e釜石・遠野・上閉伊郡 13 10月 1960 山口の自転車「スマートレデー」は13,000円!(昭和35年10月13日) 昭和35年10月13日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自転車店では、自転車の広告を出している。 その名も「スマートレデー」。 13,000円であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 9月 1960 大槌で恒例の馬市開催(S35.9.23岩手東海新聞) 大槌町では馬市が恒例であったという。 トラクターが発達する前は、農耕には欠かせない動力であった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 8 9月 1960 宮古市役所前の道路がコンクリート舗装(S35.9.8岩手東海新聞) 宮古一の「悪路」と言われていた宮古市役所〜岩手銀行宮古支店の前の道路がコンクリート舗装されることになったというニュース。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 9月 1960 残暑を告げる釜石の花売り(昭和35年9月6日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石も既に残暑となっていた。 この写真記事では「夜が虫屋なら昼は花売り」と言っている。 夏から秋にかけては、ソテツやオモトがよく売れるのだとか。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石港から南洋へのマグロ延縄船が出港(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 9月3日のサンマ漁解禁で、サンマ船は北洋にむけて出港して行った。 残るはマグロ漁船で、9月5日には南洋にむけて出発して行った。 サンマ船とは違い、出港時はテープが飛び交う「別れの風景」。 それもそのはずで、南洋でのマグロ漁は早くて1航海数週間、長ければ3ヶ月以… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石港ではブリが予想外の大漁(昭和35年9月5日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 釜石の琴海では定置網でブリが捕れるようになってきた。 9月5日の朝は、釜石港にブリが3000尾、22トンが水揚げされた。 現金にして300万円にもなるという。 夏漁が不漁だっただけに、期待が持てるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石青果市場の市況(S35.9.5岩手東海新聞) 釜石青果市場の市況は、以下のようになっていた。 きゅうりは栗林から、大根やキャベツは遠野から届いていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 9月 1960 釜石市只越町「らばうる」(昭和35年9月5日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 広告欄に「喫茶とお食事 らばうる」という広告が出ている。 個人的には、子供の頃(昭和50年代後半)「らばうる」と言えば橋上市場にあり、ミニカーなどおもちゃが売っていた記憶がある。 そして食堂の機能も確かにあったような気がする。 それと同じ店かどう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1960 釜石の編物人形教室は生徒募集中(昭和35年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 広告欄では、釜石市大只越町の編物人形教室が生徒さん募集の広告を出している。 そういえば釜石の青葉通りの近くに「明峰幼稚園」というのがあったのは覚えている。 たしかお寺に付属した幼稚園だった。 その明峰幼稚園であるが、釜石出身の方のブログによれば、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1960 釜石は史上最高の豊作(昭和36年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 写真記事であるが「1291万㌧ーー史上最高の豊作」と書いてあるが、それが釜石市内でのことなのか、はたまたこの写真を写した釜石市甲子町のことなのかまでは判然としない。 農家の厄日である二百十日も過ぎて、稲穂は重そうに頭を垂れている。 子供達はクルマトンボと戯れて… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 9月 1960 釜石小学校が新校舎に生まれ変わる(昭和35年9月3日) 昭和35年9月3日の岩手東海新聞より。 明治6年に開校した釜石小学校は、この時点では明治37年、日露戦争が開戦した年に建築された築57年の校舎であった。 それを新しく鉄筋コンクリートに改築するというのである。 近く、PTAにより校舎とのお別れ会が開かれるのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 9月 1960 釜石かつぎ屋事情(S35.9.1岩手東海新聞) 「釜石残酷物語」としてシリーズものになっていた、釜石の下層生活の一端を物語る話。 この頃の担ぎ屋は、遠野あたりの農村地帯から来ていたようだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 8月 1960 五葉山の木材運搬ケーブルに若者が勝手に乗って遊んでいると・・・(昭和35年8月28日) 昭和35年9月1日の岩手東海新聞より。 五葉山の大松登山口に木材運搬用のケーブルがある。 ここで釜石市松倉の若者数人が乗って遊んでいた。 そうしたら機械が故障してしまい、乗っていた2人は戻れなくなってしまったのだ。 眼下には谷川が渦を巻いて流れている。 もう飛び降りるしかない?でも命の保障は無い。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9 7月 1960 一関から南米に移民する3家族の送別会(昭和35年7月9日) 昭和35年7月9日の岩手報知より。 一関市大平開拓地から、南米パラグアイに行く3世帯17名の送別会が中里農協会議室で開かれた。 送別会には一関市長、一関市農林課長、市内各農業組合長、開拓連盟支部長など60人が集まった。 移民団の代表からは「このような盛大な送別会を開いていただいて感謝にたえません。パ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 2 7月 1960 一関の販売店「石油コンロで日活・東映映画ご招待!」(昭和35年7月2日) 昭和35年7月2日の岩手報知より。 一関市内のもコンロ販売店では、石油コンロで日活・東映の映画ご招待!という広告を出していた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 5月 1960 釜石のBGは初給料を何に使う?(S35.5.14岩手東海新聞) 釜石のBG(昔はOLをそう呼んだ)は初任給を何に使ったか?という話。 及新百貨店の店員、東部バスのバスガイドというのが時代。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 5月 1960 釜石の南町ってどこ?(昭和35年5月3日) 昭和35年5月3日の岩手東海新聞より。 釜石関係の記事でたまに出てくる「南町」とはどこのことか? このことが牛乳販売店の広告で分かった。 釜石の大町の中心街の1本南の通りで、製鉄所にくっついた、昔釜石警察署があった通りのことだったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1960 くろがねノーバ(昭和35年4月20日) 盛岡バスセンターが開業したその昭和35年4月20日の岩手日報の広告欄より。 今はなき東急くろがね工業のトラック「ノーバ」の広告が出ている。 販売店は岩手県域で独立していたわけではなく、「宮城くろがね販売岩手支店」として、盛岡の大沢川原(下ノ橋の盛岡駅よりで現在の岩手女子高校の近辺)にあったようである… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1960 浩宮さま御生誕記念で川徳デパートでは赤ちゃん写真募集(昭和35年3月8日) 昭和35年3月8日の岩手日報より。 この年の2月23日に浩宮徳仁殿下がお生まれになった。 そこで、盛岡の川徳デパートでは赤ちゃんの生活写真を募集することにしたのである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3 3月 1960 新宮様ご誕生に県南の市町村も祝賀広告(昭和35年3月3日) 昭和35年3月3日の岩手日報より。 この年の2月23日に徳仁様が御誕生された。 これを祝福して、県南の市町村が岩手日報に広告を出したのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1960 盛岡の建設業者が南ベトナムで合弁会社設立(昭和35年3月1日) 昭和35年3月1日の岩手日報より。 盛岡の建設業者が、南ベトナムの豊富な森林資源に着目し、合弁会社を設立するという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1960 松屋デパートでは淡々と冬物大見切り市(昭和35年1月15日) 昭和35年1月15日の岩手日報の広告欄より。 川徳で成人の日のお祝いを出しているのに対し、松屋デパートでは淡々と冬物見切り品をバーゲンに出している。 この当時の物価水準が分かるのではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 1月 1960 川徳デパートでは成人の日を祝う広告(昭和35年1月15日) 昭和35年1月15日の岩手日報の広告欄より。 川徳デパートが成人の日を祝う広告を出している。 松の内が明けたこの時期でも「初春衣装」は展示していた模様。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 1月 1960 盛岡で雪の中を安保反対のデモ行進(昭和35年1月14日) 昭和35年1月15日の岩手日報より。 日米安保条約改定阻止運動の岸首相渡米・調印反対の全国統一行動の1月14日午後6時から盛岡市内丸の県公会堂で行われた。 大会には、盛岡市内からだけではなく、松尾鉱山からもトラックに分乗して労働組合員150名が盛岡までやってきた。 大会は20分で終了し、公会堂から盛… 続きを読む