c久慈・九戸郡 24 10月 1957 静岡へのミカンもぎ出稼ぎ第1陣が久慈駅を出発(昭和32年10月24日) 昭和32年10月26日のデーリー東北より。 静岡県の三島や清水のミカンもぎの出稼ぎに、久慈駅から第1陣が出発した。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 24 10月 1957 久慈高校水産部製造科3年生は引っ張りだこ(昭和32年10月24日) 昭和30年10月24日のデーリー東北より。 久慈高校水産部製造科の3年生は、都内の各会社に引っ張りだこで、全員就職の見込みであったと言う。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 19 10月 1957 九戸地方乳牛共進会(昭和32年10月19日) 昭和32年10月23日のデーリー東北より。 久慈場検場で九戸地方乳牛共進会が開催され、500人の人出と75頭の牛で賑わった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 10月 1957 久慈市の山内市長が北京へ出発(昭和32年10月17日) 昭和32年10月19日のデーリー東北より。 北日本港湾都市市長団の三役として、中共の北京市の招きで10月23日に羽田国際空港から香港経由で旅立つ久慈市の山内市長は、10月17日13時市役所前から市長専用車で市役所前を出発した。 市長は「1ヵ月の間、を留守にしますが、皆さん元気で勤めをお願いします。戦… 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 10月 1957 八戸の漁船3隻が岩手県警の警備船に捕まる(昭和32年10月17日) 昭和32年10月18日のデーリー東北より。 海上パトロールしていた岩手県警の警備船「さんりく」は、九戸海域に出没していた密漁船を逮捕して、久慈の玉の脇港に引き上げた。 これらの密漁船は、久慈市宇部町三崎トドが岩 3マイル海上の野田湾海域で、禁止漁業の底引き網を使用して、ナメタガレイなどを密漁していた… 続きを読む
c久慈・九戸郡 15 10月 1957 久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日) 昭和32年10月17日のデーリー東北より。 北京市長の招きで、「北日本港湾都市市長団」の三役として久慈市長も中国に行くこととなった。 それに対して、10月15日、市役所別館にて壮行会が150人を集めて行われた。 市長は「漁業、水産物の交易とコルホーズが中国ではどのようになっているかを見極めたい。また… 続きを読む
c久慈・九戸郡 14 10月 1957 安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) 昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う… 続きを読む
m県外・参考 8 10月 1957 八戸・丸美屋の布団綿入れ実演会!(昭和32年10月8日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋デパートでは布団の綿入れ実演会を行うという。 この時期の1000円というのがどのくらいかは分からないが… … 続きを読む
c久慈・九戸郡 7 10月 1957 久慈湾で粘土輸送の機帆船がしけで真っ二つ(昭和32年10月7日) 昭和32年10月8日のデーリー東北より。 10月7日の明け方3時頃、久慈湾で粘土輸送の機帆船・一洋丸が(99トン)しけにたたき付けられ真っ二つになってしまったという。 この時、波高は4メートルにもなっていたという。 損害は1千万円とも推定された。 … 続きを読む
m県外・参考 3 10月 1957 東京~青森間直通急行定期三八五便(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 広告欄の一番下には三八五運送の広告。 この時期から既に東京までトラックで運んでいたのだろうか? 国道4号線すら「酷道」と呼ばれ、舗装すらされていなかった時期である。 ちなみに岩手県内で出てくる地名は一ノ関、水沢、盛岡、軽米、大野、久慈、種市。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 10月 1957 久慈の久喜浜ではイワシが豊漁でシメ粕で埋まる(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 おなじ10月3日の紙面では、となりの種市の八木港がサバの不漁となっていた時、久慈の久喜浜ではイワシが豊漁であった。 連日1万貫もの水揚げがあり、魚油を絞った後に肥料に使うシメ粕の加工に主婦や子供達は忙しかった。 シメカスは1貫230円前後で売れるのだという。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 10月 1957 種市の八木港ではサバが不漁(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 三陸沿岸は、この時期最も魚の取れるシーズンであるはずが、種市の八木漁港ではサバが全く獲れないじょうきょうであったという。 他県のサバ釣り船団も日本海の方に行ってしまった。 サンマは好調なのだが、八木港は水揚げ港に指定されておらず入港する船は無し。 製氷工場も… 続きを読む
c久慈・九戸郡 3 10月 1957 久慈港の堀込式港湾工事(昭和32年10月3日) 昭和32年10月3日のデーリー東北より。 久慈港の堀込工事は、宮城建設によって進められていた。 この工事の土台となるテトラポット投入は、県内ではじめてケーブルクレーンからの投下によって行われることとなった。 (それまではどんな方法で行われていたのかは書いていない) この方法であれば、どんな荒海でも関… 続きを読む
m県外・参考 1 10月 1957 八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日) 昭和32年10月1日のデーリー東北より。 八戸のキャバレーは「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」と。 この時期は、話し言葉もこんな「てよだわ調」だったのだろうか。 デーリー東北なら岩手県でも久慈や二戸ぐらいなら購読者がいる。 何かの用事で八戸に行ったついでに寄った人もいたかもしれない。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 22 9月 1957 江刺町の人首小学校がブロック建てで落成(昭和32年9月22日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺町の人首小学校が江刺町では初のブロック建築で落成するという。 9月22日11時から同校で落成式が行われるという。 総工費1020万円で1019坪、普通教室が12で放送室、保健室、教材室、職員室、校長室となっていたという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 9月 1957 岩谷堂(江刺)はまた味噌の産地でもあった(昭和32年9月15日) 昭和32年9月15日の岩手民声新聞より。 江刺の中心地・岩谷堂といえば「岩谷堂羊羹」「岩谷堂たんす」で知られるが、味噌でも有名だったようである。 それで味噌の広告が3社連名でだされている。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 8月 1957 改良「無煙かまど」で仁徳天皇の故事は古くなりました!(昭和32年8月15日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞の広告欄より。 この時期は電気炊飯器など一般的ではなかった時期なので、普通にかまどが広告を出している。 これは無煙かまどだそうで、いわく「仁徳天皇の故事も古くなりました」という。 仁徳天皇の故事とは? それは、仁徳天皇が町を見渡すと家々のかまどから煙が立っていない。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7 8月 1957 江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 8月5日の豪雨で、金ヶ崎の国道の渋川橋が落下寸前となってしまい、自動車は(水沢ではなく)岩谷堂を経由するルートを取ることになった。 しかしこの岩谷堂ルートにしても時ならぬ自動車ラッシュで岩瀬橋が落下寸前となってしまい8月7日から4トン制限を敷くこととなった。… 続きを読む
g北上・和賀郡 31 5月 1957 夏油温泉は森林軌道に乗って(昭和32年5月31日) 昭和32年5月31日の岩手日報より。 北上の山奥にある夏油温泉に行くためには、営林署のトロッコに便乗していくのが普通だったようである。 営林署の貯木場までバスで行き、そこから先は森林軌道のトロッコで行く感じだったのだろうか。 … 続きを読む
l全県 30 5月 1957 ナショナル洗濯機「愛妻号」は20,000円!(昭和32年5月30日) 昭和32年5月30日の岩手日報より。 広告欄にはナショナル洗濯機の「愛妻号」。 岩手県内のどこそこの電器店が出していたという広告ではなく、松下電器が直接出していた広告。 「愛妻号」自体は平成まで製造していたのではないだろうか。… 続きを読む
l全県 27 5月 1957 三菱ミシンから2つの贈り物!(S32.5.27岩手日報) 三菱ではミシンも製造していたようだ。 それで広告を出している。 岩手県内でも各地に販売店があったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1957 使いよい電話台は盛岡・呉服町の「アカザワ号」で(昭和32年5月27日) 昭和32年5月27日の岩手日報の広告欄より。 電話台「アカザワ号」の広告が出ているが、注目すべきは黒電話がダイヤル式であること。 当時、盛岡の電話はダイヤル式ではなく「共電式」という、受話器を上げれば電話局の交換手につながるという方式であった。 この年の8月からダイヤル式自動電話が導入されるのだが、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 26 5月 1957 ぐんと安い!松屋デパートの大特売会(S32.5.26岩手日報) 盛岡の松屋デパートの広告より。 この当時の物価は、以下のようになっていたようだ。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 26 5月 1957 種市・八木港で8尺2寸のお化けイカ(昭和32年5月26日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 九戸郡種市町の八木港で、8尺2寸のお化けイカが獲れたという。 8尺2寸とは、2.5メートルのこと。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 5月 1957 釜石で高品位ウラン鉱?(昭和32年5月26日) 昭和32年5月26日の岩手日報より。 釜石に、高品位なウラン鉱脈があるのではないかと言う専門家の見立て。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 4月 1957 釜石では北洋サケマス独航船が出港したり製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人殺したり(S32.4.22岩手日報) 釜石港では北洋サケマス独航船が盛大な見送りと共に出港した。 そうかと思えば釜石製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人を死なせるなど。 釜石とはそんな場所だった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1957 1,500円の二眼カメラ「ミューズフレックス」(昭和32年4月22日) 昭和32年4月22日の岩手日報の広告欄より。 仙台のコセキカメラは盛岡にも支店があり、岩手日報にも広告を出していた。 当時の大衆的二眼カメラ「ミューズフレックス」は、1,500円で買うことができた。 ミューズフレックスとはどのようなカメラであったか? 以下のページに概略が書いてある。 いわく「子供の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1957 川徳デパートではエスカレーターができました!大特売会します!(昭和32年4月20日) 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 令和の今にあってもなお盛業中の川徳デパートは、現在の菜園ではなく昭和55年まではホットライン肴町の入り口の「ななっく」(2011年以前であれば「中三」)の場所にあった。 管理人もうっすらその時代を覚えている。 昭和31年に建てられたばかりの地下1階、地上… 続きを読む