h水沢・江刺・胆沢郡 11月 25日 1961 新聞広告で「ヌードショウ」(昭和36年11月25日) 昭和36年11月25日の胆江日日新聞の広告欄より。 何と、普通の広告に混じって「ヌードショウ」の広告が。。。 今ではちょっと考えられない世界である。 いや、今でも割とあるのかな・・・? … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 25日 1961 水沢の精肉店「うさぎ肉を売り始めました!」(昭和36年11月25日) 昭和36年11月25日の胆江日日新聞より。 うさぎ肉を売りはじめるのだという。 いわく「季節の味として、最も経済的な」ということである。 確かに現在でもロッテリアやJR東日本系のベッカーズでは11月頃になると鹿肉バーガーを始める。 秋はジビエの季節ということらしい。 &n… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 24日 1961 金ヶ崎町長と江刺市長が金ヶ崎駅の貨物廃止反対の陳情(昭和36年11月24日) 昭和36年11月27日の胆江日日新聞より。 東北本線の金ヶ崎駅は貨物の取り扱いを廃止する予定であるという。 これに対し、江刺市長と金ヶ崎町長は廃止反対の陳情を盛鉄局に対して行うという。 しかし、盛鉄局としては貨物集約の方針は全国的なものであり、計画の変更は困難であるという。 駅前の稲瀬農協(江刺市)… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 24日 1961 水沢で1961年型ナショナル電気暖房器大売り出し!(昭和36年11月24日) 昭和36年11月24日の胆江日日新聞より。 水沢市内の電気店が最新型の電気機器の広告を出している。 当時はこれが最新であった模様。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 23日 1961 地主「水沢競馬を廃止してほしい。もう充分儲けたろう?」(昭和36年11月23日) 昭和36年11月23日の胆江日日新聞より。 水沢競馬上の土地所有者達で結成する土地擁護組合は、競馬場の走路の変換と、耕地への地目変換措置を要望していた。 水沢市は赤字再建団体(記事原文ママ)であったところ、黒字が近くなり競馬に頼らなくても財政が健全化するだろうというはらからだった。 しかし水沢市にし… 続きを読む
g北上・和賀郡 11月 15日 1961 湯田村でダイナマイト盗まれる(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市の火薬店では、和賀郡湯田村の国有林内に倉庫を持っていた。 そこに、11月15日の未明に賊が侵入してダイナマイトを盗んで行ったというのである。 物騒なものが盗まれたというので、所轄の北上署から水沢署に連絡があり、緊急体制を開始したという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 15日 1961 水沢で一年ねぎの初出荷(昭和36年11月15日) 昭和36年11月15日の胆江日日新聞より。 水沢市や水沢農協などでは、農家の収益を上げるために従来の二年ねぎから一年ねぎに切り替えるように指導していた。 その初出荷が行われた。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 14日 1961 水沢市内の藁加工工場では運転手を初任給12000円で募集!(昭和36年11月14日) 昭和36年11月14日の胆江日日新聞より。 水沢市内の藁工品工場では運転手を募集している。 店員が6000円程度であるのに対し、運転手だと12000円であるという。 運転免許がいかに高給への花道であったかを物語っている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 13日 1961 水沢家畜市場の馬市場案内(昭和36年11月13日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢家畜市場では11月13日~14日の間、秋の馬市場を行うという。 農作業にはまだまだ馬力を必要としていた時期であった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 12日 1961 水沢の初冬の風物詩・大根のハゼかけ(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 胆江地方では大根が収穫され、ハゼに掛けられている。 現在でも、検索すれば「大根のはざかけ」で出てくる。 ちなみに写真は水沢市常盤にて撮影したものであるとか。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 12日 1961 朝鮮から岩手に東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を探しに来たが…(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 朝鮮では3年後に予定されている東京オリンピックの馬術競技で乗る馬を、馬産地である岩手まで探しに来たのだという。 記事では「朝鮮」とあるだけで、北なのか南なのかはここからは読み取れない。 まだ日韓国交正常化(昭和40年)前で、韓国は「南朝鮮」とも呼んでいた時… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 12日 1961 水沢の材木店の初任給は6000~8000円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 水沢職業安定所を通して、材木店が求人広告を出している。 初任給は6000~8000円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 12日 1961 水沢のカバン店の女子店員の初任給は6500円(昭和36年11月12日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞より。 盛田カバン店の水沢店では女子従業員を募集している。 初任給は6500円であったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 10日 1961 盛田カバン店が水沢店開店大売出し(昭和36年11月10日) 昭和36年11月12日の胆江日日新聞の広告欄より。 盛岡や八戸に店舗を展開していた盛田カバン店が水沢店を出すことにしたという。 それで開店大売出しである。 そういえば盛田カバン店というと盛岡でも大通に店舗があったが、平成になってから閉店してしまった。 しかし、令和となった現在でも盛田カ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 27日 1961 釜石市内の自動車販売店から暑中見舞い広告(S36.7.27岩手東海新聞) 岩手東海新聞に掲載された釜石市内の自動車系会社から暑中見舞い広告。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 27日 1961 釜石・大渡橋は腐食が進み改修は急務(昭和36年7月27日) 昭和36年7月27日の岩手東海新聞より。 釜石市の大渡橋は、釜石駅から釜石の市街地に行く際に必ず通る重要な橋である。 昭和12年に木橋から鉄筋コンクリート橋に架けかえして24年、その間に腐食が進んでいるというのだが・・・ ここは、時代相を知ってもらうため、記事の原文をそのまま掲載したい。 (強調部分… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 名物にうまいものあり!釜石名物いかせんべい(昭和36年7月26日) 昭和36年7月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 虎月という菓子舗のいかせんべいを宣伝している。 「名物にうまいものあり」というコピーは、その時点で「名物にうまいものなし」という表現が既に浸透していたということを示しているのではないだろうか。 いずれ、釜石市内では以下の店で買えましたよ、ということら… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 26日 1961 内陸から釜石に海浜学校続々(S36.7.26岩手東海新聞) 内陸の小学校から釜石などに臨海学校に来るのは恒例だったようで、この記事では北上市立二子小学校の6年生120人。大迫町立内川目小学校60人が来ていたようだ。 ちなみに、内川目小学校は2021年の閉校時の全校児童は14名であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 スーダンの鉄道レールを釜石製鉄所で!(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所を経営する富士製鉄と八幡製鉄は、アフリカのスーダン国鉄の16,000トンの国際競争入札に応札し、8月下旬にはスーダン国鉄の総裁が来日するという。 この7月には、日本政府はスーダンに在外公館を設け、招聘していたのだ。 スーダンは昭和31年1月1日にイ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 25日 1961 釜石市の財政は釜石製鉄所しだい(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞より。 釜石市の予算当局は、地方交付税の査定のため盛岡の県庁に出ていた。 地方交付税は、合併(S30.4.1甲子村、鵜住居村、栗橋村、唐丹村)による特例期間が切れて不交付団体になるが、全国市議会議長会や全国市長会の折衝で激変緩和措置が取られることとなった。 それ以上… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 25日 1961 釜石のうなぎ、大槌の映画案内(昭和36年7月25日) 昭和36年7月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 昭和36年の土用の丑の日である7月31日を控え、釜石市内のうなぎ屋も広告に余念がない。 また、大槌町内の映画館は7月26日から「処刑前夜」「旗本愚連隊」を上映するという。 オールナイトは「屋根」。 「処刑前夜」は昭和36年2月18日初公開の日活映画で… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 夏を謳歌する釜石(S36.7.24岩手東海新聞) 釜石では夏真っ盛りで、鵜住居中学校では野外炊事大会、小佐野中学校では水泳大会が行われていた。 また、根浜海岸でも人出で賑わっていたようだ。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 オットセイ密漁事件で逮捕された大槌の漁船の機関士に釈放嘆願(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 大槌でオットセイ密漁事件で6人が逮捕されたうち、漁船の機関士を釈放してほしいと漁業関係者から釈放嘆願が上がっている。 これは、最盛期に入っているイカ釣り漁船の機関士であり、この機関士がいないと乗組員10名やその家族の生活圏が脅かされるからである。 大槌漁協の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 ご愛顧三十年、皆様の釜石信用金庫です(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石信用金庫はこの時点で創業して30年が経過しており、中心街の只越に本店があり、支店は製鉄所の社宅がある中妻、大船渡に行く途中にあり気仙郡ながら昭和30年に釜石市と合併された唐丹村に支店、釜石駅から大渡橋を渡ってすぐの大渡町に出張所があったようである… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 東海道新幹線のレールは釜石製鉄所でも作っていた(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞より。 昭和39年に開業が予定されている東海道新幹線のレールは、富士製鉄釜石製鉄所にも注文が来ていた。 そのための価格交渉が国鉄と行われており、国鉄側は国際価格並みを強く希望。 製鉄所側は材質の向上や型の切り替えもあり値上げ意向と食い違っていた。 国鉄側は、年内の7… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 24日 1961 釜石のナイトスポット「BUVETTE車塔」(昭和36年7月24日) 昭和36年7月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 この時期、釜石市は製鉄所の全盛期で9万人の人口がいた。 夜はよほど賑わっていたのではないだろうか。 新街通に「BUVETTE車塔」というスナックバーがあったようで、それなりの大きさの写真広告を出している。 buvetteとはフランス語で「飲む」こと、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 27日 1961 声に出して読みたい「シンーガーミシン」(昭和36年4月27日) 昭和36年4月27日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内でシンガーミシンを扱っているのは2店あった。 ちなみにシンガーミシン自体は現在でも盛業中。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 25日 1961 釜石タクシーの電話番号は「一番早い」(昭和36年4月25日) 昭和36年4月25日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石タクシーの広告が出ており、電話番号は「一番早い」で1881番。 電話がまだ自動通話ではなかったこの頃、電話番号が4桁だったのは盛岡と釜石ぐらいのものだったようである。 当時の釜石は人口が9万人ぐらいいた。 この釜石タクシーは現在でも… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 24日 1961 釜石市内でカメラ紛失しました。姓名在社(昭和36年4月24日) 昭和36年4月24日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の誰かがカメラを2台紛失したらしい。 1台目のオリンパスペンは大町2丁目~釜石駅でタクシーに乗っている時に忘れたもの。 2代目のマミヤ16mmは五ノ橋(釜石駅から中妻方面に行くときの橋)~堀内医院の間の社線の傍で落としたもの。 写真が趣味では… 続きを読む