釜石市内に残る3つの難所(昭和42年11月20日)

昭和42年11月20日の岩手東海新聞より。

国道45号線は改良工事が進んでいたが、交通量はそれ以上に増大していた。

釜石市の繁華街での国道では、難所は3カ所もあって、市民の不安は広がっていたと言う。

陸橋でバイパスを作って市街地を一跨ぎさせてはと言う計画も、10億円とも20億円とも言われる膨大な事業費が必要なので簡単には着手しない様子だった。

【第1の難所】釜石の橋上市場に並ぶ大渡橋を渡って、釜石駅とは逆方向の左側にカーブを切って松原方面に向かう場合、角度が110度あってきつすぎた。

角度が110度あってきつすぎた。

また、このガードから100メートル位のところに釜鉄専用線があり、ここに何台ものトラックや大型バスが停車することも考えられ、釜石製鉄所の従業員の通勤や作業に必要な出入り口でもありあった。

【第2の難所】釜石商業高校から嬉石方面に下ると、市道との交差点があるが、非常に狭いカーブとなっており、大型のバスやトラックをどのようにすれ違いさせるかと言うのが問題になっていた。

また、この前年には子供が事故死すると言う痛ましいことも起こっていた。

昭和45年に予定されていた国体でも、支障になりそうだとして頭を抱えていた。

【第3の難所】大槌や鵜住居方面からの国道45号線鳥谷坂トンネルで釜石市内に入る時、釜石市内のメインストリートに出る方人口のところの交差点はちょうど90度であり、大型車が通るのに支障が発生していた。

釜石小学校や釜石第一中学校など、学校も近く、常に事故の危険にさらされていた。

 

 

 

 

 

 


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