貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日)

昭和32年1月10日の河北新報岩手版より。

この当時、二戸の木炭は東京駅頭渡しで500円と言う高値を記録していた。

しかし、貨車不足のために1車も出せなかったと言う珍しいことになってしまった。

二戸地方では、年間200万俵の木炭を生産していたが、ほとんどは農業との掛け持ちなので、前年の家は1ヶ月ぐらい遅れて仕事に入っていた。

しかし、年末年始あたりになって作業が軌道に乗ったのだが、貨車の方が不足しており、運び出すことができない状態であった。

北福岡駅では4万俵が滞貨しており、「このままでは旧正月も越せない」と言う暗い表情であった。

 


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