e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 11日 1964 マツダファミリア43万8千円!B360は31万円!(昭和39年6月11日) 昭和39年6月11日の岩手東海新聞より。 釜石市内の自動車販売店では、マツダの自動車を売っていた。 ファミリアが43万8千円、B360が31万円。 いずれも商用車前提の販売であった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 9日 1964 昭和38年10月15日から全ての自動車に定期点検が義務付けられました!(昭和39年6月9日) 昭和39年6月9日の岩手東海新聞より。 釜石地区自動車整備協会では、自動車整備が義務付けられた旨の広告を出している。 今の言葉で言えば「車検」だろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6月 4日 1964 早く国道45号線古廟坂トンネルを開通させて大槌への架け橋を(昭和39年6月4日) 昭和39年6月4日の岩手東海新聞より。 当時、国道45号線で釜石から大槌方面に行くには、室浜の山道を通っていかないといけなかった。 それで、古廟坂トンネルの開通が待ち望まれていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 13日 1964 そのうち花巻空港も開港するから釜石に行く県道も舗装して(昭和39年1月13日) 昭和39年1月14日の岩手東海新聞より。 4月の花巻空港の階高を控え、花巻と釜石を結ぶ主要県道も舗装してほしいと議員に要請した。 当時は、舗装した道自体が珍しかったのだ。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 7日 1963 日通観光釜石支店の各種ツアー(S38.11.7岩手東海新聞) 日通観光釜石支店は、岩手東部バスと岩手東海新聞と共同でツアーを開催していた。 岩手東部バスは、昭和32年に水沢を本社とする岩手県南バスの傘下に入り、車体色も県南バスと共通になっていたが、経営統合するのは昭和41年のこと。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 1日 1963 東和町〜大岳のバスが大岳温泉まで延長(昭和38年11月1日) 昭和38年11月5日の岩手民声新聞より。 東和町と江刺市梁川を結ぶバス路線は、江刺市梁川の大岳止まりであったが、11月1日から、これを延長して大岳温泉まで伸びるようになったのだと言う。 これを記念して、最初のバスが到着するタイミングで、市長や市教育長、市役所の課長レベル、県南バス社長、県南バス江差営… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 25日 1963 江刺市内の3カ所にカーブミラーを設置(昭和38年10月25日) 昭和38年10月25日の岩手民声新聞より。 江刺警察署と県交通安全協会江刺支部では、秋の交通安全旬間にあたって、10月25日に市内の県道の危険な箇所3箇所でカーブミラーを設置することにした。 この3箇所は、岩屋堂の餅山と、玉里の玉崎・大和田の3カ所。 このカーブミラーは、一気に23,500円であると… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 21日 1963 江刺にも国鉄バスを通して下さい(昭和38年10月21日) 昭和38年10月26日の岩手民声新聞より。 鉄道のない江刺では、内陸の主要都市と沿岸を結ぶ国鉄バスの運行を陳情しようとしていた。 そして関係する市町村の首長や議会議長の署名を得たために、市議会以降は仙台陸運局が運輸省に陳情することとした。 陳情する路線は以下の通り。 釜石〜遠野〜米里〜岩谷堂〜水沢 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 16日 1963 釜石自動車教習所では自動車練習生募集中(昭和38年9月16日) 昭和38年9月16日の岩手東海新聞より。 釜石自動車教習所では、自動車練習生を募集している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 10日 1963 釜石の恵まれない子供たちを仙人峠にドライブ(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 「釜石市子供の幸せを守る会」は、恵まれない子供たちを仙人峠にドライブに連れて行くと言うニュース。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 10日 1963 山田派出所に新しい交通標識の教材(昭和38年9月10日) 昭和38年9月10日の岩手東海新聞より。 山田町の宮古警察署山田派出所には、新しい交通標識の見本用教材が届いた。 これで、町民に交通標識を知ってもらおうと言うものである。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 10日 1963 県道127号?米里-小友線の改修を県に陳情(昭和38年9月10日) 昭和38年9月12日の岩手民声新聞より。 江刺市米里と遠野市小友を結ぶ県道127号米里-小友線は、岩手県南と沿岸を結ぶ重要な道路であった。 そこで、水沢・江刺・遠野・釜石の4市長の署名を持って、江刺市役所の関係者が盛岡に出て県庁に改修のための陳情書を手渡したのである。 ただし、どのように改修の必要な… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 9日 1963 釜石市内の道路舗装工事のため岩手東部バスが迂回します(昭和38年9月9日) 昭和38年9月9日の岩手東海新聞より。 釜石市の中心部・只越町の道路舗装工事のため、市内の道路は通行制限を敷くことになった。 それで、岩手東武バスも一部ルート変更することになった。 これは10月10日までと予定されていた。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1963 岩手東部バス釜石営業所にライトバス導入(昭和38年9月5日) 昭和38年9月5日の岩手東海新聞より。 岩手東部バス釜石営業所では、7月から19人乗りのライトバスを3台入れて、小規模な貸切需要に応じている。 それまでは、60〜70人乗りの大型バスしかなく、20人程度の観光団体では手が出ないレベルの需要に応えるもの。 貸切料金は以下の通り。 根浜海岸 4400円(… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 26日 1963 コンパーノは岩手ダイハツで! 昭和38年6月26日の岩手日報の広告欄より。 岩手ダイハツによるライトバン「コンパーノ」の広告。 岩手ダイハツは盛岡市平戸というので盛岡駅の近くにあったようである。 ナンバーを見る限り、軽ではなく普通自動車である。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 4月 6日 1963 普代村にスクールバス(昭和38年4月6日) 昭和38年4月6日の岩手日報より。 これまで公共交通機関のなかった普代村の鳥茂渡地区から普代中学校までスクールバスが走るというニュース。 それまでは、普代中学校までの8~10kmの道のりを、朝5時に起きて2時間かけて通っていたのだという。 そのことで遅刻や欠席が多く、学力不振の一因になっていたという… 続きを読む
l全県 3月 30日 1963 観光バスが駅のトイレを使うなら1台につき100円頂きます 昭和38年3月30日の岩手日報より。 この時期になると、観光客のバスのシェアが増大したようで、国鉄の経営にも影響するようになってきた。 その観光バスはというと、駅に立ち寄ってトイレ休憩をする。 その清掃や汲み取りの費用は当然国鉄持ち。 そんな理不尽なことがあっていいだろうかと盛鉄局では、1台につき1… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 3月 29日 1963 花巻バスのストは泥沼化、どうしようもないのでトラックで通勤するサラリーマンも(昭和38年3月29日) 昭和38年3月29日の岩手日報より。 花巻バスの労働争議は泥沼化し、29日以降「無期限スト」の様相を呈してきた。 なぜこういう事態になったかというと、1月22日に岩手中央バスのストがあった際、中央バスに委託していた紫波町の通学バスを、花巻バスの貸し切りバスで運行しようとした。 いわゆる「スト破り」で… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 29日 1963 渋滞が激しくなったので盛岡市内に「交通信号機」を設置します! 昭和38年3月29日の岩手日報より。 盛岡市内はとみに交通渋滞が激しくなってきた。 1日に開運橋付近では12,000台、中の橋付近では11,000台と、昭和33年の約2倍という状況であった。 盛岡警察署管内の自動車登録台数は約20,000台で昭和30年の5.3倍。 交通事故は592件と昭和30年の4… 続きを読む
m県外・参考 11月 7日 1962 東京のバス車掌募集(昭和37年11月7日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 東京急行電鉄では、バス車掌の募集広告を出していた。 それは良いのだが、面接場所が仙台や古川の公共職業安定所であると言う。 岩手版なんだだから岩手の職安の広告を出せばいいのではと思うのだが、どうなんだろうか。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 3日 1962 須川温泉道路の愛称募集(昭和37年9月5日) 昭和37年9月5日の岩手報知より。 この10月に、秘境・須川温泉に太平洋側と日本海側からアクセスする須川道路が開業しようとしていた。 これに際し、一関市ではこの須川道路の愛称を募集することにした。 後援は一関商工会議所・岩手県南バスなど。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 28日 1962 岩手県南バスの本社が移転新築(昭和37年7月28日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 それまで、岩手県南バスは水沢市の駅通りに本社と営業所があったが、繁華街でバスの出し入れを頻繁にするのは危険であると言うことから、水沢市小山崎に移転することとなったのである。 そして、7月27日から本社の移転が始まり、7月中に移転が完了すると言う予定と言うこと… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 7月 3日 1962 大船渡・釜石・宮古でスズキ・スズライトの巡回健康診断をします!(昭和37年7月3日) 昭和37年7月3日の岩手東海新聞より。 盛岡の藤健自動車が、大船渡・宮古・釜石でスズライトの巡回健康診断をするという。 スズライトはスズキ自動車の軽自動車。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 6月 7日 1962 水沢で中学生が「死の社会科見学」(昭和37年6月7日) 昭和37年6月8日の胆江日日新聞より。 水沢の姉体中学校の生徒が、市内で社会科見学をしていたら、車にはねられて亡くなったという。 ちなみにこの姉体中学校が真城中学校や黒石中学校と合併して水沢南中学校になるのは、昭和44年のこと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 12日 1962 県南バス江刺営業所の移転や道路事情などについて投書(昭和37年2月12日) 昭和37年2月12日の岩手民声新聞より。 投書欄には、県南バス江刺営業所の移転に始まって、江刺市内の道路事情について書かれている。 投稿者は70歳越えだというので、1962年から見ると明らかに19世紀生まれ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 16日 1962 プリンス・グロリア117万円!スカイライン105万円(昭和37年1月16日) 昭和37年1月16日の岩手日報より。 岩手プリンスでは、プリンス自動車の大売り出しをしている。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 13日 1962 見通しの悪い峠道で花巻バスとトラックが衝突事故(昭和37年1月13日) 昭和37年1月14日の岩手日報より。 花巻市高松地内の県道花巻-鱒沢線で、沿岸から来たトラックと花巻発遠野行きの花巻バスが正面衝突した。 見通しの悪い峠道であり、路面が凍結しているという悪条件もあった。 衝突により、バスの中の45名の乗客のうち35名が転び、3名は重軽傷。 現在でこそこ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 1月 12日 1962 江刺の県南バスターミナルに食堂が開業(昭和37年1月12日) 昭和37年1月12日の岩手民声新聞より。 江刺の県南バスターミナルに食堂がオープンすると言う。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 4日 1962 雪山は自動車よりも馬ソリ 昭和37年1月4日の岩手日報より。 県北の二戸郡では雪で、国道4号線のような主要道以外は軒並み雪でストップしてしまった。 そんな中でも、馬ソリだけは好調で、雪山から材木や薪、木炭を運び出していた。 (一戸町奥中山にて) … 続きを読む
l全県 1月 4日 1962 昭和37年正月現在の各社の自動車・オートバイのラインナップ(昭和37年1月4日) 昭和37年1月4日の岩手日報の全面広告より。 岩手県内の自動車販売各社の自動車・オートバイのラインナップ。 コニーは日産系列の愛知機械工業が製造販売していた商用車ブランド。 マツダや東急くろがね工業も商用車(ライトバン)を中心としたラインナップを掲載しており、企業経営者や商店主を見込んだ広告にしてい… 続きを読む