l全県 10 9月 1934 東北・北海道の米咲は全く絶望で昭和6年以上の凶作予想(昭和9年9月10日) 昭和9年9月10日の岩手日報より。 昭和9年は、東北や北陸の水害、九州の干ばつ、それに関東・北陸・東北一帯の長雨という常軌を逸した天候で、全国的に水稲も作柄は悪いことがほぼ決定してしまった。 8月になって天候は回復したが、これも焼け石に水であり、場所によっては害虫や稲熱病等が発生し、農林省の調査によ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 5 9月 1934 岩谷堂で江刺農村婦人大会(昭和9年9月5日) 昭和9年9月11日の岩手日報より。 「青年のページ」として青年学校など青年に関するニュースが掲載されている。 その中で、写真1枚だけの記事として「江刺農村婦人大会」と掲載されている。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1934 矢幅駅前に県内一の倉庫が完成(S9.9.1岩手日報) この当時、米を東京方面に運び出すとすれば、ほぼ100%は鉄道による輸送だったので、その土地貯蔵のための倉庫は各駅前に置かれた。 矢幅駅前に、県内一の大きな倉庫が建てられたのだと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 8月 1934 あまりの凶作に犬猫まで殺して食べることに 昭和9年は天候不順により凶作の年となった。 どこかの村では、楢の実を食べて露命をつないでいたが、ついにそれも食べ尽くし、犬や猫まで殺して食べることにしたのだという。 この情報を聞いた県では、救済策を講じることになった。 ちなみに、小学校の児童は給食で命をつないでいるという。 … 続きを読む
l全県 2 3月 1933 ブラジル移民大募集 昭和8年3月2日の岩手日報より。 岩手県庁がブラジルへの移民を募集している。 「3人以上の家族に限る」としているのは、労働力を求めていたサンパウロ州政府側がそのように求めていたため。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 10 1月 1932 石黒知事が県北の凶作地を視察(昭和7年1月10日) 昭和7年1月10日の岩手日報より。 当時の石黒英彦知事は、県北の凶作地を視察して歩くことにしたのである。 知事は、二戸警察署長の案内で、馬橇に乗って小鳥谷村の軽井沢部落に差し掛かった。 谷底にあるみすぼらしい一軒家に「誰かいるかね」と声をかけたが返事がない。 それでもに二戸署長の案内で奥に入ると、中… 続きを読む
m県外・参考 1 9月 1931 農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日) 一年の節目の一つに「二百十日」というのがある。 これは、立春から数えて210日目のことを言い、毎年9月1日がこれに当たる。 この日は昔から台風がよく来ると言われており、せっかく育ててきた稲が台風で被害に遭うか遭わないかという重大な瀬戸際でもあったから、農家にとっては非常な一大事でもあった。 そこで、… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5 9月 1929 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 9月 1929 仙北町裏田んぼでイナゴ取り(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 1枚切りの写真記事ではあるのだが、盛岡市仙北町うらの田んぼで稲をとっている風景である。 「仙北町裏田圃」とはどのあたりになるだろうか。 現在国道4号線が走っている東仙北あたりになるのか、はたまた線路沿いあるいは線路から西の西仙北になるかだろうか。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 9月 1929 二百十日は無事に過ぎる(昭和4年9月2日) 昭和4年9月2日の岩手日報より。 台風の当たり日であり、農家にとっては1年の実りを根こそぎ持っていかれる恐れのある農家の厄日「二百十日」も、今年は無事にすぎたようである。 写真は盛岡市梨木町の田んぼのようである。見事に稲が実っている。 岩手県立農事試験場の夏作定期調査によれば、この年の稲作は、大暑後… 続きを読む
l全県 1 9月 1929 震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) 9月1日は関東大震災の日として記憶されることとなった。 また、立春から数えて210日の二百十日は、台風の特異日でもあり、農家には恐れられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 9月 1928 農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 写真記事で「豊穣を語る案山子」と書いている。 場所は盛岡農学校であると言う。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7 1月 1927 農家の売り惜しみで米が出回らず 昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 12月 1926 諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 12月 1926 花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(昭和元年12月26日) この年、紫波郡の干害が非常に県内外の同情を集めていた。 そこで、稗貫郡湯本村の小学生の赤十字団員5名が、学校内で米を集めることにした。 そうしたところ、2斗2升が集まった。 これを、雪道を5里(約20km)歩いて日詰警察署まで届け、「飢えている友達に分けてください」と届けることにしたのだという。 赤… 続きを読む