i一関・西磐井郡 7月 13日 1958 一関の自転車店「タイヤ400円!チェーン200円!」(昭和33年7月13日) 昭和33年7月13日の岩手報知より。 一関市内の自転車店では開店10周年を記念したセールをおこなっていた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 6日 1958 一関・相川屋ではプリントヤール95円!(昭和33年7月6日) 昭和33年7月6日の岩手報知より。 一関の老舗呉服店・相川屋では夏の大売出しをやっている。 プリントヤール95円という価格。 この鮎川屋、平成27年(2015年)に閉店したのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 一関・北海道屋の雪印アイスクリームは1個10円から!(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 一関の「北海道屋」とは卸業者だろうか。 80円の「フルーチス」とはどんな高級なものだったのか気になるところ。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 冷風麺は「冷芙麺」と書く?(S33.7.4岩手報知) 管理人が子供の頃、夏になるとよく「冷風麺」が出てきたが、あれは岩手独特の表現であり標準語的には「冷やし中華」らしい。 ところが、昭和33年7月4日の岩手報知で出ていた広告ではこれを「冷芙麺」と表記していた。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関・金光堂のソフトクリームは30円(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関の金光堂という喫茶店?のソフトクリームは30円とのこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 15日 1958 ナイトスポット「ソシュウ」オープン 昭和33年5月15日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡の菜園に「ソシュウ」というナイトスポットがオープンするという。 ナイトスポットというのは・・・現在(というか後年)でいうグランドキャバレー的なものだろうか。 昭和40年代の岩手日報では「ソシュウに○○という芸能人が来ます!」という広告がよく見… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 23日 1958 岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) 昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1958 いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス 昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。 いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1958 大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ? … 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 亀を売りましょう! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 仙台市内の卸売業者であるが「亀を売りましょう!子供さんが喜びますよ!」と。 令和の今だと、このような売り方をしていると「命を『面白く売れる』とは何ごとですか!」などと、動物愛護的な所からクレームが来かねない調子のような気がする。 でもこの時代は昭和33年… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
m県外・参考 2月 23日 1958 八戸・丸美屋の決算期棚ざらえセール!(昭和33年2月23日) 昭和33年2月23日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋では決算期棚ざらえセールを行うという。 純粋に青森のニュースではあるが、久慈や軽米あたりからは買い物に行ったかも知れないので。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 12日 1958 痔(ガッチャキ)はなおる!(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 デーリー東北は北奥圏(一戸~九戸までX戸と付く地域)全体の新聞であるとは言え、やはり青森の新聞でる。 「痔」などと言われても青森の人には理解できるわけはないので、ちゃんと「ガッチャキ」をと入れるわけです。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 4日 1958 久慈市内各店舗の年始広告(昭和33年1月4日) 昭和33年1月4日のデーリー東北より。 基本的に、デーリー東北の広告は八戸市内の企業や店舗の広告であるが、たまには久慈市内の企業の広告も出るものである。… 続きを読む
m県外・参考 1月 1日 1958 漢詩で新年を寿ぐやたら教養の深い八戸のキャバレー(昭和33年1月1日) 昭和33年1月1日のデーリー東北より。 七言絶句となっているが韻をふんでいるかは不明。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 26日 1957 千代田生命一関支部江刺出張所では職員募集!(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 千代田生命一関支部江刺出張所では職員を募集している。 初任給は4千円。 というか、江刺支部って中心部の岩谷堂じゃなくて田原にあったの… … 続きを読む
m県外・参考 10月 8日 1957 八戸・丸美屋の布団綿入れ実演会!(昭和32年10月8日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋デパートでは布団の綿入れ実演会を行うという。 この時期の1000円というのがどのくらいかは分からないが… … 続きを読む
m県外・参考 10月 3日 1957 東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 広告欄の一番下には三八五運送の広告。 この時期から既に東京までトラックで運んでいたのだろうか? 国道4号線すら「酷道」と呼ばれ、舗装すらされていなかった時期である。 ちなみに岩手県内で出てくる地名は一ノ関、水沢、盛岡、軽米、大野、久慈、種市。… 続きを読む
m県外・参考 10月 1日 1957 八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日) 昭和32年10月1日のデーリー東北より。 八戸のキャバレーは「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」と。 この時期は、話し言葉もこんな「てよだわ調」だったのだろうか。 デーリー東北なら岩手県でも久慈や二戸ぐらいなら購読者がいる。 何かの用事で八戸に行ったついでに寄った人もいたかもしれない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 15日 1957 岩谷堂(江刺)はまた味噌の産地でもあった(昭和32年9月15日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺の中心地・岩谷堂といえば「岩谷堂羊羹」「岩谷堂たんす」で知られるが、味噌でも有名だったようである。 それで味噌の広告が3社連名でだされている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 15日 1957 改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞の広告欄より。 この時期は電気炊飯器など一般的ではなかった時期なので、普通にかまどが広告を出している。 これは無煙かまどだそうで、いわく「仁徳天皇の故事も古くなりました」という。 仁徳天皇の故事とは? それは、仁徳天皇が町を見渡すと家々のかまどから煙が立っていない。… 続きを読む
l全県 5月 30日 1957 ナショナル洗濯機「愛妻号」は20,000円!(昭和32年5月30日) 昭和32年5月30日の岩手日報より。 広告欄にはナショナル洗濯機の「愛妻号」。 岩手県内のどこそこの電器店が出していたという広告ではなく、松下電器が直接出していた広告。 「愛妻号」自体は平成まで製造していたのではないだろうか。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 27日 1957 使いよい電話台は盛岡・呉服町の「アカザワ号」で(昭和32年5月27日) 昭和32年5月27日の岩手日報の広告欄より。 電話台「アカザワ号」の広告が出ているが、注目すべきは黒電話がダイヤル式であること。 当時、盛岡の電話はダイヤル式ではなく「共電式」という、受話器を上げれば電話局の交換手につながるという方式であった。 この年の8月からダイヤル式自動電話が導入されるのだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 26日 1957 ぐんと安い!松屋デパートの大特売会(S32.5.26岩手日報) 盛岡の松屋デパートの広告より。 この当時の物価は、以下のようになっていたようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 22日 1957 1,500円の二眼カメラ「ミューズフレックス」(昭和32年4月22日) 昭和32年4月22日の岩手日報の広告欄より。 仙台のコセキカメラは盛岡にも支店があり、岩手日報にも広告を出していた。 当時の大衆的二眼カメラ「ミューズフレックス」は、1,500円で買うことができた。 ミューズフレックスとはどのようなカメラであったか? 以下のページに概略が書いてある。 いわく「子供の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 川徳デパートではエスカレーターができました!大特売会します!(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 令和の今にあってもなお盛業中の川徳デパートは、現在の菜園ではなく昭和55年まではホットライン肴町の入り口の「ななっく」(2011年以前であれば「中三」)の場所にあった。 管理人もうっすらその時代を覚えている。 昭和31年に建てられたばかりの地下1階、地上… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 19日 1957 盛岡市内の反物屋の広告「倍ヤールサービスしますよ!」(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡市肴町の商店街の反物屋の広告は「倍ヤールサービスしますよ!」。 ヤールとはヤードがなまったものであるといい、繊維業界で使われていた。 令和の現在でも「ヤール」と言って通用するだろうか。 というか、反物から服を作るという習慣そのものが一般的ではなくなっ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 3日 1957 ザァマス眼鏡を買うなら盛岡の水晶堂ざます 昭和32年4月3日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の水晶堂時計店は令和となった今でも中の橋通り(バスセンターと岩銀中の橋支店の中間ぐらい)で盛業中でCMも出しているが、この当時に広告に出ているのはいわゆる「ザァマス眼鏡」。 トニー谷の全盛期でもあったざんす。 ・・・いや、昭和32年(19… 続きを読む