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東北自動車道八戸線の一戸〜八戸間が開通(S61.11.27) b二戸・二戸郡

東北自動車道八戸線の一戸〜八戸間が開通(S61.11.27)

東北自動車道八戸線の一戸〜八戸間(41.3km)が昭和61年11月27日に開通し、所要時間が約1時間短縮され30分となった。これにより、県北地方も高速交通時代を迎え、農産物の供給や観光開発などの地域振興が期待されている。 この区間は、昭和55年に着工し、総事業費約1,100億円をかけて整備された。全…
台風15号で寸断された国道107号線荷沢峠は4か月もマヒしたまま e釜石・遠野・上閉伊郡

台風15号で寸断された国道107号線荷沢峠は4か月もマヒしたまま

昭和56年12月22日の読売新聞岩手版では、その年の8月23日に来襲した台風15号による国道107号線の被害が、4か月たっても復旧していないことを報じている。 気象庁ホームページ「台風経路図 昭和56年(1981年)」より 昭和50年代に小学生であったこのブログの管理人は「わたしたちの岩手」という社…
東北自動車道・一関~築館が全通 i一関・西磐井郡

東北自動車道・一関~築館が全通

昭和53年12月2日、東北自動車道の築館~一関が開通する。 確かに高速道路自体は、昭和52年の時点で盛岡~一関が開通してはいた。 しかし、仙台や東京へ出るとなったら、一関で高速道路を降りて、一関市内を通って国道4号線に出て、築館までいかなければならなかったのだ。 これで1時間ぐらいのロスがあった。 …
「岩手県交通」発足するも前途多難(S51.6.1) l全県

「岩手県交通」発足するも前途多難(S51.6.1)

昭和51年6月1日、岩手県内のバス会社である岩手中央バス、県南バス、花巻バスの3社が合併し、新会社「岩手県交通株式会社」が発足した。この合併は、マイカー普及や過疎化による経営悪化を受け、路線の合理化や安定経営を目指したものだった。新会社の資本金は約1億6,488万円で、従業員は2,704人、バス台数…
県内の交通事故死者数が過去最悪に(S48.12.31) l全県

県内の交通事故死者数が過去最悪に(S48.12.31)

昭和48年、県内の交通事故による死者数が219人と過去最悪を記録し、10年前の倍以上に達した。全国では事故件数や死者数が減少傾向にある中、県内では増加が続き、全国でも4番目の増加幅となった。この状況を受け、県警は「100日作戦」や「交通死亡事故半減非常体制」を展開し、交通規制の強化や安全啓発運動を推…
岩手中央バス上田営業所が移転して河南営業所が開業 a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手中央バス上田営業所が移転して河南営業所が開業

昭和46年5月29日の岩手日報より。 岩手中央バスの上田営業所が南大通2丁目の旧盛岡青果支場跡(鐘紡前バス停)に移転し「河南営業所」としてスタートすることとなった。 これにより、盛岡バスセンター発着の一部路線を鐘紡前に移転することとなった。 【鐘紡前を起終点とする路線】 系統変更あり 上田線 厨川線…
44年春闘ではバス各社が無限ストへ(S44.4.30) l全県

44年春闘ではバス各社が無限ストへ(S44.4.30)

昭和44年春闘では、岩手県のバス4社(県南バス、岩手中央バス、花巻バス、花巻電鉄)が平均1万円の賃上げを要求。会社側は合理化を条件に交渉を進めたが対立が解消せず、無期限ストライキに発展。通勤・通学者や観光客が大混乱し、泥沼化した争議に批判が集中した。 地労委があっせんを行い、最終的に調停案が示され、…
一戸や軽米でスリップ事故続出(昭和42年12月5日) b二戸・二戸郡

一戸や軽米でスリップ事故続出(昭和42年12月5日)

昭和42年12月6日のデーリー東北より。 12月5日の明け方、午前4時から9時半にかけて、一戸町の小繋から中山の間の4キロの間で、国道4号線で路面凍結によるスリップ事故が連続で6件も発生した。 死亡者も1名出ると言う惨事であった。 また、軽米町でもスリップ事故が発生して、3人が怪我をしたと言う。…
釜石市内に残る3つの難所(昭和42年11月20日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石市内に残る3つの難所(昭和42年11月20日)

昭和42年11月20日の岩手東海新聞より。 国道45号線は改良工事が進んでいたが、交通量はそれ以上に増大していた。 釜石市の繁華街での国道では、難所は3カ所もあって、市民の不安は広がっていたと言う。 陸橋でバイパスを作って市街地を一跨ぎさせてはと言う計画も、10億円とも20億円とも言われる膨大な事業…
一関・キューピー移動交通公園の開設から早1年(昭和42年11月6日) i一関・西磐井郡

一関・キューピー移動交通公園の開設から早1年(昭和42年11月6日)

昭和42年11月6日の岩手報知より。 一関の交通移動教室「キューピー公園」を昭和41年11月23日に誕生して、早1年を迎えることになったと言う。 この1年間で開催した日数は90日、利用した人数は60,000人を数えると言う。 キューピー公園は、自動信号機はもとより、横断歩道、見通しの悪い場所、鉄道踏…
一関・キューピー移動交通公園に新たな施設完備(昭和42年11月4日) i一関・西磐井郡

一関・キューピー移動交通公園に新たな施設完備(昭和42年11月4日)

昭和42年11月4日の岩手報知より。 11月1日から3日にかけて、交通安全展示会が行われたが、この開催期間中の同乗見学や交通教室利用者は約30,000人であったと言う。 ここで使われた見通しの悪い道路、鉄道踏切用の機関車模型や軌道は今をキューピー移動交通公園に加えられ、学校、幼稚園、遊園地などを巡回…
大モテの貸し自動車 a盛岡・岩手郡・紫波郡

大モテの貸し自動車

昭和42年のゴールデンウィークも終わった5月11日の岩手日報には「大モテの貸し自動車」という記事がある。 貸し自動車とはレンタカーのこと。 まあ自動車を貸すんだから「貸し自動車」ではあるだろう。。。 Wikipedia情報だと、日本のレンタカーの歴史は、大正時代に「運転者付き」で始まったのだという。…