉄盛岡工場)で働く21歳の女性が、ワイヤー曲げの機械を発明したという。 これで、手作業が大幅に自動化されたのだという。… 続きを読む