b経済・産業

貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日) b二戸・二戸郡

貨車不足で北福岡駅から木炭が出荷できず(昭和32年1月10日)

昭和32年1月10日の河北新報岩手版より。 この当時、二戸の木炭は東京駅頭渡しで500円と言う高値を記録していた。 しかし、貨車不足のために1車も出せなかったと言う珍しいことになってしまった。 二戸地方では、年間200万俵の木炭を生産していたが、ほとんどは農業との掛け持ちなので、前年の家は1ヶ月ぐら…
岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日)

昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台…
北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日) m県外・参考

北洋船団が函館を出港(昭和31年4月28日)

昭和31年4月29日の岩手日報より。 日ソ漁業交渉が難航する中、北洋サケ・マス船団はベーリング海に向けて函館を出港して行った。 この中には岩手県の漁船も多く含まれている。 ちなみに、日ソ漁業条約はこの5月に成立することとなった。           …
宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日) d宮古・下閉伊郡

宮古の閉伊川河口は干潮時は船が横倒し(昭和31年3月22日)

昭和31年3月22日の河北新報岩手版より。 宮古市築地通りの閉伊川河口の漁船係留場は、閉伊川から流入する土砂のために、年々水深が浅くなり、干潮時になれば係留中の漁船が度々横倒しになると言う危険な状態となっていた。 この辺は、常に出漁前後の漁船数十隻が係留されている場所だった。 この付近は、昭和23年…
牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日) d宮古・下閉伊郡

牡蠣むきで教科書代を稼ぐ漁村(昭和31年3月17日)

昭和31年3月17日の河北新報岩手版より。 宮古港から巡航船で30分のところにある宮越白浜部落は、75世帯、人口750名の小さな漁村である。 ここにある白浜小学校には、78名の児童が通っているが、漁業の不振から部落自体の経済自体がひどくなり、600円から1000円の教科書代すら捻出できない状況であっ…
各地で初午行事(昭和31年3月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

各地で初午行事(昭和31年3月16日)

昭和31年3月17日河北新報岩手版より。 3月16日は、旧暦で初午にあたり、各地では火防祭などが行われた。 「初午」と言うのは、稲荷信仰に基づくものと言われ、豊作祈願をすることが多いと言う。 また、「初午が早い年は火事が多い」と言う俗信があるようで、消防団の出初め式や、火防祭を行うところもあると言う…
大船渡で「軽貫炭」撲滅のために抜き打ち検査(昭和31年2月9日) k大船渡・陸前高田・気仙郡

大船渡で「軽貫炭」撲滅のために抜き打ち検査(昭和31年2月9日)

昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 この当時、俵の中身をわざと軽く細工して出荷する「軽貫炭」と言うのが問題になっていたようである。 つまり「かさ増し」と言うことであろう。 また、貫目スレスレのものを出荷する業者もあったのだと言う。 このことは、大消費地である京浜地区で不評を買っており、岩手の木…