k大船渡・陸前高田・気仙郡 13 1月 1960 気仙地方では麦踏みが始まる(昭和35年1月13日) 昭和35年1月13日の岩手日報より。 記事中の記述をそのまま借りれば「雪を知らない気仙地方ではもう麦ふみが始まった」。 麦踏みというのは、麦の新芽の段階で踏圧することで、耐寒性を高めるのだという。 令和の現在、気仙地方で麦の生産が盛んであるという印象はない。 JA大船渡のホームページに… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 11 1月 1960 東北大「山田町は赤皿貝の養殖に適してますよ!」(昭和35年1月11日) 昭和35年1月11日の岩手日報より。 下閉伊郡山田町は、東北大学生物学教室に依頼し、山田湾の赤皿貝の養殖について調査を行っていた。 その結果。養殖に有望な敵地であるという結果を得ることができた。 それまで、赤皿貝の養殖というと青森県の西平内海岸で透析して付着させる、会の耳に穴をあけてビニールの紐に吊… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9 1月 1960 釜石のミシン店「シンガーミシンは24回月賦で31,200円から!」(昭和35年1月9日) 昭和35年1月9日の岩手東海新聞より。 広告欄にはシンガーミシンの広告が載っており、月賦で買えるという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 1月 1960 松尾鉱山にデラックス・バス(昭和35年1月8日) 昭和35年1月8日の岩手日報より。 松尾鉱業所には前年末に2台のデラックス・バスが到着したのだという。 それは1960年型の定員65人乗りで、130馬力のトヨタ車であるという。 車体は「明るいグレーに青色の帯を巻い」ているという。 この時点では、元山~屋敷台(松尾鉱山鉄道の駅)を往復しているだけであ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 1月 1960 釜石・及新デパート「冬物衣料大特売会」(昭和35年1月7日) 昭和35年1月7日の岩手東海新聞より。 釜石の及新デパートでは冬物の大特売会であるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 1月 1960 東北一の商港は釜石港(昭和35年1月5日) 昭和35年1月4日の岩手日報より。 昭和34年1月~12月の港別の輸出入で、釜石港は輸出55372トン、24億8300万円、輸入は99万1600トン、61億9300万円で東北で一位であったという。 輸出はブラジル・タイ・台湾向けのレールが主で、輸入は鉱石・スクラップ・石炭といずれも釜石製鉄所に関係す… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 昭和35年の釜石の初売り広告たち(S35.1.1岩手東海新聞) 昭和35年、元旦の岩手東海新聞は、釜石市内の各店舗の初売り広告で埋め尽くされている。 この記事を書いている令和5年現在、現存する店は無いのではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1960 盛岡バスセンターの向かいに昭和石油ガソリンスタンド完成(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 盛岡バスセンターの前に昭和石油盛岡モデルステーションが完成するという。 ・・・というか、この時点では盛岡バスセンターの開業はこの年の4月20日であり、まだバスセンターとしてはオープンしていなかったはず。 それでもバスセンターに対する期待は大きかったのだろうか。… 続きを読む
m県外・参考 1 1月 1960 日興証券仙台支店「繁栄の1960年 マネービルを始めましょう!」(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 日興証券仙台支店が「マネービルを始めましょう」と広告を打っている。 マネービル… なんだか懐かしい響きである。 少なくとも昭和50年代中頃まではこんなコピーを見ていた覚えはある。 ところで、他の広告が七十七銀行だったり三色最中だったり、仙台の企業のものばかりだ… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 17 12月 1959 岩手開発鉄道に新しい機関車(昭和34年12月17日) 昭和34年12月19日の岩手日報より。 岩手開発鉄道では、牽引力不足による滞貨で悩んでいたところ、新しいディーゼル機関車が盛駅に到着し、いよいよ輸送力の増強が期待できる状態になったという。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 2 12月 1959 北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 このシーズンでは東北で最後に開催される北上の馬市は、北上市馬検場で北海道産馬1000頭を集めて開催された。 まだ農耕や移動には馬力が必要だった時代である。 北上(黒沢尻)の馬市は、東北で最後の「おせり」として、関東や関西からも集まるにぎやかなものであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1959 盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 盛岡と秋田を最短で結ぶ二級国道は、まだ全通していない状態であった。 雫石町の葛根田川にかかる葛根田橋の起工式が阿部知事、雫石町長、建設省盛岡建設事務所長などの列席のもとに行われた。 昭和36年に竣工の予定で、表日本と裏日本をつなぐ「陸の運河」としての機能が期待さ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 28 9月 1959 日産ディーゼルトラック・民生ディーゼルトラックは岩手日産自動車で! 昭和34年9月28日の岩手日報の広告欄より。 岩手日産自動車が日産ディーゼルトラックと民生ディーゼルトラックの広告を打っている。 この時期、トヨタにしろいすゞにしろくろがねにしろ、菜園とか大沢川原といった、下ノ橋の北側の中津川沿いに自動車販売会社が集中していたようである。 … 続きを読む
l全県 28 9月 1959 伊勢湾台風が岩手県に及ぼした影響 昭和34年9月、伊勢湾台風は名古屋を中心に甚大な影響を及ぼした。 https://www.youtube.com/watch?v=rcrtlhSHY7I 実は岩手県にもかなりの影響を及ぼしている。 その影響のほどを、昭和34年9月28日の岩手日報から抜き出してみたい。 気象記録としては、釜石で総降水… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 23 9月 1959 釜石市内の帆布店「強くて軽快なビニロン作業服!」(昭和34年9月23日) 昭和34年9月23日の岩手東海新聞より。 釜石市内の帆布店では、ビニロン作業服の広告を打っている。 「強くて軽快な」とは言う物の、ビニロンは熱には弱く、アイロン温度はかなり注意が必要であったと言う。 「強くて軽快な」とは言う物の、ビニロンは熱には弱く、アイロンの温度はかなり注意が必要であったと言う。… 続きを読む
l全県 21 9月 1959 岩手日産「車は生きている・・・」 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 日産自動車の販売の広告ではなく、県内各整備工場の広告。 「あなたが選ぶ車のお医者様岩手日産は、すぐれた技術と純正部品であらゆる車の故障をケロリと直します」 というキャッチコピーも千両である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 9月 1959 盛岡中劇で「恋の手ほどき」「親指トム」公開(昭和34年9月21日) 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 盛岡中劇で「恋の手ほどき」と「親指トム」を公開する。 「恋の手ほどき」(原題:GIGI)は米MGM制作のミュージカル映画で日本初公開は昭和34年6月13日。 「親指トム」(原題:Tom thumb)も米MGM制作でグリム童話の映画化。日本初公開は昭和34… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 9月 1959 テレビは岩手ナショナル月賦販売(株)の12回払いで!(昭和34年9月19日) 昭和34年9月19日の岩手日報の広告欄より。 この当時テレビは月給の何ヶ月分もする高い買い物であった。 前年に発生した信用金庫職員による一家殺人事件では、犯人の男は「月給は18,000円だよ」(本当は8, 000円)と見栄を張っていた。 そんな時代に、テレビは63000円だったのである。 それで、月… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 9月 1959 東北随一の円形スタンド・釜石のバーエデンではサントリーハイボール100円!(昭和34年9月18日) 昭和34年9月18日の岩手東海新聞より。 「東北随一の円形スタンドバー」だそうで、釜石のバー・エデンの広告が出ている。 当時であれば製鉄所の工員で賑わっただろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 9月 1959 釜石市内の自転車店「高級自転車1万6千円!」(昭和34年9月17日) 昭和34年9月17日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自転車店では自転車を1万6千〜2万1千円ぐらいのところで販売している。 オートバイのメーカーでもあったようだが過当競争で昭和38年に倒産の憂き目に遭う。 しかし丸紅傘下となり「丸紅山口」となる。 その後昭和57年の丸紅が資本を引き上げ「関根サイクル… 続きを読む
j東磐井郡 17 9月 1959 興産相互銀行摺沢支店の新店舗オープン 昭和34年9月17日の岩手日報より。 東磐井郡大東町の興産相互銀行の摺沢支店の新店舗がオープンした。 新店舗は木造モルタルで2階建て。 昭和26年に興産無尽会社が興産相互銀行として発足し、これが北日本相互銀行となるのは昭和41年のこととなる。 … 続きを読む
l全県 15 9月 1959 北朝鮮「帰還」のお知らせ(昭和34年9月15日) 昭和34年9月21日の岩手日報の広告欄より。 (たまたま手元にあるのがこの日付の新聞であるというだけで、広告の掲載自体は9月15日の時点でしていた可能性はある) いわゆる「朝鮮人の帰国事業」についての広告。 日本と北朝鮮には国交がなく、両国の赤十字社を通じての帰国事業になったことは有名な話。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11 9月 1959 仙人トンネル開通と共に岩手東海新聞社の社屋も新築!(昭和34年9月11日) 昭和34年9月11日の岩手東海新聞より。 仙人トンネルが開通するという、釜石における道路交通の一大イベントと同じタイミングで、岩手東海新聞社も社屋を一新し、タブロイド版からブランケット版に紙面を一新することとなった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 8月 1959 釜石オートセンターではヤマハオートバイが125,000円!(昭和34年8月28日) 昭和34年8月28日の岩手東海新聞より。 広告欄では釜石オートセンターが広告を出しており、ヤマハオートバイが現金で125,000円、月賦では135,000円からであることが報告されている。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 8月 1959 岩手県水試「今年のサンマの魚群は少ない」(昭和34年8月26日) 昭和34年8月26日の岩手東海新聞より。 岩手県水産試験場の調査船「北上丸」で8月20日から24日にかけて調査したところによれば、以下の通りであったと言う。 海況:天候の回復とともに、北海道の東の沿岸部を南下する冷水は暖水の張り出しによってその南下を阻止され、冷たい水の中の南下は本格化していない。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 8月 1959 仙人道路が開通する前の釜石までの交通状況(昭和34年8月22日) 昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 遠野と釜石を結ぶ道路は、9月の開業に向けて着々と工事を進めていた。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 それまで、仙人峠はあまりに坂が急で車が通ることができなかったのだ。 岩手軽便鉄道が走っていたころは、遠野側の仙人峠駅で降り… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 8月 1959 北日本海豚漁業協同組合が大槌町安渡に冷蔵庫を新設(昭和34年8月22日) 昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 北日本海豚漁業協同組合では、大槌町安渡に11月末までに冷蔵庫を新設するという。 製氷・凍結は日産10㌧、冷蔵310㌧、貯氷610㌧の計画であるという。 本来はサンマ漁までに完成の予定が、計画が遅れたという。 これで、オットセイ漁の基地である大槌の威力が発揮で… 続きを読む