林業・製炭業

松尾村で全国育樹祭(S59.10.15) a盛岡・岩手郡・紫波郡

松尾村で全国育樹祭(S59.10.15)

第8回全国育樹祭は、昭和59年10月15日に岩手県松尾村で皇太子ご夫妻を迎え、約9,000人が参加して開催されました。式典では、10年前の全国植樹祭で植えられた南部赤松の手入れが行われ、参加者全員が緑豊かな郷土づくりを誓いました。皇太子殿下は「緑に力を未来に夢を」というテーマを掲げ、全国の森林管理の…
大槌町の帳場婦人強盗殺害事件(昭和43年4月1日) e釜石・遠野・上閉伊郡

大槌町の帳場婦人強盗殺害事件(昭和43年4月1日)

末広町の商店街で 大槌町の末広町は、大槌町の中心街にある商店街である。 当たり前ながら国道45号線大槌バイパスはなく、大槌大橋すらなかったので、当時の大槌町内の国道45号線のルートは、釜石市室浜から大槌町白石を経て、須賀町の踏切を渡って、末広町を抜けて安渡橋へ行くというルートとなる。 その末広町の商…
岩泉の炭焼きの厳しい生活を描いた「焼き子の唄」が津川雅彦主演でテレビドラマ化(昭和40年1月23日) d宮古・下閉伊郡

岩泉の炭焼きの厳しい生活を描いた「焼き子の唄」が津川雅彦主演でテレビドラマ化(昭和40年1月23日)

昭和40年1月19日の岩手日報より。 昭和39年の「農民文学賞」を受賞した岩泉町出身の菅原康氏の「焼き子の唄」がNHKで単発ドラマ化されることになった。 主演は津川雅彦と川口知子。 ロケ地は岩泉町ではなく群馬県の四万温泉であったが、ここも製炭業が盛んであったという。 都会的な役の多かった津川と川口は…
木炭相場は上がる一方だが輸送難で出荷できず・・・(昭和36年11月29日) h水沢・江刺・胆沢郡

木炭相場は上がる一方だが輸送難で出荷できず・・・(昭和36年11月29日)

昭和36年11月29日の胆江日日新聞より。 京浜地区における木炭相場は上がる一方で、岩手ものの黒ナラ木炭は1俵550円と、前年に比べ60円も高かったのだという。 この調子なら570~580円にはなるのではないかともいわれていた。 しかし、産地ではと言うと生産が少ないにもかかわらず輸送難(貨車不足?)…
五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日) e釜石・遠野・上閉伊郡

五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日)

昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 五葉山の大松登山口に木材運搬用のケーブルがある。 ここで釜石市松倉の若者数人が乗って遊んでいた。 そうしたら機械が故障してしまい、乗っていた2人は戻れなくなってしまったのだ。 眼下には谷川が渦を巻いて流れている。 もう飛び降りるしかない?でも命の保障は無い。 …
安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) c久慈・九戸郡

安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日)

昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う…
貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日) b二戸・二戸郡

貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日)

昭和32年1月10日の河北新報岩手版より。 この当時、二戸の木炭は東京駅頭渡しで500円と言う高値を記録していた。 しかし、貨車不足のために1車も出せなかったと言う珍しいことになってしまった。 二戸地方では、年間200万俵の木炭を生産していたが、ほとんどは農業との掛け持ちなので、前年の家は1ヶ月ぐら…
大船渡で「軽貫炭」撲滅のために抜き打ち検査(昭和31年2月9日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡で「軽貫炭」撲滅のために抜き打ち検査(昭和31年2月9日)

昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 この当時、俵の中身をわざと軽く細工して出荷する「軽貫炭」と言うのが問題になっていたようである。 つまり「かさ増し」と言うことであろう。 また、貫目スレスレのものを出荷する業者もあったのだと言う。 このことは、大消費地である京浜地区で不評を買っており、岩手の木…
軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日) c久慈・九戸郡

軽米町が「モデル林業町」に指定(昭和31年1月27日)

昭和31年1月27日のデーリー東北より。 昭和の大合併の前、九戸郡小軽米村の6000町歩は「モデル林業村」として指定を受けていた。 これが昭和30年1月1日、晴山村とともに軽米町に合併してから、「町」として「モデル林業町」として県の指定を受けることになった。 これは、町としてははじめてのことであった…
野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日) c久慈・九戸郡

野田村の木炭は俵詰ではなく中身の見える箱詰(昭和31年1月5日)

昭和31年1月5日のデーリー東北より。 岩手では木炭の生産が盛んであるが、輸送方法と言えば萱俵で包み、運搬するにも型崩れや汚れがひどいと言う状況であった。 そのため、集荷業者による手直しと言う手間もかかっていた。 そこで、野田村の木炭検査場では、箱詰めの木炭を考案した。 その箱は、スリットを作り中身…
昭和の大合併で津軽石村を編入した宮古市「私有林の半額払下げなんて引き継いでません」(昭和30年12月20日) d宮古・下閉伊郡

昭和の大合併で津軽石村を編入した宮古市「私有林の半額払下げなんて引き継いでません」(昭和30年12月20日)

昭和30年12月20日の岩手日報より。 この年の4月1日、宮古市は周辺の花輪村・崎山村・重茂村と共に津軽石村を合併した。 「昭和の大合併」である。 この中で、津軽石村では村有林を営林署払下げ価格の半額で地元部落民に払下げるように村議会で議決していた。 これが昭和30年4月1日の合併で「市有林」となっ…
山田線の平津戸駅が元気だった頃(昭和30年8月1日) d宮古・下閉伊郡

山田線の平津戸駅が元気だった頃(昭和30年8月1日)

昭和30年8月1日の河北新報より。 広告欄には「岩手のヒバ」として、山田線平津戸駅前の製材所の広告がだされている。 平津戸駅といえば、令和4年(2022年)3月に全列車通過となる「事実上の駅廃止」となっていたてしまったが、往年は木材の積出駅として賑わったのだ。   事実上の廃止に際し、実際…
小鳥谷村は製炭業が枯渇寸前なので漆で村おこし(昭和28年3月2日) b二戸・二戸郡

小鳥谷村は製炭業が枯渇寸前なので漆で村おこし(昭和28年3月2日)

昭和28年3月2日の読売新聞岩手版より。 二戸郡小鳥谷村平糠では部落のほぼすべてが製炭業に従事していたが、戦中~戦後に乱伐したことにより、ほぼ切れる木が無くなっていた。 そこで、元手がかからず収入の高いウルシの木を植えることで窮地を挽回しようと躍起になっている。 二戸郡では浄法寺もウルシの産地である…
上閉伊郡栗橋村では割当量の234%の松根油生産!(昭和20年7月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

上閉伊郡栗橋村では割当量の234%の松根油生産!(昭和20年7月12日)

昭和20年7月12日の岩手日報より。 4~6月の第1期の松根油生産において、県下で最も優秀な成績をあげたのは上閉伊郡栗橋村で、割当量の実に23割4分の生産を達成したという。 これは、責任者が滅敵の闘魂を燃やして2里(8km)の道を、未明から夜の8時まで何があっても帰宅せずに奮闘したからであるという。…
二戸郡福岡では松根油生産死守に「七人の侍」(昭和20年7月12日) b二戸・二戸郡

二戸郡福岡では松根油生産死守に「七人の侍」(昭和20年7月12日)

昭和20年7月12日の岩手日報より。 石油の採れない日本では、「ガソリンの一滴は血の一滴」で、木炭ガスで自動車を動かし、松根油で飛行機を飛ばそうとしていた。 この状況であるにもかかわらず、二戸郡福岡町の松根油生産状況は芳しくない状況であった。 そこで、福岡町農業会長は二戸国民動員署にこの実情を訴え、…
県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日) l全県

県「木炭増産の為に窯を増設しましょう!清酒や衣料品の配給を増やしますよ!」(昭和20年7月2日)

昭和20年7月2日の岩手日報より。 木炭の需要はいやがうえにも高まっていた。 家庭用に使うだけではなく、自動車を動かす、製鉄用の燃料といった用途でも使うようになっていた。 昭和20年度の生産目標は1114万俵となっていた。 そこで、7~8月を「緊急築窯期間」と定め、増産を図ることとした。 窯の増設に…
樹齢550年の杉の大木が斬られて材木商で売られる(昭和10年3月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

樹齢550年の杉の大木が斬られて材木商で売られる(昭和10年3月2日)

昭和10年3月2日の岩手日報より。 内丸通りであるとのこと。 紫波の水分神社から、盛岡市本町の木材商で買った杉の大木は、数間ずつに切られて荷馬車で運ばれていったと言う。 この次の大木、根元は6尺5寸であり、高さは120尺位であり、値段は1200円だったと言う。 記事では、「550年前にこの件雨を出し…