a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 1日 1928 農学校の田んぼも豊作(昭和3年9月1日) 昭和3年9月1日の岩手日報より。 写真記事で「豊穣を語る案山子」と書いている。 場所は盛岡農学校であると言う。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 7日 1927 農家の売り惜しみで米が出回らず 昭和2年1月7日の岩手日報より。 花巻の米穀商は新年を迎えて忙しいが、農家の方は1駄20円から1駄30円を夢見て売り惜しみをしているのだという。 それで、穀物検査所では移出検査が2割程度減っているのだという。 しかし、年末は田舎では相当金が必要になるだろうから20日には出回るだろうという予測であった… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 29日 1926 諒闇や改元どころではない紫波郡の干害に、在京の県出身学生が木炭廉売(昭和元年12月29日) 昭和元年12月29日の東京朝日新聞より。 紫波郡と東西磐井郡では1万町歩にわたる干害が発生し、28か村5万人が作物全滅という惨状であったという。 それでヒエや麦で食いつないでいたところ、昭和に元号が代わる頃にはそれすら無くなりつつある状況となっていたという。 そこで、在京の県出身学生は、県の名産物で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 26日 1926 花巻の小学生「紫波の旱魃を救おう!」「お米を集めて持っていこう!」5里を歩いて米を届ける(昭和元年12月26日) この年、紫波郡の干害が非常に県内外の同情を集めていた。 そこで、稗貫郡湯本村の小学生の赤十字団員5名が、学校内で米を集めることにした。 そうしたところ、2斗2升が集まった。 これを、雪道を5里(約20km)歩いて日詰警察署まで届け、「飢えている友達に分けてください」と届けることにしたのだという。 赤… 続きを読む