a盛岡・岩手郡・紫波郡 16 6月 1951 マルキン女子野球団来たる!(昭和26年6月16日) 昭和26年6月16日の「夕刊いわて」の広告欄より。 岩手新報社の後援で行われるという女子プロ野球の盛岡での試合は、夕刊いわてでも盛んに広告されていた。 また、チームのスポンサーであったマルキン醤油は小豆島の醤油メーカーで、現在でも盛業中である。 「マルキン醤油記念館」というのもあるようだが、女子プロ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 15 6月 1951 保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内!(昭和26年6月15日) 昭和26年6月15日の「夕刊いわて」より。 広告欄には、「保健所認可の盛岡冷菓優秀店案内」が掲載されている。 「冷菓」とはアイスキャンデーを指しているようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 6月 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 6月 1951 大手先の一戸肉店にコツを聞く 昭和26年6月11日の「夕刊いわて」より。 盛岡市大手先(現在の本町通。県民会館と岩手医大の間ぐらい)で20年来肉店を開いている一戸肉店に、商売のコツを聞いてみた。 狭い町では販路も決まっているのでサービスがすぐ利く。 穀物地帯の豚は脂肪が多い。 長く置くとガサガサになるので在庫量は一定量にしておく… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 6月 1951 盛岡市内各銭湯が共同広告「旧の5月5日は菖蒲湯です!」 昭和26年6月9日の「夕刊いわて」の広告欄より。 旧の5月5日は菖蒲湯です!と盛岡市内の各銭湯が共同で広告を出している。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 5月 1951 盛岡市内の時計店「5月6日よりサンマータイムですよ!」(昭和26年5月6日) 昭和26年5月5日の「夕刊いわて」より。 GHQの意向で、日本ではサマータイムが取り入れられていたが、当時は「サンマータイム」と言われていた。… 続きを読む
m県外・参考 14 4月 1951 輸出向けの「清酒の缶詰」(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 岩手で清酒の話題というので岩手川?酔仙?と思ったら神戸の灘だという。 まあ岩手県内のローカル新聞に掲載された話題ということでお許しいただきまして・・・ ともかくも灘では、輸出向けに「清酒の缶詰」を製造するという。 これまで技術的に不可能だったのは、缶の内部… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11 4月 1951 興産無尽肴町支店が開店(昭和26年4月11日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 興産無尽の肴町支店が11日に開店するという。 興産無尽は後の北日本相互銀行で、現在は北日本銀行。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 4月 1951 ミシンが3千円でお手元に!(昭和26年4月4日) 昭和26年4月4日の「夕刊いわて」より。 盛岡市仁王小路(本町通)のミシン販売会社の広告が出ている。 3千円というのは昭和26年だと平均月収に比べてどうだったんだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 4月 1951 盛岡・本町通「川清」の広告に見る衣料品の物価(昭和26年4月1日) 昭和26年4月1日の「夕刊いわて」の広告欄より。 盛岡市本町通の衣料品デパート「川清」の広告欄から、当時の衣料品の物価を見ることができるのではないだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 3月 1951 刑務所製品の靴や家具は安価でお勧め(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 刑務所内の作業場の労働力は安価であることから、家具や靴は盛岡市内で一番安く安サラリーマンにはお勧めだという記事。 ただし、革の割り当てが少なく「お客さん歓迎」とはいかないようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 3月 1951 大通は「新興繁華街」だった(昭和26年3月31日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事の23回目は大通。 当時は、大通は「新興の繁華街」であり、老舗は何といっても川徳や松屋の二大デパートのある肴町であった。 大通の看板は、中劇・東宝第一劇場・中央ホールの映画館が集まっていることであり、この大通と中の橋通り… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 3月 1951 列車内を逃げ回る「白エプロンの女」(昭和26年3月30日) 昭和26年3月31日の「夕刊いわて」より。 盛岡市警察署では、「山田線の上盛岡駅から白エプロンの女が宮古方面にヤミ米を運んでいる」という情報をキャッチした。 それで警戒していたところ、上盛岡駅でそれらしい女が乗り込んだ。 車内で逮捕して、次の山岸簡易駅(当時)で降ろしたら敵もさるもの。列車が動き始め… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1951 盛岡駅で小荷物の中にヤミ米 昭和26年3月25日の「夕刊いわて」より。 盛岡駅小荷物係から盛岡市警察署盛岡駅前巡査部長派出所に「毛馬内から来た花輪線の列車で着いた荷物の中にヤミ米があるようだ」と通報があった。 毛馬内とは現在の十和田南駅である。 上野行きの列車に積み込む前に、5俵を押収したのであった。 終戦から6… 続きを読む
m県外・参考 21 3月 1951 弘前無尽では「宝来定期預金」を募集中(S26.3.21夕刊いわて) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」紙面に掲載された、弘前無尽による「宝来定期預金」の広告は、戦後の庶民金融と夢を結びつけたユニークな預金商品を伝えています。 この「宝来定期預金」は、昭和26年3月1日から4月30日までの期間に募集されたもので、1口1,000円から預け入れ可能。満期は8ヶ月後に設定… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 21 3月 1951 「岩手川」は一升370円(昭和26年3月21日) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」より。 後年「岩手川」で知られる浜藤酒造店が広告を出している。 「雄渾」という酒は一升370円だと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 3月 1951 盛岡繁盛記:肴町 昭和26年3月17日の「夕刊いわて」より。 「盛岡繁盛記」というシリーズ物の記事で、10回目は肴町。 今でこそアーケード街になっているが、当時はもちろん無い。 この記事の時点では、肴町は1丁目と2丁目に分かれていたのだという。 この後の記事の書きぶりでは、中の橋通りに面した方が1丁目で、奥の方が2丁… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡・桜山更生市場の土地問題 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 桜山神社周辺の「東大通り」のあたりは、戦後の引揚者による更生市場となっていた。 盛岡市では、これを新たにコンクリート建てのデパートにする案を持っていた。 それで、地主に用地買収交渉をしていたが、25年11月の時点で地主側はそれに代わる土地を要求、盛岡市側もそ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 3月 1951 盛岡の本町に老舗は一つもなかった(昭和26年3月8日) 昭和26年3月8日の「夕刊いわて」より。 盛岡の各商店街を取材する囲み記事で、まず出たのは本町。 この当時、老舗と呼べる店は1つもなかったのだと言う。 … 続きを読む
l全県 5 2月 1951 麗人東北投票迫る!(昭和26年2月5日) 昭和26年2月5日の岩手新報より。 この時期「麗人東北」と言う美人コンテストを行っていたようである。 エントリーしたのは、岩手県内の各花街の美人達だったようである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1951 盛岡・花巻米穀登録店当選御礼広告(昭和26年2月1日) 昭和26年2月1日の岩手新報より。 盛岡と花巻の、米穀登録店当選御礼広告が掲載されている。 当時は、当選しないと米屋になれなかったらしい。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 31 1月 1951 鵜住居中学校の校舎が近く完成(S26.1.31岩手新報) 現在は「釜石鵜住居復興スタジアム」が建っている釜石市鵜住居は、昭和の大合併までは「上閉伊郡鵜住居村」だった。 その鵜住居村の中学校の新校舎が建設中であった。 この鵜住居中学校が箱崎中学校・栗林中学校と合併し「釜石東中学校」となるのは昭和49年のこと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 12月 1950 早くも年賀状や門松と正月ムード(昭和25年12月4日) 昭和25年12月4日の岩手新報より。 盛岡市内では早くも年賀状やら門松やらの正月ムードに入っていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 12月 1950 弘前無尽が増資新株式募集(S25.12.3岩手新報) 昭和25年12月3日の岩手新報に掲載された広告によれば、弘前無尽株式会社では増資にともない新株式の募集を行っていた。 この「弘前無尽」は、のちに弘前相互銀行を経て現在のみちのく銀行へと発展した金融機関である。無尽会社とは、現在の信用金庫や相互銀行の前身にあたるような地域密着型の金融業態で、相互扶助的… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 12月 1950 朝日生命が盛岡で戦後初の鉄筋建築(昭和25年12月3日) 昭和25年12月3日の岩手新報より。 かつての帝国生命だった朝日生命が、盛岡で戦後初の鉄筋建築を建築していると言う。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3 12月 1950 気仙郡気仙町の長部港は土砂堆積ではしけも入れず(昭和25年12月3日) 昭和25年12月3日の岩手新報より。 気仙郡気仙町の長部港は、気仙川の土砂の堆積で、はしけも入れない状態になっていたのだと言う。 また、桟橋も昭和8年に建造された木製のものしかなかったのだと言う。 それで、漁船も仕方なく気仙港や細浦港に入るしかなかったのだと言う。 &nb… 続きを読む