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釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港では貨車で運びきれないほどの豊漁(昭和34年8月22日)

昭和34年8月22日の岩手東海新聞より。 この数日、釜石港ではにわかにスルメが大量に水揚げされ、8月22日の朝などはイカ釣り船110隻がスルメ180トンを大量に水揚げしてきた。 スルメが水揚げされたら貨車で運ばないといけない。 この日は釜石駅に31両の配車があったが、前日の滞貨が30車分あったので、…
釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石職安ではオート三輪を広報車にして人集め(昭和34年8月21日)

昭和34年8月21日の岩手東海新聞より。 水産業界は漁期が来て、釜石製鉄所も好景気ということで釜石公共職業安定所には求人票が殺到、オート三輪を広報車にして人集めに駆り出されることになった。 求人票は600〜700名分あり、内訳は以下の通りであったという。 釜石製鉄所作業員 70名 海陸運送 男子 1…
「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日)

昭和34年8月11日の岩手東海新聞より。 釜石市教育委員会では、釜石市立図書館で定例委員会を開催した。 マンモス化している釜石一中を二分して18学級程度の中学校にする。 尾崎中学校と平田中学校を合併して新設中学校を設立する。 これに関しては、文部省からも近日技官が来て調査するということであった。 &…
釜石港で持て余されるマンボウ(昭和34年7月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港で持て余されるマンボウ(昭和34年7月20日)

昭和34年7月20日の岩手東海新聞より。 当時、マンボウは「マンボウザメ」と呼ばれており、「季節魚として人気が高い」ものではあったが、過食部である白身は全体の3分の1しかなく、それ以外は捨てるしかなかったのだ。 捨てるとは言っても何しろ20kg〜100kgという巨大な魚である。 海に捨てれば港湾法に…
「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この年の7月1日、初めてのディーゼルカーが走るということで、釜石市内ではそのディーゼルカーに摸したハリボテ等で市内を行進した。   ところで、写真は橋上市場の大渡町側だろうか。 右は釜石駅方向、左は甲子川の下流方向であると思われる。   …
釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日)

昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。   この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? …
仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日)

昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 この時期の釜石は、花巻に通じる仙人道路の開通を待ち望んでいる時期であった。 その仙人道路の開通に合わせて、地元の岩手東海新聞も社屋を新しくし、版型もタブロイド判からブランケット判にする予定であった。 5月22日にはコンクリート注入工事に入っている。 完成の暁…
新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日) e釜石・遠野・上閉伊郡

新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所のラグビー部が「全国一の強豪チームを目指して」5月21日から小佐野球場外に設けられた特設ラグビー場で練習を開始した。 初練習には岩手県ラグビー協会八幡正会長やコーチ2名も来て熱心にコーチするという念の入りようだった。 創部メンバーは以下の通り。 増…
琵琶湖の稚アユを甲子川と鵜住居川に放流(昭和34年5月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

琵琶湖の稚アユを甲子川と鵜住居川に放流(昭和34年5月18日)

昭和34年5月19日の岩手日報より。 釜石市と釜石淡水漁業組合は、5月18日の正午に琵琶湖から送られたアユ4万尾を、甲子川に3万尾、鵜住居川に1万尾放流した。 釜石までは貨車で水温10度に保たれてきたが、長旅で弱り果てていたという。 解禁となる7月下旬には15~6センチとなろう、と。   …
釜石港に石炭輸送のリベリア船が入港(昭和34年5月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港に石炭輸送のリベリア船が入港(昭和34年5月17日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 製鉄所の高炉が盛んだった釜石港では外国船の出入りも盛んだったようで、リベリア船のアインド・スキイパー号がひときわ目立っていたという。 この船はアメリカ産の石炭を13,500トン積んでノーフォーク港から来たのだという。 5月17日に入港し、22日に出港とのこと…
「県内一の老朽校舎」戦時建築の釜石高校を改築して(昭和34年5月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「県内一の老朽校舎」戦時建築の釜石高校を改築して(昭和34年5月12日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石高校の校舎は「県内一の老朽校舎」と言われていた。 そんな老朽校舎はどれだけ古いのか? 大正6年に建築され「白堊城」と呼ばれた盛岡一高の校舎より古い? 釜石高校の校舎は昭和18年の建築で築16年。 「老朽化」と言うほどではないが、昭和20年の艦砲射撃にも遭…
皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日)

昭和34年4月5日の河北新報より。 敗戦してからというもの、「日の丸」の国旗は日陰者のような存在であったそうな。 しかし、皇太子殿下の御成婚では盛岡市内の染物屋に商工会議所などから注文が舞い込み、街の家々に日の丸が翻るのだとか。 盛岡市内の商店主は、「この日の丸ブームは大正天皇の御大典の半分ぐらい、…