m県外・参考 1月 16日 1976 【参考】羽田空港の北側に水鳥の楽園(S51.1.16中日ニュース) 羽田空港の北側は、大井ふ頭と言う埋立地止まっていたが、そこにできた沼地が水鳥の楽園となっていたと言うニュース。 https://youtu.be/d-Vwwr-BRI0 … 続きを読む
備考※1 3月 22日 1974 【参考】高速道路で問われる環境権(S49.3.22中日ニュース) 神奈川は山梨では高速道路の建設が環境問題に。 https://youtu.be/UVCYr0QVk3Q… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3月 19日 1973 広田湾開発は漁民の反対で棚上げ(S48.3.19) 広田湾埋め立て工業開発計画は、陸前高田市と岩手県が共同で進めた産業振興策でしたが、漁民ら地元住民の強い反対により計画が一時停止されました。埋め立てによる漁場消失や環境汚染への懸念から、漁業団体を中心に反対運動が広がり、最終的に県は計画の規模縮小や無公害企業誘致を含む修正案を提示しました。しかし、「海… 続きを読む
l全県 1月 26日 1973 政府が「土地対策要項」策定(S48.1.26) この時期は、急速な土地ブームによって岩手県を含む日本の地方が影響を受けました。 高度経済成長期、インフレの影響や「日本列島改造論」によって、大手資本や土地ブローカーが土地投機や買い占めを進め、公共用地や住宅地の需要が高まったことで地価が急騰しました。 特に、盛岡市周辺では宅地や工業用地の価格が大幅に… 続きを読む
備考※1 4月 25日 1968 【参考】東名高速道路が開通(昭和43年4月25日) まずは東京~厚木、富士~静岡、岡崎~小牧が部分開通。 https://youtu.be/xngGGlknnZU … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 20日 1967 釜石市内に残る3つの難所(昭和42年11月20日) 昭和42年11月20日の岩手東海新聞より。 国道45号線は改良工事が進んでいたが、交通量はそれ以上に増大していた。 釜石市の繁華街での国道では、難所は3カ所もあって、市民の不安は広がっていたと言う。 陸橋でバイパスを作って市街地を一跨ぎさせてはと言う計画も、10億円とも20億円とも言われる膨大な事業… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 14日 1967 国道45号線古廟トンネルが年内に完成(S42.11.14岩手東海新聞) 国道45号線の釜石と大槌を結ぶ古廟坂トンネルが昭和42年内に完成するという。 それまでは、釜石と大槌の間は室浜を経由する曲がりくねった道だった。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1967 釜石・中妻都市計画の西銀座街の舗装化が始まる(昭和42年11月4日) 昭和42年11月4日の岩手東海新聞より。 釜石駅の西側となる中妻の都市計画の中心となる地域の幹線道路の舗装作業が始まった。 この幹線道路は、及新マートを中心とした中妻都市計画の目であり、これが完成すれば、八雲小学校の前の保留地処分何個も一定の解決を見ると言うことを期待されていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 14日 1967 釜石の五ノ橋が新橋に切り替わります(昭和42年3月14日) 昭和42年3月14日の岩手東海新聞より。 釜石駅と小佐野方面を結ぶ五ノ橋が新しくなり、その工事期間中は水道の水圧が下がるので注意、と。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1967 釜石・中妻土地区画整理事業の保留地処分(昭和42年3月1日) 昭和42年3月1日の岩手東海新聞より。 釜石市では、中妻地区の土地区画整理事業の保留地処分を行う旨の広告を出した。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 11日 1967 釜石〜大槌の国道45号線にはトンネルが11もあった(昭和42年1月11日) 昭和42年1月11日の岩手東海新聞より。 鳥谷坂トンネルや古廟坂トンネル開通前の国道45号線の釜石〜大槌間にはトンネルが11もあったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1967 昭和42年は国道45号線開発の年(昭和42年1月1日) 昭和42年1月1日の岩手東海新聞より。 岩手東海新聞の新春号は、国道45号線開発の槌音を高らかに報じている。 まだ釜石〜大槌間の鳥屋坂トンネルも古廟坂トンネルも開通前の旧道であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1966 国道45号線鳥谷坂トンネルの工事順調(昭和41年11月4日) 昭和41年11月4日の岩手東海新聞より。 沿岸部の大動脈である国道45号線の、釜石から北側を結ぶ鳥谷坂トンネルの工事は順調であった。 それまで、釜石から大槌方面に出るには橋上市場のところの大渡橋から甲子川沿いに北上し、曲がりくねった道を女遊戸を経由していなければならなかったのだ。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1966 日本初の商用地熱発電所・松川地熱発電所が運転開始(昭和41年10月8日) IBC「いわてアーカイブの旅」第223回より。 松川地熱発電所は日本で初めての商用ベースの地熱発電所。 現在は東北電力系列の「東北自然エネルギー」が運営している。 地熱発電は原子力発電と違ってクリーンなエネルギーで、発電量もそれなりに大きいのであるが、「国立公園を開発できない」「温泉旅館経営者の反対… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 13日 1965 厨川駅に西口出入口を(昭和40年10月13日) 昭和40年10月13日の岩手日報より。 盛岡駅の隣である厨川駅は、東側にしか駅舎はなく、西側に住む人は2キロ以上遠回りしなければいけなかった。 この年、都市化が進んで住宅や工場も増え、西口の需要は高まっていた。 その上、昭和45年には岩手国体も予定されており、県営陸上競技場が観武地区にできると言う時… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1965 釜石市の失対事業で呑んべ横丁も舗装へ(昭和40年3月3日) 昭和40年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石市は、失対事業として、各地の道路舗装することにした。 その中には、製鉄所の近くののんべ横丁も入っていた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 16日 1965 江刺市内で舗装道路は水沢に行く県道だけ(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 「まちの真空地帯」というシリーズものの記事で、10回目のこの回では江刺市を取り上げている。 昭和33年11月に市制してすでに6年となっていたが、舗装した道路はといえば水沢に抜ける県道だけで、それ以外が全部舗装していなかったというのである。 このため、市内の川原町… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 10日 1964 大槌漁港埋立地の利用計画(昭和39年9月10日) 昭和39年9月10日の岩手東海新聞より。 大槌漁港の埋立地は、使用計画がまるで定まっていなかったが、このほど、水産センター等の建設が決まったのだと言う。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 1日 1964 広くなった宮古駅前広場(S39.9.1岩手東海新聞) 宮古駅前広場は、土地収容の問題で長いこと裁判沙汰になっていたようだ。 しかしそれが解決し、広くなったという。 駅前には県北バスが群れをなしている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 3日 1964 釜石のメインストリート・浜町はジグザグで危険(昭和39年6月3日) 昭和39年6月3日の岩手東海新聞より。 釜石のメインストリートである浜町は、この当時、戦災復興補助の打ち切りで、メインストリートがジグザグな状態になっており、危険であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 13日 1964 そのうち花巻空港も開港するから釜石に行く県道も舗装して(昭和39年1月13日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 4月の花巻空港の階高を控え、花巻と釜石を結ぶ主要県道も舗装してほしいと議員に要請した。 当時は、舗装した道自体が珍しかったのだ。 … 続きを読む
l全県 1月 1日 1962 新産業都市の指定に向けてスタートの1年(昭和37年1月1日) 昭和37年1月1日の岩手日報より。 この年は、「新産業都市」えの指定に向けて、動き出そうとしていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 29日 1961 「通学路のない学校」釜石・八雲小学校で(昭和36年4月29日) 昭和36年4月29日の岩手東海新聞より。 釜石の八雲小学校は「通学路のない学校」と言われていた。 雨が降ると学校の裏の下水があふれだし、学校の前に汚水があふれるという非常に不衛生な状態となっていた。 そこで、八雲小学校の父兄が通学路となる道に土俵を並べて通学路とすることにした。 釜石市でも中妻地区の… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 8日 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 8日 1960 一ノ関駅の改修計画(昭和35年7月8日) 昭和35年7月8日の岩手報知より。 一ノ関駅には改修計画があり、国鉄側から設計図は出ていたが地元側の敷地計画が未完成という状況だった。 ちなみに一ノ関駅の駅舎は、この記事から10年後の昭和45年に完成している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 釜石・中妻地区を緑の理想都市に(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この当時、釜石駅の西側の中妻地区は、新聞の表現をそのまま借りれば「釜鉄ビル住宅、ハーモニカ長屋の間に無計画にひしめき合うスラム街」だったのだと言う。 これを、5年後には近代都市として再生させようと言う計画であった。 釜石市が都市計画区域11万坪、2億9000万… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1960 10年後の釜石の未来図(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 昭和35年の元旦を記念して、「10年後の釜石の理想図」と言う記事が出ている。 それを、釜石市都市計画課の23歳の職員に聞いてみたのである。 まずは、工業都市として、人口増加をどうするか、また観光客の楽しめる都市としての名を轟かせようと言うことであった。 また、工場… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8月 22日 1959 仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) 昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 12日 1959 人口増加する釜石では山を切り崩して住宅地に(昭和34年6月12日) 昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 製鉄所や鉱山で賑わう釜石は人口増加していたが、いかんせん平地は少なく、住宅は山でも切り崩さないと建てることはできなかったのである。 それで、釜石高校の向かいの山を切り崩して住宅を造成していた。 釜石市の住宅地は、甲子川沿いにどんどん上がっていっているようだっ… 続きを読む