b経済・産業

「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「釜石第三中学校」計画(昭和34年8月11日)

昭和34年8月11日の岩手東海新聞より。 釜石市教育委員会では、釜石市立図書館で定例委員会を開催した。 マンモス化している釜石一中を二分して18学級程度の中学校にする。 尾崎中学校と平田中学校を合併して新設中学校を設立する。 これに関しては、文部省からも近日技官が来て調査するということであった。 &…
釜石港で持て余されるマンボウ(昭和34年7月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港で持て余されるマンボウ(昭和34年7月20日)

昭和34年7月20日の岩手東海新聞より。 当時、マンボウは「マンボウザメ」と呼ばれており、「季節魚として人気が高い」ものではあったが、過食部である白身は全体の3分の1しかなく、それ以外は捨てるしかなかったのだ。 捨てるとは言っても何しろ20kg〜100kgという巨大な魚である。 海に捨てれば港湾法に…
「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「ジーゼルカー」が釜石市内を行進(昭和34年6月11日)

昭和34年6月12日の岩手東海新聞より。 この年の7月1日、初めてのディーゼルカーが走るということで、釜石市内ではそのディーゼルカーに摸したハリボテ等で市内を行進した。   ところで、写真は橋上市場の大渡町側だろうか。 右は釜石駅方向、左は甲子川の下流方向であると思われる。   …
釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内の帆布業者「トラックの防水シートは米軍払い下げ品がお安いですよ!」(昭和34年5月26日)

昭和34年5月26日の岩手東海新聞の広告欄より。 釜石市内の帆布業者が、梅雨の時期を見込んでトラックの荷台の防水シートに米軍の払い下げ品を特価販売している旨を宣伝している。   この時期、米軍の払い下げ品はどこで手に入れたのだろう。 横須賀か、あるいは三沢か。 あるいは仙台の苦竹・・・? …
仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日) e釜石・遠野・上閉伊郡

仙人道路の開通を期して岩手東海新聞社の新社屋建設中(昭和34年5月23日)

昭和34年5月23日の岩手東海新聞より。 この時期の釜石は、花巻に通じる仙人道路の開通を待ち望んでいる時期であった。 その仙人道路の開通に合わせて、地元の岩手東海新聞も社屋を新しくし、版型もタブロイド判からブランケット判にする予定であった。 5月22日にはコンクリート注入工事に入っている。 完成の暁…
新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日) e釜石・遠野・上閉伊郡

新日鉄釜石ラグビー部が発足(昭和34年5月21日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所のラグビー部が「全国一の強豪チームを目指して」5月21日から小佐野球場外に設けられた特設ラグビー場で練習を開始した。 初練習には岩手県ラグビー協会八幡正会長やコーチ2名も来て熱心にコーチするという念の入りようだった。 創部メンバーは以下の通り。 増…
琵琶湖の稚アユを甲子川と鵜住居川に放流(昭和34年5月18日) e釜石・遠野・上閉伊郡

琵琶湖の稚アユを甲子川と鵜住居川に放流(昭和34年5月18日)

昭和34年5月19日の岩手日報より。 釜石市と釜石淡水漁業組合は、5月18日の正午に琵琶湖から送られたアユ4万尾を、甲子川に3万尾、鵜住居川に1万尾放流した。 釜石までは貨車で水温10度に保たれてきたが、長旅で弱り果てていたという。 解禁となる7月下旬には15~6センチとなろう、と。   …
釜石港に石炭輸送のリベリア船が入港(昭和34年5月17日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石港に石炭輸送のリベリア船が入港(昭和34年5月17日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 製鉄所の高炉が盛んだった釜石港では外国船の出入りも盛んだったようで、リベリア船のアインド・スキイパー号がひときわ目立っていたという。 この船はアメリカ産の石炭を13,500トン積んでノーフォーク港から来たのだという。 5月17日に入港し、22日に出港とのこと…
「県内一の老朽校舎」戦時建築の釜石高校を改築して(昭和34年5月12日) e釜石・遠野・上閉伊郡

「県内一の老朽校舎」戦時建築の釜石高校を改築して(昭和34年5月12日)

昭和34年5月22日の岩手東海新聞より。 釜石高校の校舎は「県内一の老朽校舎」と言われていた。 そんな老朽校舎はどれだけ古いのか? 大正6年に建築され「白堊城」と呼ばれた盛岡一高の校舎より古い? 釜石高校の校舎は昭和18年の建築で築16年。 「老朽化」と言うほどではないが、昭和20年の艦砲射撃にも遭…
皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

皇太子殿下の御成婚を控え、街は「日の丸」ブーム(昭和34年4月5日)

昭和34年4月5日の河北新報より。 敗戦してからというもの、「日の丸」の国旗は日陰者のような存在であったそうな。 しかし、皇太子殿下の御成婚では盛岡市内の染物屋に商工会議所などから注文が舞い込み、街の家々に日の丸が翻るのだとか。 盛岡市内の商店主は、「この日の丸ブームは大正天皇の御大典の半分ぐらい、…
春の行楽シーズンに不定期急行「いわて」が運行します(昭和34年3月28日) i一関・西磐井郡

春の行楽シーズンに不定期急行「いわて」が運行します(昭和34年3月28日)

昭和34年3月28日の岩手報知より。 盛鉄局では、春の行楽シーズンである3月下旬~5月下旬に不定期急行の運転や客車の増結を行うという。 不定期急行「いわて」(上野~青森、常磐線経由)・・・・3/25~5/23まで運転。一ノ関への発着は下り青森行きが7:17着、7:26発。上り上野行きが11:22着、…
釜石で尺貫法の廃止で要らなくなったマスやハカリの葬式(昭和34年3月24日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石で尺貫法の廃止で要らなくなったマスやハカリの葬式(昭和34年3月24日)

昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 前年の昭和33年12月31日をもって、尺貫法が廃止されメートル法が用いられるようになった。 そこで、それまでの尺貫法の枡や秤は要らなくなったので、送り彼岸である3月24日、釜石市内の石応寺でそれら枡や秤の葬式が行われ、これをメートル法のPRの機会と釜石市の…
一関の飲食店「昔を思い出し2合入タンポでお安く飲まれます」(昭和34年3月12日) i一関・西磐井郡

一関の飲食店「昔を思い出し2合入タンポでお安く飲まれます」(昭和34年3月12日)

昭和34年3月12日の岩手報知の広告欄より。 一関市内の飲食店で広告を出している。 いわく「昔を思い出し二合入タンポに御通し付で安くのまれます」   酒タンポとは? 二重構造となった金属製のコップで、外側のコップにお湯を入れることで手軽に熱燗が楽しめるというもののようである。 また、女中さ…
盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡駅でヤミ米の手入れがあり担ぎ屋10人逮捕(昭和34年2月24日)

昭和34年2月25日の河北新報岩手版より。 盛岡警察署では、盛岡市内にヤミ米が相当流れ込んでいるとの情報を得た。 そこで2月24日、盛岡署員20名が盛岡着7:56、8:58の下り列車を急襲し一斉取り締まりを行った。 置き去り米を含めて押収した精米は757kg(61,000円相当)であったという。 そ…
大船渡魚市場に久しぶりにマグロ水揚げ(昭和34年2月5日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡魚市場に久しぶりにマグロ水揚げ(昭和34年2月5日)

昭和34年2月7日の河北新報より。 大船渡魚市場では、2月5日に久しぶりにマグロの水揚げがあったという。 マグロを釣り上げたのは三陸村のはえ縄漁船で、八丈島近海で漁獲したという。 内訳としてはメバチマグロ1500本、メカジキマグロ60本で計22000キロ、金額にして150万円。 この時期の10キロ当…