軍事

盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日)

昭和19年8月1日の岩手日報より。 この時期、尋常小学校や高等小学校は「国民学校」に名を変えており、下の橋のたもとにある盛岡高等小学校は昭和15年に「盛岡国民学校」に名前を変えていた。 この盛岡国民学校を卒業し海軍予科練習生となっていた5名が、7月31日に母校に里帰りしたのだ。 今でいえば「ホームカ…
⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報) a盛岡・岩手郡・紫波郡

⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営する早稲田大学学徒(S18.12.1新岩手日報)

この年の10月21日、東京の明治神宮では学徒出陣壮行式が行われた。 岩手日報でも、早稲田大学の学生が郷土の連隊に入隊したということが報じられているが、「⚪︎⚪︎市出身で郷土⚪︎⚪︎部隊に入営した早稲田大学学徒が八幡宮にお参り」とは行っても、この当時県内で市制していた市(盛岡・釜石・宮古)で軍隊も八幡…
外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日)

昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡…
電話供出に赤誠(昭和18年4月4日) l全県

電話供出に赤誠(昭和18年4月4日)

昭和18年4月4日の新岩手日報より。 国家総力戦の下、重要生産場面の重点要求に応じて、仙台逓信局では、2月16日から管内重要局に呼びかけて、不要不急の電話の供出運動を開始した。 3月31日をもって締め切ったが、105個と言う好成績に達した。 仙台39 塩竈9 青森13 八戸3 盛岡4 秋田13 山形…
大迫からは指人形を前線へ(昭和18年4月2日) f花巻・稗貫郡

大迫からは指人形を前線へ(昭和18年4月2日)

昭和18年4月4日の新岩手日報より。 稗貫郡大迫町では、北方前線で敵である米国の撃滅に戦闘をしている皇軍に指人形を送って慰問しようとしていた。 国民学校では指人形を作り、婦人会では衣装を作ったと言う。 そして4月2日に600個が出来上がり、町役場に持ち込まれたので、街では近日中に荷造りをして盛岡連隊…
ノモンハン事件で戦死した釜石市出身勇士の遺族に皇后陛下が御下賜品(昭和17年1月24日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

ノモンハン事件で戦死した釜石市出身勇士の遺族に皇后陛下が御下賜品(昭和17年1月24日)

昭和17年1月15日の岩手日報より。 満蒙国境で展開されたノモンハン事件で戦死した日本兵は7000人とも9000人ともいわれている。 この戦死者に対し、釜石市出身者遺族に1月24日、盛岡の県庁本庁舎で御菓子と御歌複本の伝達式が行われるという。 対象者は14名であった。     &…
日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日) l全県

日独伊軍事協定が成立し、岩手県下でも新たな感激(昭和17年1月20日)

昭和17年1月20日の岩手日報より。 見出しは「日独伊軍事協定成立の快報 県下に新たな感激」と題し、「待望の日独伊軍事協定がベルリンに於いて調印された」とのことで、「我が方参謀部長ならびに軍令部長の名を以て代理者がこれを行った巡潜たる軍事協定で・・・」とのことであった。 これは、1月18日に調印され…
郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) l全県

郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日)

昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし…
大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日) l全県

大政翼賛会&岩手殖産銀行「皇紀2602年、皇軍に感謝して献納しよう!」(昭和17年1月16日)

昭和17年1月16日の岩手日報より。 大政翼賛会のマークも高らかに献納を呼び掛けている。 「一億のどよめく勝鬨にあけた皇紀二千六百二年」とあるが、これは前年12月8日の真珠湾攻撃のことだろうか。 「この戦果に酔ってはいけない」とはいうものの、すでに諸々の配給は滞り始めていたのである。 むしろ「戦果に…
東磐井郡黄海青年団「ゴム靴不足を訴えるより、ゴム靴依存を排撃しよう!」(昭和17年1月11日) j東磐井郡

東磐井郡黄海青年団「ゴム靴不足を訴えるより、ゴム靴依存を排撃しよう!」(昭和17年1月11日)

昭和17年1月15日の岩手日報より。 アメリカとも戦争が始まり、物不足はより深刻化していた。 それで、ゴム靴の配給も不足がちになっていったが、ゴム靴を要求するわけではなく「ゴム靴依存を排撃すべきだ!」と、東磐井郡の黄海青年団は1月11日~15日の間、藁加工練成会を開催し、ツマゴ、ユワケ等の藁靴の製作…
岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手公園の鶴ヶ池で少国民の群れがスケート(昭和17年1月7日)

昭和17年1月7日の岩手日報より。 記事では「銀板上に嬉々としてたわむれる少国民の群・・・」と記述してある。 岩手日報の本社からすぐ目の前の岩手公園の鶴ヶ池にヒマ種を探しに来たのだろうか。 「次代の東亜共栄圏を背負って立たなくてはならぬ少国民よ、そうだその元気を失わず寒さにもめげぬ強い身体と強い心を…
第77回臨時帝国議会(決戦議会)を終わって県選出議員の所感 m県外・参考

第77回臨時帝国議会(決戦議会)を終わって県選出議員の所感

この時期、日中戦争のさなかであったが、アメリカが日本から満州や中国戦線から手を引かせようとしていた。 これを日本は「アジアのやっていることに欧米列強が首を突っ込んできた。どうせアメリカだって同じことをしようとしているくせに」と国民全体に不満が鬱屈していた。 第77回臨時帝国議会は「決戦議会」と呼ばれ…