j東磐井郡 9月 7日 1958 東山村に岩手セメント工場が10月に落成(昭和33年9月7日) 昭和33年9月7日の岩手報知より。 この年の10月10日、東磐井郡東山村では岩手セメント工場の落成祝賀式を予定していた。 岩手セメント工場は、東北開発株式会社が20億円を投じて完成させた。 鉄筋コンクリートの工場では、300人の工員が日夜生産に励んでいると言う。 10月10日の落成式では、東北開発株… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 28日 1957 久慈の川崎製鉄が西独クルップ社と提携へ(S32.10.28デーリー東北) 久慈の川崎製鉄が、西ドイツのクルップ社と提携するのだそうで、近く工場長が西ドイツに渡航するという。… 続きを読む
l全県 5月 27日 1957 三菱ミシンから2つの贈り物!(S32.5.27岩手日報) 三菱ではミシンも製造していたようだ。 それで広告を出している。 岩手県内でも各地に販売店があったようだ。… 続きを読む
hスポーツ 1月 4日 1957 一関はバトミントンラケットの主要な生産地(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報より。 一関は、須川岳のブナ材によるバトミントンラケットの生産が盛んだったようである。… 続きを読む
l全県 1月 4日 1957 県内の鉱山業各社から新年のご挨拶(昭和32年1月4日) 昭和32年1月4日の河北新報岩手版より。 県内の鉱山業各社がまとめて新年のご挨拶。 令和4年現在現存するのは… 一応松尾鉱山以外は全部あるのか? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 2日 1957 岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) 昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 2月 4日 1956 釜石製鉄所の運動部がトレーニング開始(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県の実業団スポーツの雄と言うと、なんといっても釜石製鉄所だった。 その釜石製鉄所の各運動部がトレーニングを開始することとなった。 水泳では、鈴子に温水プールがあった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 1日 1956 国際港としてのびゆく釜石港(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報岩手版より。 釜石製鉄所の昭和30年の輸出総額は16万トンで70億円であった。 新春そうそうの1月2日には、日本商船の興名丸(7000トン)が釜石に入港し、アルゼンチン向けにスラブやビレットを積み出すという。 また、松岡開運の松福丸(6890トン)もまた、アルゼンチン向けにビ… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 8日 1955 ブラジルから「岩手県人を」と指名で求人(昭和30年6月8日) 昭和30年6月8日のデーリー東北より。 久慈職業安定所に、6月8日、ブラジル行きの工業技術者皆が欲しいと求人依頼が舞い込んだ。 これは、岩手県出身で、この記事の現在ではリオデジャネイロでブラジル特産の宝石や貴金属製品を送り出している滞米40年の実業家によるものだった。 特に忍耐強い岩手県人を10名を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1954 サイダーのかき入れ時は花見のシーズン(昭和29年3月30日) 昭和29年3月30日の岩手日報より。 盛岡市内のサイダー工場は、花見のシーズンに向けて書き入れ時であるという。 ちなみにこの年の盛岡の桜の開花は4月19日(気象庁ホームページより)。 また、「ラムネ」と「サイダー」の違いは、サントリーのホームページによれば以下のとおりであるという。 ラ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 2日 1953 一関・中央通りは舗装工事中(S28.11.2岩手日日) 一関市役所に近い中央通りは舗装工事中であったようで、その中央通りに面した一関自動車工業へは裏から入ってほしいという広告。 ちなみに、令和5年現在、同社は同じ場所にあるようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1952 南部鉄瓶の名工が一家心中(昭和27年9月16日) 昭和27年9月16日の岩手日報より。 南部鉄瓶の名港で知られた男性の一家が無理心中したという。 おそらくは病気を苦にしてではないかという憶測。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 9月 15日 1952 浪打村の鳥越を竹細工の一大名産地にしよう(昭和27年9月15日) 昭和27年9月15日の岩手日報より。 令和4年現在は一戸町となっている二戸郡浪打村鳥越地区では、竹細工が伝統的に行われており、それがにわかに中央で脚光を浴びだしたのだという。 そこで、工業技術院から講師を呼んで、それまでの武骨な実用本位のものから高級工芸品として売り出すようにしよう、ともくろんでいた… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 8日 1952 東北・北海道中小企業工芸振興展 1952年9月8日の岩手日報より。 北海道・東北・新潟の産業工芸品を一堂に集めて東北・北海道中小企業工芸振興展が、10日~16日まで県立美術工芸学校と県商工館で開かれるという。 戦後に岩手県内で開催された展示会としては最大のものになるということで、5000点の出品数でにぎわうこととなった。 この時点… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1952 南部鉄瓶も「Made in Occupied Japan」(昭和27年9月3日) 昭和27年9月5日の岩手日報より。 後年「岩手県東京事務所」となる東京物産あっせん事務所に、アメリカはサンフランシスコの日系人から「南部鉄瓶50個」の依頼が舞い込んだ。 値段は東京渡しで700~2000円止まりという。 アメリカでは鉄瓶は日常使わず、飾り物にするのだという。 当時であれ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1952 富士鉄釜石製鉄所が十勝沖地震のお見舞いお礼 昭和27年3月7日の河北新報より。 十勝沖地震は3月4日発生。 釜石製鉄所ほどの大規模な事業所になると仙台方面の付き合いも多かったのだろう。 それで河北新報にも広告となったようである。 富士製鐵は昭和25年の財閥解体で、それまでの日本製鐵が富士製鐵と八幡製鉄に分割されて発足。 昭和45年には再び八幡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 7日 1952 仙北町駅の前にトロッコメーカーがあった(昭和27年1月7日) 昭和27年1月7日の岩手新報より。 仙北町駅前のトロッコメーカーが広告を出している。 仙北町西浦地という現存しない町名となっているが、仙北町駅の裏あたりだろうか。 現在でこそ住宅地が広がっているが、昭和の末頃まで工場などがあった記憶はあるのだ。 … 続きを読む
m県外・参考 4月 14日 1951 輸出向けの「清酒の缶詰」(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 岩手で清酒の話題というので岩手川?酔仙?と思ったら神戸の灘だという。 まあ岩手県内のローカル新聞に掲載された話題ということでお許しいただきまして・・・ ともかくも灘では、輸出向けに「清酒の缶詰」を製造するという。 これまで技術的に不可能だったのは、缶の内部… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 31日 1951 刑務所製品の靴や家具は安価でお勧め(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 刑務所内の作業場の労働力は安価であることから、家具や靴は盛岡市内で一番安く安サラリーマンにはお勧めだという記事。 ただし、革の割り当てが少なく「お客さん歓迎」とはいかないようであった。 … 続きを読む
j東磐井郡 1月 12日 1950 東磐井郡の「糸姫」は業界不況で求人激減(S25.1.12岩手新報) 岩手県内有数の繭所として知られていた東磐井郡は、女性は嫁入り前に他の地方に製糸工場に働きに出るようになっていたようだ。 ところが、この時期は業界不況で、全国からの「糸姫」の求人に少なくなっていたようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 9月 1日 1949 電信機は花巻から!新興製作所(昭和24年9月1日) 昭和24年9月1日の岩手新報の広告欄より。 商品の広告というよりは企業広告に類するものであるが、花巻の新興製作所の広告。 後年、テレプリンターで国内トップのシェアを誇ることになる。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5月 6日 1949 釜石の艦砲射撃被害の大重油タンクが復活(昭和24年5月6日) 昭和24年5月6日の新岩手日報より。 釜石の大石油タンクは、艦砲射撃で損傷したままとなっていたが、このほど復活したのだという。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 5月 2日 1949 県産業発展のため「クニカ石鹸」御愛用を!(昭和24年5月2日) 昭和24年5月2日の新岩手日報より。 広告欄には、「岩手県産業発展のために是非御愛用を!」と、「クニカ石鹸」という広告が出ている。 このメーカーの東北化学工業は、戦時中に黒沢尻にあった軍需企業「国産軽銀」の後身であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1948 マッチが自由販売になります!(昭和23年9月16日) 昭和23年9月21日の岩手新報の広告欄より。 9月16日からマッチが自由販売になるという。 そもそも、マッチは自由に販売できるものではなく、米のように配給制だったのである。 戦後しばらくたっても生活必需品として統制品となりつづけていた。 中には「闇マッチ」まで高値で売られたほどであるという。 しかし… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 16日 1948 釜石製鉄所の工員募集!(昭和23年9月16日) 昭和23年9月16日の岩手新報より。 釜石製鉄所では行員を募集している。 当時は財閥解体前なので「日本製鉄」。… 続きを読む