e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1966 釜石自動車学校の同窓会(昭和41年7月2日) 昭和41年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石自動車学校では、7月4日に同窓会を開催すると言う。 これは、7月4日の正午からやるのだそうで、特別に案内状は出さないがここの教習所を卒業した人は参加できるようになっていたと言う。 同窓会に集まったとして、一体どんな話をしたのだろうか。 &nb… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1966 大槌駅前の舗装で「駅前田んぼ」が解消(昭和41年7月1日) 昭和41年7月1日の岩手東海新聞より。 この当時の大槌町の古館町長は「道路町長」と呼ばれ、町内のほとんどの道路を舗装することに力を入れていた。 山田線の大槌駅前の道路もまた、雨が降れば「駅前田んぼ」として長靴に履き替えてあるかなければならないほどであったと言う。 このため、失業対策事業として、簡易舗… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 7日 1966 釜石製鉄所もマイカーブーム(昭和41年3月7日) 昭和41年3月7日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所にもマイカーブームが訪れていた。 それで、部署別のマイカー保有台数が新聞に出ていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1966 近く釜石で運転免許出張試験を行います!(昭和41年3月3日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 釜石で運転免許出張試験を行うという。 これで、わざわざ一本木(滝沢村)に行かなくても免許が取れるわけだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1966 釜石でもマツダ純正部品が買えます(昭和41年3月2日) 昭和41年3月2日の岩手東海新聞より。 釜石のモーターサイクル店では自動車販売も始めたようで、マツダ車の純正部品も販売するという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1966 釜石への観光客はマイカーが増える(昭和41年3月1日) 昭和41年3月1日の岩手東海新聞より。 昭和40年の釜石への観光客は637,000人だったようだ。 中でも、マイカーが増えていたのだと言う。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1966 岩手プリンス自動車の中古車在庫情報(昭和41年1月12日) 昭和41年1月12日の岩手日報の広告欄より。 岩手プリンス自動車が中古車情報を掲載している。 グロリアやスカイラインといった自社のものだけではなく、トヨタ車まで扱っている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 23日 1965 岩手トヨタ「パブリカ中古車コーナーお気軽にどうぞ!」(昭和40年10月23日) 昭和40年10月23日の岩手日報より。 岩手トヨタでは、パブリカの中古車広告を出している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 18日 1965 葛巻町と岩泉町の間の国境峠(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 「峠の秋」と言うシリーズ物記事の5回目。 岩手郡葛巻町と下閉伊郡岩泉町の境界にあるこの峠は、「国境峠」と呼ばれている。 読みは「くにさかい」で、盛岡市と下閉伊郡川井村の境界にある区界峠と全く同じ発音になってしまうと言う。 カーブの多い峠道で「破折注意」「標高六… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 18日 1965 盛岡で中古車展示即売会(昭和40年10月18日) 昭和40年10月18日の岩手日報より。 盛岡の仙北町駅前で中古車の展示即売会を行うという。 昭和33年型のオースチンは4万円だと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 15日 1965 早坂峠の秋(昭和40年10月15日) 昭和40年10月15日の岩手日報より。 盛岡と岩泉を結ぶ早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた。岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 早坂峠は、また、「日本のチベット」と言われていた岩手県をそのまま体現したような地域であったようだ。 この地域の農家の主食は100%ヒエだったそ… 続きを読む
l全県 10月 11日 1965 新型踏切で事故を防げ!(昭和40年10月11日) 昭和40年10月11日の岩手日報より。 車の増加により、踏切事故も増大していた。 そのことに国鉄は悩まされていた。 そこで、赤外線による障害物検知装置や重力式遮断機を開発し、各路線に付けることになった。 赤外線による障害物検知装置は、踏切の両側から赤外線を出してそれが阻害されたら警報を出して列車に異… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 11日 1965 仙岩峠の秋(S40.10.11岩手日報) 盛岡と秋田を結ぶ仙岩峠は、まだトンネルも開通しておらず急峻な山道であった。 そんな秋の表情を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 2日 1965 釜石タクシーは運転手募集(S40.7.2岩手東海新聞) 釜石タクシーでは運転手を募集していた。 月給29,000円で賞与は2回であったという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 釜石製鉄所構内で安全パレード(昭和40年7月1日) 昭和40年7月2日の岩手東海新聞より。 釜石製鉄所の構内では、雷雨の中を作業安全パレードが行われたようである。 どうも手前のマイクロバスは、県南バスから借りてきたような色にも思えるが、ナンバーが白なので自家用だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 参院選は棄権しないで投票しましょう!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 釜石県税事務所では、来る7月4日の参議院議員選挙に向け、釜石市内や大槌町内で、棄権しないで投票するよう呼びかける宣伝を行ったという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 盛岡でタクシーの「流し」を許可の方向へ(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この当時、タクシーの「流し」は認められていなかった。 タクシーは営業所から乗せるか、あるいは電話で行くしかなかった。 しかし、この月の下旬からそれを認める方向で調整中であったと言う。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 16日 1965 釜石鉱山~釜石製鉄所の鉱石輸送は昭和40年3月に社線から国鉄に切り替え予定(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 これまで、釜石鉱山から釜石製鉄所に運ぶ鉄鉱石は、国鉄の陸中大橋駅付近から釜石駅前の製鉄所まで、国鉄と並行して「社線」という専用線で輸送していた。 この「社線」、釜石市内の小佐野や甲子といった市街地の道路の真ん中を走っていたので、自動車が増えるにつれ邪魔でしょうが… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 16日 1965 江刺市内で舗装道路は水沢に行く県道だけ(昭和40年1月16日) 昭和40年1月16日の岩手日報より。 「まちの真空地帯」というシリーズものの記事で、10回目のこの回では江刺市を取り上げている。 昭和33年11月に市制してすでに6年となっていたが、舗装した道路はといえば水沢に抜ける県道だけで、それ以外が全部舗装していなかったというのである。 このため、市内の川原町… 続きを読む
g北上・和賀郡 12月 25日 1964 北上の九年橋ですれ違い規制を施行 昭和39年12月25日の岩手日報より。 北上市の南の玄関となる国道4号線の九年橋は、幅が5.5mしかなく渋滞や事故の原因となっており、この当時の一級国道としても全国定期に悪名高い難所となっていた。 交通事故は昭和38年に6件であったものが、昭和39年には19件と3倍以上に増えていた。 この幅5.5m… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12月 21日 1964 岩手中央バス・岩手県南バス「帰省はふるさとのバスで!」(昭和39年12月21日) 昭和39年12月21日の岩手日報より。 国道4号線の整備などにより、帰省ラッシュは鉄道以外にもバスで行うのも盛んになってきた。 岩手中央バスは前年の昭和38年末には30台のバスを東京に送って帰省輸送を行った。 この年は40代で輸送を行うと意気込んでおり、集団就職を受け入れた事業所に営業をかけていた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 30日 1964 スズライト・キャリイバンは岩手スズライトで! 昭和39年11月30日の岩手日報の広告欄より。 当時、スズキの主力は「スズライト」だった。 そもそもは昭和30年に発売した軽自動車であり、後年「その後の軽自動車のあり方を示唆、歴史に残る名車」と評価され日本自動車殿堂歴史車に選ばれたというほどの名車でもある。 岩手県内の販社も「岩手スズライト販売」と… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1964 岩手トヨタ「自動車の運動会『ジムカーナ』で楽しもう!」(昭和39年11月1日) 昭和39年11月1日の岩手日報の広告欄より。 岩手トヨタが自動車の運動会「ジムカーナ」の大会を、11月8日に盛岡八幡宮の境内で行うという。 ジムカーナとは、広告の表現をそのまま借りれば、「運転技術を存分に発揮でき、ウィットある機敏な行動が要求されしかも童心に帰って無邪気にふるまえる自動車の競技会」で… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 11日 1964 岩手トヨペット釜石営業所「新型コロナ発売!」(昭和39年9月11日) 昭和39年9月11日の岩手東海新聞より。 岩手トヨペット釜石営業所では、新型コロナの発表試乗会を釜石・遠野・宮古で行うと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 9日 1964 釜石市内の舗装工事でバスの運行経路が変わります(昭和39年9月9日) 昭和39年9月9日の岩手東海新聞より。 釜石市の中心部である只越町では、舗装工事のために東部バスの運行経路が変わるという広告。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢に本社がある岩手県南バスと経営統合しており、車体の色も県南バスの色となっていたが、正式に県南バスとなるのは昭和41年のこと。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 2日 1964 釜石製鉄所では社線撤去に向けた諸工事(S39.9.2岩手東海新聞) 釜石では、昭和25年の時点で釜石線が釜石鉱山からの「社線」に並行して開業していたが、釜石鉱山からの鉄鉱石輸送がすぐに釜石線に移行したわけではなかった。 そして、自動車が増えてからは道路交通の邪魔となっていた。 しかし、やっとのことで撤去の運びとなりそれに向けた工事が進んでいた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 2日 1964 仙岩峠の夏・相逢いの滝(昭和39年8月2日) 昭和39年8月2日の岩手日報より。 盛岡から秋田に行くには、国道46号線で行くことになるが、当時は仙岩トンネルなんて開通していないので、曲がりくねった峠道を越えるしかなかった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 20日 1964 岩手東部バス「釜石市内のバス時刻を改正します」(昭和39年6月20日) 昭和39年6月20日の岩手東海新聞より。 岩手東部バスは釜石市内のバスの時刻表を改正するという。 … 続きを読む